見出し画像

巣立ちを待ち続けた人

知り合ったのは、もう20年以上前になる。僕は25歳、彼は35歳ほどだったろうか。

当時、彼には少し年下の恋人がいて、そちらは確か当時30歳過ぎぐらい。僕からすると少し年上ということになる。

彼は僕のことを気に入ってくれていたのだと思う。当時の恋人さんを伴って、僕の済んでいる街まで遊びに来てくれて、一緒に居酒屋で食事したりカラオケに行ったりした。

人をびっくりさせるのが好きな人で、待ち合わせに現れた彼のかぶっていたニット帽には、おもちゃのプロペラがついていた。それが五月の風に吹かれて、ドラえもんのタケコプターみたいに、ぷるぷると回っていた。僕はおかしくて、駅前で声を上げて笑った。

タケコプターの帽子をかぶっていたから、仮に、彼のことをタケさんと呼ぶとしよう。とあるゲイバーで、タケさんと他愛ない悪戯をしたこともあった。

そこは、お客同士のタイプが一致すると分かるやママが半ば強引に二人を引き合わせカップルにしてしまう、いわゆる「くっ付けバー」と呼ばれる店だった。そこで、お互いが時間をずらしてその店に入って、それぞれでママさんに自分のタイプを説明する。背格好や年齢など、もちろんお互いがタイプに入るように描写をするわけだ。そして本当にお互いをくっ付けてくれるか、試してみる。

そんな他愛ない遊びでも、当時の恋人さんが軽く妬いていたらしい。そんなことだけで妬くということは、タケさんが僕のことを気に入っているということも恋人さんは知っていたのだろう。悪いことをした。

もちろん、その恋人さんも僕によくしてくれていたから、タケさんと一線を越える気はなかった。二人でそんな悪ふざけをしに、夜の街に遊びに行く程度だった。

✳︎

その後、何となく彼らと会う機会は無くなってしまった。伝え聞くところでは、タケさんはその時の恋人さんの後、しばらくのシングル生活を経て42歳ぐらいの時に、20歳の恋人をつかまえたと言うことだった。

そしてそのまま、10年程が過ぎた。当時とは別の、赤い看板の店でよく顔を合わせるようになった。彼は50歳を過ぎ、そして僕も40代になっていた。そして、お互いのことを話すようになった。

タケさんの歳の離れた恋人のことも聞いてみた。同居の関係は続いているものの、すでに恋愛関係は解消してしまったということだった。

「本当はあの子にも、早く別の相手を見つけて出て行ってもらってほしいんだけどね」

出会ったころはまだ大学生だった恋人くんも、その後大きな企業に勤めて、今じゃ自分より稼ぎがいいんだって苦笑していた。

「そろそろタケさんも、別の恋を探してはどうかなあ。もう彼とも恋愛関係を解消して、同居人になってしまっているわけだし」
「僕の方が先にそれをすることは、できない」
「どうして?」
「僕は彼が20歳の時に付き合い始めて、それから10年続いた。つまり、僕が彼の青春を奪ってしまった」
「そんなの、お互い様でしょう」
「確かにもう恋人ではないけれど、彼が別に相手を見つけて、僕のところを巣立って行くまで、僕の方が先に未来に踏み出すわけには行かないんだよ」

彼の口調には揺るぎが無い。酒の勢いも手伝って、僕は半分意地になって、彼を崩したくなってしまっていた。

「奪ったんじゃなくて、彼が自分から捧げたとは考えられないかなあ」
「それを僕から言うのは、自分勝手すぎるよ」

頭がよくて頑固な人というのは、説得することが本当に難しい。

「僕からすると、結局タケさんが執着しているだけのような気がするんだけどな」
「そんなことはないよ。彼には、他の人を見つけなさいってしょっちゅう言ってる……でもね」

彼の視線は、グラスの上に落ちた。

「もしも本当に彼が自分のもとを去って行ってしまったら、ぽっかり穴が空いてしまうと思う。その時は、良かったら、昔みたいに話を聞いてほしい」

僕の顔を見ないまま、消えそうな声で言った。

「もちろん」

知らずに僕は笑っていたと思う。

✳︎

そんな話をしたのが、もう2年前のことになる。その後間もなく、いつもの場所で彼と会うことはめっきり無くなってしまった。

「つっちー、タケさんのこと、聞いた?」

その一言で、察しがついた。

「……ううん、初めて聞いた。病気?」
「癌だって」
「そっか。ありがとう」

その後のことを、僕は知らない。彼の元恋人くんは、その間に彼のもとを巣立っていったのだろうか。

「ね、あの人と一緒に住んでいた、元彼くんのことだけど」
「あの後、別の人を見つけて、家から出たみたいだよ」
「そっか……」

彼の望みは叶ったことになった。だけど本当はそれで終わるはずじゃなかった。その望みが叶って、彼はまた新しい人生を歩みだすはずだった。

「それがね、結局、戻ってきたんだって。新しい人と上手く行かなかったのかどうか、それは分からないんだけど。最期まで、一緒に居てあげることを選んだそうだよ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?