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(番外編)生涯、浅見光彦シリーズのファンとして

全くもって、年金とも社労士とも関係のない話なのですが……。
 
3月13日は、推理作家・内田康夫氏の命日です。
お亡くなりになって5年。
「名探偵・浅見光彦シリーズ」といえば、ご存知の方もいらっしゃるでしょうか。2時間サスペンスとして、テレビドラマ化されていました。
 
先日、私はこちらで小説を書きました。
お読みいただいた方には大変ありがたく思います。
私がなぜ小説を書いたりなどするのか? 作家の内田先生に負うところが大きいです。

浅見シリーズを初めて読んだのは30年前のこと。一読で浅見さんのファンになった私は、平成7年7月7日を待って、ファンクラブに入りました。
翌年、会報に運命的なコーナーが誕生しました。
「リレーミステリー」
内田先生と会員が、浅見シリーズの小説を交互に書いていく……というものです。
会員の原稿は毎回募集され、作家先生が直接お読みになり、選ばれなかった分も含めて、会報紙上で一言、講評をいただいていました。
 
当時の私は、資格取得と読書、そして小説書きに夢中になっていた学生。
もちろん、「リレーミステリー」を知ったときには、即応募。
いきなりうれしい結果となり、初めていただいたサイン本は大事な宝となっています。
やがて、学生卒業と同時に小説書きも卒業。それでも、この会報のコーナーにだけは参加しつづけました。
 
作家先生に直々に読んでいただける。それだけで十分、励みになります。
一方、「恥ずかしい文章だけは書きたくない……」。その一心で、ワープロを前に、やがてそれはパソコンに姿を変えてからも、楽しみながら、悩みながら、何度も練り直していました。
知らず知らずのうちに、書く鍛錬をさせていただいたのだと思います。
 
コーナーは10年ぐらい続きました。平均して年2回程度の募集で、分量も原稿用紙換算10枚足らずでした。
それでも、毎回毎回、内田先生は目を通してくださっていたようです。
振り返れば、ご自身の執筆・締め切りでお忙しい中、素人の書いたものをよくお読みになっていたかと思います。それほど、ファンへのサービス精神旺盛な方でした。
コーナーが終わり、その小説が単行本化され、サイン会に行ったときのこと。私の名前を見て、
「○○さん? よく投稿してくれてた……」
私の名を憶えてくださっていたのです。驚き、感激です。1人1人のファンを大切にされている御心を、そのとき実感させられました。

その内田先生は、2017年、ご病気のため休筆宣言されました。
連載中であった小説は未完で発刊。続きは一般公募されることになりました。
100作を超える浅見シリーズで、初めてのことです。

購入したその小説本を前にして、表紙を開くことをためらいました。
これが最後のご著作になるかもしれない。その現実を受け入れられませんでした。
それでも……。

大好きな浅見シリーズ、公募するならば、どうしても書きたい!
ファンが書いた小説をお読みいただくことで、お元気になってほしい!

その思いが何十倍も勝りました。
会報でのコーナーが終わって約10年。その間、小説書きから離れていた私は、再び、執筆というものに目覚めていきました。

しかし、願いは叶いませんでした。
2018年3月、先生がお亡くなりになってしまったのです。
締め切りまで、あと1ヵ月余り。推敲に全力を注いでいた最中の私は、気力が萎えてしまいました。
そんな中、休日になるのを待って、軽井沢の浅見光彦記念館へとお別れに向かったのです。
 

2018年3月 浅見光彦記念館

館内には、小説にまつわる品やパネルが展示されています。
奥に献花台が設けられていました。
ご遺影を前に手を合わせたとき、心の中で誓っていました。

翌月末、原稿用紙換算460枚分ほど書き上げ、応募。
結果的には選ばれませんでしたが、参加できたことは、ファン歴25周年の集大成にふさわしい、一生涯の記念です。
何より、書くことの楽しさを再び、思い起こさせてもらえました。
 
最後にこうして書く機会を授けてくださった……。
ここで終わりたくないし、終わるべきではない。だから、これからも書き続けよう……。
浅見光彦記念館で誓ったはずでしたが……。
 
その後の5年間、再び、小説書きから遠ざかってしまいました。
「いまは足元を固めるのが先」と後回し。
「いつかは……」と先延ばし。
 
noteで小説を投稿した日。
BSで浅見シリーズが再放送されていることを思い出しました。
少しだけ、ぼんやり観ながら、ようやく小説を書くことかできたのだということに、気づきました。
 
書くことで何ができるか分かりません。
最近、「動画には敵わない」と思い知らされたことがあります。
小説も同じ。映像化されたほうが分かりやすいです。
 
けれど、小説には、その行間に登場人物のさまざまな感情が宿っています。
モノクロの文字だけの世界にも、たくさんの色や形が潜んでいます。
小説の「浅見光彦」には、演じられた俳優の方々とは違う、自分なりの浅見さんのイメージを描くことができます。
  
小説に限らずですが、書くことでしかできない世界を追究しつづけていきます。
「恥ずかしい文章だけは書きたくない……」。あのころと同じ思いをいつまでも忘れずに、これからも書いていきます。

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