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依存症の家族がいる場合

私の習う国際カウンセラー協会の講座の中で「セルフヒーリング」というのがある。その続編を習っていた時に面白いお題があったのでリトライしてアップすることにした。
「愛情とはどんなものか?」というのが根底にあるので読みながらどんな風に考えるか一緒に考えて読み進めて貰えば幸いです。

今回は「パチンコ依存症の家族と一緒にいるがどうやったらパチンコをやめてくれますか?」という課題でした。

先生は依存症者の気持ちになると分かりやすいよ、とおっしゃってました。

まず、私の考えは

依存症者はパチンコに依存している訳で、本人にやめてくれと言ってもやめる訳がない。やめたいとは思っていないから。

依存症とはどういう人がなるのだろうと考えると、「愛されたい人」だと思うのです。どんな形でも周囲に関心を持ってもらいたいので悪いことをしてでも自分に関わってほしいのだと思います。
なので、まずは相手を認めるところからしてみたらどうかと思います。

相手側は変わらない、なら自分はこの人と関わっていかないとならない、なら受け入れる。

例えばパチンコに行かない日があれば、

1日いてくれてよかった、ありがとうと言ってみる。あなたがずつと一緒にいてくれたから私は心が落ち着いたと感謝するのです。普通の当たり前な事が出来ないから周りは困るのですが、依存症者には当たり前が当たり前ではないのです。
そして認めてほしい、愛して欲しいなので、充分愛情を現すしかないのかなと思います。反面、我慢する家族はたまらない、と言うことになります。

 パチンコ依存の場合の家族の心配は、生活費を使い込んで今日これからの予定も立たない不安なのだと思います。私達は生きている限り生活をしなければなりません。
ではどうしたらいいのか?

我慢の限界を知ることではないでしょうか?

自分が相手のせいで自己犠牲させられるのは辛すぎます。それでも私は側にいたいという場合以外は。そこでここまでしか出来ないと決めたらそれは相手に伝えます。どんなに泣いても脅しても、限界以上の事をされたら依存症者のもとから去ると言うことを実践します。

揺るがない自分がないとこれはできません。

出来ないと共依存となり抜け出すことは出来ないと思います。なんにしても相手は変わらない、思考を変えるのはこの場合、相談者の家族の方だと私は思いました。先生は依存症者は心が弱い人、さびしい人だといいます。では家族の考え方は?というと、依存が自分だったら怖くないか?

それこそストーカーなどの類となりなす。

それよりは、まだパチンコに依存する方がよくはないか?しかし、だからと言ってパチンコに生活費をすべて使って家族も一緒に路頭に迷う訳にはいかない。

自活はできるだろうか?考えてみる。自活できるなら、その依存症者を養っていけるか?そこまでしても一緒にいたいか?という考えになる。

伴侶が依存症者の場合、ともにいるか、捨てるか、そこでジャッジをすることができる

さて、ここで参加していた生徒さんの中で「もし依存症者が自分の子供だった場合はどうしたらいいのでしょうか?」と質問が出ました。子供はなかなか捨てるという選択にはならないからです。

先生は、親子関係をもう一度見直してみる、と言いました。まだ、愛情をかけて欲しくて依存症になっている可能性があるので、昔の様に(幼い子供の頃の様に)子供の世話をする、子供に愛情をかける。とおっしゃいました。依存症になるのは、何かから逃げて立ち向かっていかないからだと先生はいいます。子供は愛情が足りれば安心して親の元を巣立っていけるってことなんでしょうか。今回のテーマはとても難しいなぁと思いました。

(2015.8.31リトライ)

まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!