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真の”エモい”を見つけに

「青春しようぜ」という言葉から始まった。

高校の同級生である友人とLINEをしていたある日。”河川敷でMDを有線イヤホンに差して片方ずつ『渇いた叫び』を聴く”って真のエモさを感じるのでは?といった話題になった。

渇いた叫びは初代遊戯王アニメのオープニングだ。何故この曲なのかというと、私たちの世代ドンピシャだから。

https://youtu.be/LfxvAjyFPcg?si=_o0aQo8mNspcvwh3

(これは無断転載ですね)

もうMDはないが、この友人も過去に使用していたため、話が合った。そして母校の近くにある河川敷に行くことに。私たちの高校は山に囲まれた田舎の中にある。電車は4両編成。いつもの満員電車とは打って変わって乗客はポツポツとしかいない。

その日はカンカンに晴れて暑かった。桜はほとんど散ってしまっていたが、たんぽぽや他の花が結構咲いていて、わんちゃんの散歩をしている人や、おじいちゃんおばあちゃんがゲートボールみたいなものをしている平和な道を通る。

河川敷に着き、高架下を見つけて座る。日陰ということもあってそこは涼しく、気持ち良い風が顔を撫でた。高校時代の思い出をベラベラと話し、MDではなくスマホを取り出し、耳にかけるタイプの有線イヤホンではなくAirPodsで、YouTube検索をし、時代の進化を感じつつも渇いた叫びを聴いた。

「うわぁ…エモいな」友人は無意識のように言葉にした。私はあまり”エモい”という言葉を使用しないが、これはそうだなと思いながら二人で少し口ずさむ。

まあ、渇いた叫びを聴いていたのは高校時代ではないのだが、私たちはニコニコ黄金期を通ってきたため遊戯王ネタはほぼ把握していたしリアルタイムで初代遊戯王を観ていた世代だ。

というか、エモいってどういう意味だ?と思い検索をした。

「エモい」は、「何とも言えない気持ち」を表すときに使われる言葉。特に「切なさ」や「懐かしさ」を含む場合が多いようです。それらの出来事やシーンを目の当たりにし、心が揺さぶられることで「何とも言えない気持ち」になる。その状態が「エモい」という言葉で表現されていることが多い様子。
一般的に、語源は「感情的な」という意味を持つemotional(エモーショナル)にあると考えられています。「エモーショナルになる」略して「エモい」。ただフィーリングが重視される若者言葉ですので、語源も諸説あります。

Ojji.jp より

たしかに聴き終わったあとはなんとも言えない感情になった。溜め息というか「ほぅ…」と息が漏れる感じ。

夏のような晴天の日。母校の近くにある河川敷。高架下で心地いい風を感じる。懐かしい曲を聴く。

青春、つまり文字通り青い春を思い出すことは出来るし、こうして懐かしさを放出すると大人になってしまっても体験は出来る。そう思った。普段喫煙所以外では吸わないのだが、あまりにも良い気分になったためタバコを吸った。高校時代の私が見たら驚くだろう。「マジか、肺活量なくなってそう」って嫌味ったらしく。

その後、母校の前を通ると制服を着た高校生がたくさんいるのを見かけ、私たちも十何年か前はこの制服を着て登下校していたのだと考えると、妙にそわそわした。

友人の実家へ行き、高校卒業ぶりにお母さんに会った。当時から明るく可愛い声なのは何も変わっていなかった。

元々、友人から私を下の名前で呼んでくれているとを聞いていた私は、何故なのだろうと疑問だった。友人は苗字からついたあだ名で呼んでおり、同じ吹奏楽部であっても私の母とはあまり会話をしたことがない。仲がそれなりに良ければ呼ぶのは分かるのだが。

そのことを本人に聞いてみると、「お母さん同士の仲が良くても女の子たちは照れがあったのかあんまり話が出来なくて話しかけづらかったんだよね。いとしちゃんはその中でも一番話しやすかったし、それ以来いつのまにか呼んでたのよ〜」と言われ、嬉しいの一言だった。仲良くしているお母さんの子ども以外は名前が分からないらしく、話好きな彼女なのに意外だと思った。だから尚更嬉しかった。

立ち話をトータルで1時間くらいしていたと思う。誰々のお母さんと何年かぶりにご飯に行ったこと、顧問の先生とは比較的家が近いためスーパーで見かけたりすること、ワラビなどの山菜が採れたりお裾分けなどがあるためよく料理に使うこと、お母さん本人が中学生の頃の写真をアルバムを引っ張り出して見せてくれたりと、沢山話してくれた。

友人の部屋にお邪魔してそこでも話していると、本当にワラビを使った煮物を作ってくれ、ほぼ私だけで食べた。美味しかった。自分の実家ではなくとも母の味がした。このことを私が帰ったあとに友人が伝えたところ、嬉しそうに「おかわりしてくれても良かったのに!っていうかどんぶりで作ったのに〜!」と言っていたそうだ。

当時に戻ったという感じはしなかったが、記憶を辿ってただの懐かしいではない、言い表せない感情に終始なった。これがエモいというものなのだろうなと考えながら帰路に着いた。ちなみに帰りの電車は遅延しており、最寄り駅近くになると人の雑踏。普段の日常がそこにあり、現実に引き戻された。だからこそ田舎に通っていた頃をより一層恋しく思ったのだろう。

またいつか、あの高架下に行きたい。日常に疲れた時、あそこに行けば何も考えず、ただひたすらに部活に勤しんでいた自分を思い出す懐古厨になって、大人になった自分を鼓舞できる気がする。

余談だが、私たちが通っていた時には廃病院のような見た目をしていた校舎は綺麗になっていた。これはなんだかエモいとは別のなんとも言えない気持ちにならざるを得なかった。

読んでくださりありがとうございました。
また来週!

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