ベツレヘムの羊飼い
6年半勤めた会社を辞めることにした。
2020年の暮れに会社が買収されたことによる組織変更がきっかけだった。イギリスの本社に至るまでマネージャーラインがすべてリストラされ、組織の混乱が始まった。そして4ヶ月経った今でも、その混乱は収まっていない。
ミーティングで直属の上司が自身の退社をアナウンスし、呆然とした気持ちで業務に戻ったところ、携帯が鳴った。1年前に会話したきりの転職エージェントだった。「そういう転機なのか」と、僕もそこでスイッチが入った。
おそらく15社ぐらいに応募して、10社ぐらい面接を行ったと思う。2ヶ月後、ようやく1社内定をもらった。これだけの密度で転職活動が行えたのは、コロナ禍によって加速されたオンライン時代の恩恵だった。これが直接足を運んでの面談であったら、普段の勤めを続けながら2ヶ月の間に10社をこなすことはまず不可能だ。
内定が出たのはイスラエルに本社を置くIT企業だ。そして今の会社の一つ前に勤めていたのも、イスラエルの企業だった。偶然とはいえ、不思議な縁だと思う。
* * *
まだ転職活動中の、2021年2月に遡る。
日本に里帰りしていた優児に会う機会があった。彼は数年前から南米のチリに住んでいる。年始だけの帰国のはずが、COVID-19による非常事態宣言のおかげで春先になっても日本で足止めを食っていた。互いの近況報告のつもりが、僕はついつい自分の話ばかりしてしまっていた。
「今度受ける会社さ、またイスラエルの会社なんだよ」
申し訳ないと思いつつ、聞き上手の彼につい甘えてしまう。
「多分、その会社に呼ばれますよ」
まったく驚いた様子もなく、彼は静かに答えた。これまでも彼はたびたび、僕の未来を予見するようなことを言うことがあった。
「実はチリにいる間、何度かイスラエルのハイファあたりの街並みを歩いているつっちーさんが目に浮かぶことがありました。『あれ?今イスラエルにいるんだっけ?』って勘違いするぐらい強烈なイメージでした」
* * *
果たして、彼の言う通りになった。
面接を受けた中でも内定までたどり着けたのは1社のみ。しかもその会社に限って、「応募者の中で一番のパフォーマンス」という高評価だった。こう言うと手前味噌のようだが、その10数倍もの案件で「語学の実力に不安がある」「技術的なバックグラウンドがマッチしていない」と落とされてしまっている。
それだけに、この評価は自分でも狐につままれたようだった。
「もうあの土地とは、縁が結ばれていますよ。人生を振り返ってみてください」
事も無げに優児は、穏やかに話す。僕は幼い頃のことを思い出していた。
* * *
僕はカトリックの幼稚園に通わされた。実家は禅宗の檀家で、もちろん僕自身もクリスチャンではない。通わされた理由は今でもわからない。小学校の学区から離れたところにある幼稚園だったので、小学校に上がっても顔見知りがおらず、寂しいを思いをしたのを覚えている。
キリスト教系の幼稚園では、クリスマスの時期になるとキリストの生誕劇をやるものだ。キリスト自身は赤ん坊の人形で、主人公とヒロインはヨセフとマリアということになる。
当然、そんな大役が僕に来るはずもなく、僕は3人の羊飼いのうちの1人だった。
ある夜、僕を含めた羊飼いたちはいつものようにベツレヘムの近くで羊の番をしている。突然、彼らの目の前に光り輝く天使が現れ、恐れおののく彼らに救い主の誕生を告げる。羊飼いたちはそのままベツレヘムに赴き、そこで生まれた赤ん坊に祈りを捧げる。
後になって知ったところによると当時のヘブライ人社会における羊飼いの地位は非常に低く、一種のアウトサイダーのような位置づけであったようだ。だからこそ救い主の誕生を告げられる意味があったのだろう。
それから長い年月を経て、僕はイスラエルに本社を置くWi-Fi関連の若い企業に就職した。2013年の8月に本社のあるテルアビブに2周間滞在し、その期間にエルサレムからパレスチナ自治区に入りベツレヘムを訪れるツアーに参加した。
イスラエル国内発着でパレスチナ自治区を巡るツアーは当たり前のように存在する。その一団に入っていれば国境のゲートさえ、パスポートを形式的にちらりと見せるだけで簡単に出入りすることができる。
記事のヘッダ画像は、そのツアーでエルサレムからベツレヘムに向かう途中の景色を撮ったものだ。
幼稚園の頃から名前を知っていたベツレヘムという街に、40歳を過ぎてから足を踏み入れることになった。人生とはつくづく不思議なものだと感じた。
* * *
その後しばらくして、2014年7月にイスラエル政府によるガザ侵攻が始まった。イスラエルの情勢は混乱し、その影響で僕のいた会社はあっけなく倒産してしまった。
幸いその後1ヶ月程度で今のイギリスの会社に拾ってもらったのだが、6年半勤めたその会社も安住の地ではなくなってしまった。
そしてまたこのたび、イスラエルの会社に移ることになった。
「ひょっとしたら、幼稚園からじゃないかもしれないんです。もっともっと昔からの縁かもしれません」
「おいおい、まさか前世とか言うの?」
顔では笑いながら内心では、僕は彼の言うことを否定しきれないでいた。
テルアビブという街は本当に風光明媚で、中心街から15分も歩けば地中海のビーチにたどり着く。治安も良く、アジア人が一人で歩いても怖い目にはまったく遭わない。そんな過ごしやすい街に2周間滞在したというのに、今でもまぶたの裏に浮かぶのはテルアビブの白い砂浜ではなく、エルサレムやベツレヘムの周辺に広がる石くれだらけ荒野だ。
そして僕は、その荒野に焦がれるような郷愁を感じている。
「その新しいイスラエルの会社で、生まれ故郷の鶴岡に繋がる仕事をするような気がしますよ」
それが彼の未来視のうちなのかどうか、今の時点では何とも分からない。
* * *
気になって、母親に電話してみた。
まずは近況報告として、会社を変えることにしたこと、またイスラエルの会社になったことを話した。そしてカトリックの幼稚園で教わったエルサレムやベツレヘムという街に、40歳を過ぎてから行くことになって不思議な縁を感じたことを。
「今まで聞いたことなかったけど、何で俺はあの時、カトリックの幼稚園に通うことになったんだろう?小学校に上がったら、全然友達がいなくてさ」
もちろん今となっては僕にとっても、笑い話でしかないことだ。
「そうね、あの時は可哀想なことをしたと私も思ったのよ……でも何でかって聞かれても、全然分からないの。お父さんが勝手に独りで決めたことだったのよ」
結局この不思議な縁の理由は、亡父が墓に持っていってしまった。
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