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白き頂

今年もまた、10月7日がやってきた。結婚25年目を迎えた。

 新婚旅行は結婚式の翌日と言うのが当時の定番だったが、私たちのハネムーンは年が明けてからにした。

「俺さ、一度でいいからマッターホルンを横目にスキーを滑ってみたいんだよ」

ツアー旅行でいろいろな所へ連れて行って貰うのも楽しい、がどちらかと言えば一か所に滞在する旅行が好きな私には理想的、と感じられた。

ミラノ経由でチューリッヒ空港に到着。出迎えていたのは旅行会社名のカードを逆さにかざしたヨーロッパ人だった。

同じスキーツアーの人びとだろうか。成田からはバラバラに搭乗しているので私たちは他のツアー者を知らない。ロビーに人がまばらになり始め、同じくカードを凝視しながら胡散臭げにガイドらしきそのラテン系ヨーロッパ人を見ている人々が周囲に集まり始めた。

一体これからどこへ連れていかれるのだろう?多分どの人々も同じ気持ちであったのではなかろうか?カードの逆さまな状態から、とても日本語が分かるとは思えない。しかし遠い異国の地で頼りになるのは現状彼しかいないのを私たちは直感で知っている。

ツアー会社は空港で日本語の通じない現地係員が待っているとは一言も言っていないし書いていない。ただ、「現地係員がお待ちしています」という文字はパンフレットにあるからすっかり油断していた。

横の年配の男性2人組に日本語で話しかける。やはり同じツアーの参加者であった。

「ちょっと英語で話しかけてみましょうか」

 そう言うとその人はラテン男に近づいた。ラテン男は英語を理解できないようであった。身振り手振りでこっちに来るように言っている・・・らしい。こちらに分からない言語で何か言っている。相手もこちらが言葉を理解していないのは分かっている様子だが人数を数えてこれで良し、という風につかつかと出口方向へ向かっていく。

 私たちはここで置いて行かれたら帰る術も、ツアー場所へと行き着く術もない。慌ててラテン男の後を追う。本当にこれからどこへ連れていかれるのだろう?

 空港の外はすっかり暗くなっていた。ワゴン車が1台止まっていて男はこれに乗れと促してくる。私たち一行総勢8名。ワゴン車の中では聞き慣れない外国語の曲が流れる。不安のまま自己紹介をした。

 もしかすると着いた先が人身売買組織のアジトかもしれない。消えた日本人としてニュースに流れたら・・・。誰もが一抹の不安を抱えながらどうすることもできず狭い車内に揺られていた。

車内の流れるどこか哀愁を帯びた曲に合わせ男は気持ち良さそうに鼻歌交じりの歌を歌っている。

小さな村に着くと車は止まり、降りるよう促された。恐る恐る降りた先にスキー焼けした若い日本人が立っていた。

「みなさん、遠いところお疲れさまでした」

その一言に私たちは安堵した。この若い男性が本当の現地係員で、私たちのスキーツアーガイドであった。

 翌日から私たちはスイス側からイタリア側へとツェルマットスキーを楽しんだ。ヨーロッパの高級リゾート地ツェルマットはドイツ・フランス・イタリアのスキー客が中心だった。

日本のスキー場はカナダスキーに近く、上から下までリフトが伸びるがツェルマットはゴンドラで頂上まで行った後は1日かけて山越えをしながら滑る。スケールが違う。標高の高さも日本のスキー場とは比べものにならない。

滑り出して暫くして周囲に木が一本も生えていないことに気がついた。ロープの向こう側はクレパスがあるので、決して超えてはならぬと若いガイド氏は注意した。

 みなガイド氏に遅れないようついて行く。ここまでスキーに来るので誰もが上級者なのだろう。なんとかついて行くという程度の私に基準を合わせてくれての滑りだ。必死に滑っていると突然、みなさん、と声がかかる。

眼前にマッターホルンがそびえている。余りの大きさに驚く。ツェルマットの街から見上げていた山が今、目の前にある。空の色の薄さは標高が高く酸素が薄いせいだろうか。

薄水色を背景に真白な雪とブルーグレイの岩肌がなんという美しさだろう。風が強いのか流れる白い雲が角(ホルン)と言われる山頂にたなびく。自然の雄大さ神々しさとはこういうものかと実感する。

マッターホルンはその後も角度を変えながら私たちを楽しませてくれた。

 長いアイスバーンを下へ下へとさがっていくと徐々に気温が高くなりゲレンデも柔らかくなる。周囲に木々が茂りだし、かなり標高も下がって来たと感じる。色彩が豊かになる。そしてついにチェルビニアの街へと近づく。

1日滑った疲労感で体はぐったりしているが私たちのこころは喜びと連帯感で満ちていた。

私たちの連帯感を強めてくれたのはもうひとつ。このツアーガイド氏であった。

彼は私たちを地元のトラットリアに誘ってチーズフォンデュパーティーをひらいてくれた。

本当は夕飯はそれぞれのホテルで付いていたのだけど誘われた晩は各々断って楽しい夜を過ごせた。

ひとり1本のテーブルワインを空けそのまま次のバーでDJがヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」をかけていた中、誰もいないお立ち台に卒業旅行にひとりで来たという同じツアーの男の子とふたりで立って

「Hey! come on!!」

と叫びピョンピョン跳ねながら踊りまくっていた…らしい。(楽しかったがその辺りの記憶はなく)気がつけばフロア中、ヨーロッパ人でいっぱいになっていた。 

一人旅をしていた男の子は誰も知り合いがいなくてこの旅行前に西海岸を旅した時に誰ともほとんど話せずつまらなかったと言っていたが、今回仲良くなれてとても良かったと語った。(その通りで帰国後彼は私たちの家に遊びに来ている)

踊り狂ってすっかり酔いがまわった私は帰り道のサウナの前で、帰りたくなーい!!と寝転がったらしい。相当楽しかったらしいが、同じホテルに泊まる同じツアーのおじ様たちと(彼らは定年退職の記念で来たかったツェルマットのスキーツアーに参加したといっていた)主人に帰るんだと担がれて帰路についた。

未だ語り継がれる伝説になっているが朝は砂利の跡がついた掌がズキズキと痛み、頭は二日酔いで痛みとてもスキーどころではなかった。

翌日朝食をとりにホテルの食堂に行くとマジマジと私を見るヨーロッパ人がいる。怪訝に思って見返すと「Oh!Dancing girl!」と言われた。

二日酔いの私の為に主人はゲレンデを諦め、私たちはツェルマットの街をお土産を覗きに散策していた。すると今回のツアーで姪っ子と来ていたおばさまと小さな街なのでバッタリとあった。

他はみんなゲレンデにいるはずなのでひとり街を散策していたその方に前夜の話を語った。彼女はトラットリアでのパーティーの後は宿泊先に帰ったので私の失態は知らない。

「まぁ、天下泰平ね」

笑いながら言われた。今思えば成田離婚もおかしくない様な羽目の外し方だったらしいが主人はそんな私を面白がってみていたように思う。全く良い思い出。


さて、旅行後私はイタリア語の勉強を始めた。最もそれは長男を妊娠し頓挫してしまったのだが。

いつかまたあの雄大な景色を、そびえるマッターホルンを見たい。その時に日本語を逆さに振るイタリア人に

「そのカード逆さですよ」

と声がかけられたらもっと楽しいことであろう。

まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!