見出し画像

男女平等は何故ダメなのか

◆前提

ここでいう「男女平等」とは「巷で叫ばれる男女平等/フェミニズムの文脈で使われる男女平等」のことである。男性である筆者がそれに反対する理由をシンプルに纏めよう。

◆機会平等と結果平等

まず「平等」という概念は二つに大別される。 こちらの説明がわかりやすいと思うが、もっと平たく書くならば

・機会平等→スタートラインの平等
・結果平等→ゴールラインの平等 

のことである。

当該「平等」が「機会平等」を指すならば、主にフェミニストが訴える「女性が働きやすい環境作り」などは不要であり、むしろ機会平等に反することになる。男性と同等の労働環境を与えればそれで足りるからだ。

「結果平等」を貫くならば、確かに女性の管理職の数や平均賃金を平等にしなくてはならない。そのための労働環境整備なども必要になるだろう。

しかし「結果平等」を女性が不利な局面においてのみ適用するのは、明らかに不公平である。 男性の自殺率、ホームレス率の高さ、労働時間の多さや主夫率の低さ、もっと総括的にいえば幸福度の低さなども社会的に調整されるべきだ。

さらには賃金の平等、収入の平等を訴えるならば「支出の平等」も達成されるべきである。特に日本は小遣い制が根強い国柄なので、妻側が財布を握る家庭は未だに少なくない。

しかし、フェミニストの文脈では上に挙げたような男性救済項目については殆ど無視しているのが現状である。

◆フェミニストはママではない

上のような指摘をすると、しばしば「フェミニストは男性たちのママではない(男性の問題は男性間で解決せよ)」と突き放されることがある。

それならば、男性側から「女性の問題は女性間で解決せよ。男性(社会)はフェミニストのパパではない」と切り返されても仕方がないのではなかろうか。

要約すると、フェミニズムの文脈で主に語られる「巷の男女平等」というのは「女性が不利な局面では結果平等を訴え/男性が不利な局面では機会平等や自己責任論で済まそうとする」思想に過ぎず、まさに身勝手ないいとこ取りと断じざるを得ないのである。

◆結論

以上の理由により、筆者のみならず男性に多くにとって「巷の男女平等」ついては、ほとんど協力する理由が無く、反発する理由は大いにあることになる。「フェミニズム的男女平等」は単なるジャイアニズムに過ぎないのだから。

◆補足

フェミニズム的男女平等が似非平等、女性優遇に過ぎないことは上述の通りである。では機会平等にせよ結果平等にせよ、あらゆる局面に於いて男女が横並びになる「真の男女平等についてはどう評価すべきなのか?」という発展的論点が浮かび上がってくる。これについてはまた別の機会に。

◇関連リンク


お酒を飲みます