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壁を通じた連帯は可能か―「レノン・ウォール」に描かれた香港(倉本知明)

「倉本知明の台湾通信」第5回
暴民之歌』(2015年) 『樂天島』(2019年) 著: 鴻鴻

冷戦時代、自由な言論が統制されていたチェコでは、ジョン・レノンの思想や音楽に影響を受けた多くのプラハ市民が凶弾に倒れた彼の死を悼み、市内の壁に次々と落書きやメッセージを書き込んでいった。当局によって消された壁の落書きは、翌日には再び新たなメッセージで満ち溢れていたらしい。ジョン・レノンの壁と呼ばれたその場所は、当時言論の自由がなかったチェコにおいて、政府批判や平和へのメッセージを発信できる数少ないプラットフォームだった。人々は本に書かれた「事実」ではなく、都市の壁を読み書きすることによって、自由を抑圧する国家権力に抵抗していた。

考えてみれば不思議なもので、壁は他人から身を守る防壁にもなるし、自分と他人を隔てる障害にもなる。ベルリンの壁や万里の長城のように、権力によって他者と分断される手段にもなるが、逆に権力を分断する手段にもなる。壁に書き込まれる言葉とは自由を抑圧された人々が示す抵抗の意志であると同時に、人々を分断から連帯へと結びつけるネットワークにもなりえるのだ。

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現在、台湾の街を歩けば、そうした強烈な意志をもった壁を各所に目にできる。「連儂牆(レノン・ウォール)」と呼ばれるその壁は、もともと2014年の香港雨傘運動からはじまった民衆による抗議行動の一環だったが、香港情勢が緊迫の度合いを増していく中で、やがて台湾国内にも同様の動きが広がっていった。デモに無関心な日本と違って、「今天香港明天台灣(今日の香港が明日の台湾)」といった危機意識が強い台湾では、香港への関心が非常に高い。壁の前で足を止めて熱心にメッセージを書き込むのは、何も若い学生だけに止まらず、中高年や子ども連れの母親など、実に幅広い層に渡っている。

高雄で暮らす僕は、ひまさえあればこのレノン・ウォールを見てまわった。インターネットの書き込みと違って、壁に書かれたメッセージは文字の形や大きさ、メッセージを残す場所、それにメモ用紙の種類や返信方法など実にバリエーションに富み、現場まで足を運んでみてはじめて壁が放つその熱気と濃淡を肌で感じることができた。壁の前では通行人たちがごく自然に言葉を交わし、香港情勢や台湾の政治状況について口角泡を飛ばして意見を交えていた。

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――日本人? 日本人はどうして香港情勢にあんなにも無関心なんですか?

高雄港に隣接する旧市街・哈瑪星から中山大学のキャンパスへと通じる西子湾トンネル。そこに現れたレノン・ウォールを眺めていた僕は、熱心にメッセージを書き込んでいた学生からそう問いかけられた。日本語でメモを取っていたのを見て、僕が日本人だと思ったらしい。

――どうして隣人が理不尽な暴力に傷つき、血を流しているのを黙ってみていられるんですか。

彼は自分の感じている苛立ちがこの「冷たい」外国人に伝わったのか不安なようで、何度も壁に貼られた写真を指差した。写真には香港警察の発砲したビーンバック弾で右目に重傷を負った女性の痛々しい様子が映し出されていた。

僕は熱気を帯びた彼の問いかけに正面から答えることが出来ず、ただ曖昧な答えを繰り返した。地面にチョークで書かれたリルケの「厳粛な時」を踏みしめながら、僕は薄暗いトンネルの壁に書かれた言葉に目を走らせた。日本時代に掘られたそのトンネルは、戦時中は防空壕としても使われていたらしい。「いまどこか世界の中で死んでゆく/理由もなく世界の中で死んでゆく者は/私をじっと見つめている」。地面から目を上げると、催涙ガスに顔を歪めて倒れる香港の学生たちの写真が貼られてあった。熱心に話をする学生の目も催涙ガスを喰らった香港人のように赤く腫れていた。ふと僕の脳裏に、真っ白で清潔な日本の都市とそこに並び立つ無機質な壁が浮かんだ。

台中SOGO百貨店の傍にある地下トンネルのレノン・ウォールには、ドイツの反ナチ運動組織告白協会の指導者であったマルティン・ニーメラーの詩「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」を模した作品が掲げられてあった。その内容は、ナチスが迫害の対象をどんどん広げていくなかで、自分には関係ないと見てみぬふりをしていた「私」が、やがて迫害の対象にされた際に誰も自分のために声をあげてくれる人が残っていなかったといったものだ。

中国が最初台湾を攻撃したとき/私は怖くて声をあげなかった/次に中国がチベットを攻撃したとき/私はチベット人ではなかったから声をあげなかった/それから中国が新疆を攻撃したとき/私は新疆人ではなかったから声をあげなかった/そして中国が香港を攻撃したとき/私は香港人ではなかったから声をあげなかった/最後に中国が再び台湾に向かってきたとき/私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった

彼らは香港の問題を決して対岸の火事としてみてはいない。しかも、「中国が最初台湾を攻撃したとき」とは、おそらく1947年に台湾で発生した二・二八事件を指しているものと思われ、作品ではそこから続く中国への恐怖が円環状に舞い戻ってくるといった構造をとっている。台湾の都市に現れた無数の壁とそこで繰り返されるコミュニケーションは、香港について語るように見えて、実のところ台湾人自身について語っていることが多い。通行人たちは壁の言葉を熱心に読み、またときにそこへレスポンスを書き込むことで、台湾の過去と未来に思いを馳せている。

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トンネルの出口から差し込む光に照らされた壁に、鴻鴻の書いた作品の一節が抜書きされていた。鴻鴻は台湾の著名な詩人で、詩集『暴民之歌』(2015年)や『樂天島』(2019年)において、ひまわり学生運動や労使問題、反原発運動など、社会問題を積極的に創作に取り入れることで知られている。

文革から六四(註:天安門事件)に逃げてきて/広場から孤島に逃げてきて/WeChatからFacebookへと逃げてきて/この先には海しかない/これ以上どこに逃げる場所があるのか。

この先には海しかない。その海の向こうには台湾があるだけだ。背水の陣の覚悟で戦っている香港人と、その戦いを見つめる台湾人。香港警察は「暴徒」相手に実弾を発砲し、大学を「暴動」現場として武力鎮圧を加速させている。海には全裸になった15歳の少女の遺体が浮かぶなど不審死が相次いでいる。隣人は傷つき、まさに血を流している。いま私たちに必要なのは抵抗の意志を示すその壁を、声をあげない人たちとの間で共有することにある。たとえ沈黙の中にあっても、我々は壁を通じて繋がり合うことが可能なのだ。

(写真はいずれも筆者撮影)

執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)、王聡威『ここにいる』(白水社)、高村光太郎『智惠子抄』(麥田)がある。

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