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現代によみがえる「射日神話」から見える、己との向き合い方(倉本知明)

「倉本知明の台湾通信」第11回
牟吉(マチ)』(2021年)著:角斯

長く台湾で暮らしていると、太陽が二つ浮かんでいるのではないかと疑いたくなるほど、肺を焼くように強烈な熱気が体内に流れ込んでくることがある。こうした天気に出遭うと、台湾の友人たちは決まって「台灣的太陽很毒嘛(台湾の日差しはきついだろ)」と笑うが、南国特有の苛烈な陽光を表す形容詞に「毒」を使うのが言い得て妙だ。

各原住民族に伝わるさまざまな「射日神話」

『楚辞』天問篇には、かつて世界には10個の太陽があったとされる。10個の太陽たちは交替で地上を照らしていたが、尭帝の時代に入ると全ての太陽が同時に顔を出し、地上は灼熱地獄と化してしまった。それを見事に射落としたのが「逢蒙殺羿(羿を殺すものは逢蒙)」や「嫦娥奔月(嫦娥月に奔る)」などの故事でも知られる后羿(こうげい)だった。

太陽を射落とす伝説は、台湾原住民族の間でも広く共有されているが、それは中国の「射日神話」とは一風変わった形を採っている。台湾には現在政府が公式に認定した16の原住民族が存在するが、タイヤル族やツォウ族、ブヌン族やサイシャット族、ルカイ族など、太陽を射落とす伝説は広く部族を越えて伝えられている。例えば、タイヤル族の伝説ではかつて世界には二つの太陽が存在したとされ、その苛烈さをきらった人々によって、太陽を射落とすことが決められたという。部族から選ばれた3人の戦士が太陽を落とす旅に出たが、目標ははるか遠く、戦士たちは太陽を射る前に皆年老いていった。そこで、部族からは赤ん坊を背負った3名の戦士たちが再び太陽の討伐に向かい、老いて亡くなった父親たちの意思を継いだ子供たちが太陽を見事に射落としたのであった。射落とされた太陽は真っ白な月へと姿を変え、流れた血は星々となって世界に昼と夜が生まれた。

一方、カナカナブ族の伝説でも二つの太陽が登場するが、それを射落としたのはナパラマチと呼ばれる少年だった。孤児であった少女が河辺で魚を獲っていたときに流れついた流木を帯に挟んだ結果、生まれたとされるナパラマチは、指を差すだけで鳥や鹿を殺せるといった特殊な能力を持っていた。ある日、自分の狩猟道具を部族の人間からバカにされたナパラマチは、空に浮かぶ太陽の一つを射落とした。驚いたもう一つの太陽がその身を隠して世界が闇に包まれてしまったので、人々は供物を捧げて残った太陽を呼び戻し、世界に昼と夜が誕生したと伝えられている。

気鋭のイラストレーターが描く創世神話

太陽にまつわる物語には事欠かない台湾であるが、イラストレーターの角斯(Chiaos Tseng)が描いた絵本『牟吉(マチ)』(2021年)は、こうした台湾原住民の神話をベースとしながらも、独自の解釈を盛り込んだ新たな「射日神話」を描いている。主人公の少年マチは、前述したカナカナブ族の伝説に登場する神童ナパラマチをモデルにしている。カナカナブ族はかつてツォウ族の支族と見なされていてきたが、その言語・文化の独自性が認められて、2014年に政府から新たな原住民族として公式承認された比較的「新しい」原住民である(台湾原住民族委員会の統計では、2020年8月時点のカナカナブ族の人口は371人とされている)。

作者の角斯は、これまで口頭文学の中で造形化されていなかった台湾妖怪や原住民族の創世神話を積極的に可視化してきたイラストレーターとしても知られ、その成果はイラスト集『台灣妖怪地誌』(2014年)や『台灣妖怪卷壹:巨人怪説』(2015年)及び『台灣妖怪卷貳:怪生島』(2017年)に詳しい。また、台湾民間信仰における神々をイラスト化して解説を加えた『寶島搜神』(2018年)を発表するなど、2010年代にサブカルチャーの面から台湾本土文化の発展を支えてきたアーティストの一人でもある。

強大な力をもつのは太陽か、己の邪悪さか

物語はツォウ族の創世神話が下敷きになっている。天神ハモが地上に降臨して大樹を揺らすと、そこから落ちた無数の葉が人間(ツォウ族の祖先)へと変わっていくが、本書では大樹を這う幼虫からマチが誕生することになっている。また、物語には原住民族神話に共通する二つの太陽は現れず、成長したマチは自らの力を誇示するように、世界に一つしかない太陽を征伐するためにその跡を追い続ける。

台北帝国大学の言語学者であった小川尚義が編集した『原語による實録台湾高砂族傳說集』(1935年)に記録されているように、カナカナブ族に伝わる神話では、ナパラマチが超人的なその力で太陽を射落とした事実だけが語られている。

太陽はナパラマチに射られた。水溜に入つた。友人はのろかつたので、太陽の血に射られた。手探りして帰つた。久しく暗黒になつた。外の人々は難渋した。たきものが無かつた。食物も、彼等は畠小屋を焼いた。明るくして芋を掘つた。人々は太陽に供物を捧げて祭をした。太陽が来た。太陽が一寸来て、帰つた。段々と西に入つた。西に入つてしまつたから好くなつた。昔の太陽は二個であつた。ナパラマチが射つたから、一つだけになつた。(『原語による實録台湾高砂族傳說集』より)

太陽がマチに射られて人々が難渋する場面は共通しているが、角斯の絵本では暴走するマチの邪悪な心が強調されている。従来の「射日神話」が大自然(太陽)との対決を鮮明にしているのに対して、『牟吉』ではむしろ自身の心に巣食う邪悪さに、マチ自身がどのように向き合うのかに重心が置かれているのだ。

強大な力をもった太陽を追い詰めていく中で、マチの心に巣食う悪魔は徐々に膨らみ続け、その頭からは巨大な角が顔をのぞかせる。やがて疲れ切った太陽が悪魔にさらわれてしまった結果、世界は闇と寒さに覆われてしまい、地上の生き物たちは次々と命を落としていく。空っぽになってしまったマチは、そこで初めて生き残った仲間たちの歌声を耳にするのだった。

雨風が来て――暗闇もやって来た。
悪魔が お前の心を連れ去った お前の中には――あとどのくらいのお前が残っているのだ。
俺たちは互いに抱きしめ合い 勇気をふりしぼって悪魔を打ち破る。
暗闇を乗り越えて 雨風が静まるのを待つんだ。(『牟吉』より)

仲間たちの声を耳にしたマチは再び甦り、太陽を呑み込んだ自分自身の悪魔と向き合う。

角斯の絵本で描かれる物語は、中国の神話とも原住民の神話とも違った現代版「射日神話」が描かれている。現代人が向き合うべきは、古代人のような大自然の克服ではなく、むしろ己の中で膨らみ続ける支配欲や貪欲さ、自己顕示欲といった負の感情といかにして向き合うかということにあるのかもしれない。

そんなことを考えながら窓の外を眺めると、真っ白な4月の空にぶら下がった太陽が、花旗木(ピンクシャワーツリー)の咲き誇る地上を容赦なく照らしつけていた。30度を超える気温の中、僕はひとり孤独に輝く太陽に向かって見えない矢をつがえてみせた。お前の中には――あとどのくらいのお前が残っているのだ。

執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)、王聡威『ここにいる』(白水社)、高村光太郎『智惠子抄』(麥田)がある。

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