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千の風になって

友達の3回目の命日が過ぎた。
コロナ禍に彼女は白血病で旅立った。

その年、遅れて届いた寒中見舞いに闘病中だと、治ったら会おうと書いてあった。

なんとか確保したマスクをご家族宛に送った私に、彼女から一行だけのメールが届いた。
彼女がどんな状況にあるか、その短いメールが物語っていた。私はあとは祈ることしかできなかった。

そしてその年の暮れにお兄さんから喪中はがきが届いた。


あれから3年。ご両親の年齢を考えて、今後はお花を遠慮することにし、そっとお墓参りをさせてもらいたいと考えた。

そんな思いを伝えたくて、先日お母様に電話をしてみた。
電話の向こうから聞こえる1年ぶりの声になんとなく違和感を感じた。でも名字を告げると下の名前で呼びかけて下さった。
よかった。覚えてくれている、と少しお話していたところで突然、あなたはどなたでしたかな?と繰り返し尋ねてこられた。


そうか…シャキッとしていつも快活だったお母様だけど、この年齢で耐え難い悲しみを負われたのだ。


彼女が旅立つ直前も、お母様だけがほんの10分面会が許されただけ。彼女は1人で旅立ったそうだ。入院中は見舞いも許されず、耐え難かったと…お母様と2人で泣いた。

彼女はご家族の一人一人に宛てて手紙を残していたそう。
家族にも弱いところを極力見せなかったという彼女は、残していく家族にどんな気持ちで手紙を書いたのだろう。胸が痛い。

お母様はその手紙をまだ読めそうにないと、以前おっしゃっていたけど、その後読めたのだろうか。
私に届いた寒中見舞いはさよならのハガキだったんだと今は思ってる。彼女の弱いところを見たことがなかったから。


結局お墓参りは遠慮されてしまった。でも、きっとそうなるだろうと思っていた。
人への配慮を大切にするこのご家族が、遠方に住む私に、墓所を教えるということはないだろうと感じていたから。

以前も墓地の地域については話して下さっていたが、詳しい墓所はおっしゃらなかった。
その時聞いておけばよかったけれど「お墓はどこに?」という言葉が現実を突きつけるように感じて、どうしても口から出てこなかった。

ただ、お母様は今回私が電話をかけたことをとても喜んで下さっていた。
「覚えててくれてるだけで、本当に嬉しい。
これからもどうか覚えててね、想いだしてくれることがあの子にとっては一番やからね。お願いね」そう言ってくれた。

お母さんがこういってるんだ。
探すのはもうやめよう。

私は今年もちゃんと覚えていたんだもの。 

友達にこのことを話したら、
千の風にって言うもんな…と言った。


学生の頃、長い長い京都の通り。バスで行こうとぼやく私に「あかんあかん!このくらい何言ってんねん」と笑いながらズンズン歩いていた行動的な彼女を思い出す。
そうやな。そこにいるわけじゃない。あるだけだ。彼女がじっとしているわけがない。

命日は彼女を想い、心で祈ろうと思う。


彼女とは学生時代のふとしたバイトで知り合いました。大学も違ったけど、妙に気があって、その後長く続く友達になりました。どこに引っ越してもお互いの家を行き来していたけど、よく考えたら共通の知人がほとんどいなかった。
改めて素敵な関係だったんだと思います。


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