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どんな時代でも幸せを感じて生きるといこと

 わたしは、毒親育ち→結婚→出産→子育て→離婚→一人暮らし→二重世帯で(籍は抜いたまま)復縁 という人生経験を持っている。
 
 20代のころにはあまりの希死願望(私なんていないほうがいいなだろうなぁ、死んだほうが家族は幸せなんだろうなぁとおもうこと)が強くて、交通事故を「引き寄せて」しまった経験もある。
 その時ですら、なにか神懸かり的に助かり、今日まで生きている。
 (神様、ありがとうございます。)

 昨日、10年以上の付き合いがあるママ友と4年ぶりに我が家でお茶をした。

 古い友人で、子育て時代ではほぼ毎日子ども同士を遊ばせたり、我が家にも年中親子で遊びに来てくれていたり、親子で仲が良かったグループでは、とにかくよく出かけた。極めつけは、年に2回の外泊をいつも取りまとめてくれていた。それが本当に楽しみで、日々を乗り越えていたといっても過言ではなかった。ありがたい存在なのだ。

 とはいうものの、子どもたちが育ち、自立していくうちに交流も減り、最近ではコロナの影響もあり会わなくなっていた。
 私はSNSが苦手で、自分のことをFBやインスタで上げる行為が、本来は好きではなく、LINEのやり取りも必要事項以外はしない質なので、ここ数年ほぼ音沙汰ない状態だった。(変わり者…だと思う)
 だからと言って、友情が途切れるとか忘れてしまうとかではない。
 忘れてしまう人は「完全に忘れてしまう」。
 
 いろんな意味で「タイミング」だったのだろうか?
 たまたま、近所のスーパーで久々に再開した。二人とも顔を見た途端、テンションが上がり、その流れでお茶をしようと、なった。 
 
 彼女の素晴らしいところは、とにかく明るい。そして博識。判断が良い。
精神的に自立していて、ネガティブな人間に対しても交わし方が絶妙なのだ。家族に対しても「程よく献身的」であり「ノルマ」に対して懐が深く耐性がととても強い。
 友人たちに対しても「まとめ役」としてリーダーシップもある。
 唯一の欠点といえば、頑張りすぎて「自分の体」を酷使しすぎるところぐらいだろうか? 

 彼女と過ごした3時間は、とにかくあっという間で、話題は多岐にわたり、何とも言えない充足感と癒しの時間となった。

 

 方や、職場で最近、同僚になった古い知人がいる。

 これも「タイミング」なのか「神様からの課題」なのかわかないが、そうとしか思えない出来事で、転職先にこの人と同じ日に会社との「契約」をしたのだから、まずそうだろう。
 今回の職場は自宅から徒歩でいける職場で、こういうこともあるかと思っていた。
 過去にPTA 等で嫌な思いをさせられた人ではなかったのでほっとしていたが、一癖…三癖ぐらいあるのが判明した。

 おなじマンションの人で、子どもたちの学校時代から、それこそ「エレベーター」で出くわして軽く会話を交わすだけの関係であり、私とこの人とは交友もなく、PTAで一緒になったこともなく、子ども同士も学年や部活は違うし子ども同士も一度も友達になったことはない。「単なる古い知人」なのだが…

 仕事が終わると「同じマンション」なのでどうしても帰り道が一緒になる。

 その帰り道での彼女からの会話の切り出しが
 「研修する人の言い方が悪い」「わたしは要らない(クビ)とか言われているかも。」「子どもがわすれものしたから学校までもっていって大変だった(お子さんは高校生)」「きょうはまだ月曜日だ…」「もう週末のきぶん(火曜日)…」「昼から眠くてしたたなくて、仕事をさばくのが遅かった」「洗濯物干してきたから濡れてるわ(天気予報では午後から雨)」「家出るの遅くなって汗だくだった」

 ・・・書き上げてみただけで???である。
 この人も、私や先述の友人と年は変わらないので アラフィフと思われるのだが、何が言いたくてこのような「言葉ゴミ」を、一緒に帰るたびに渡してくるのか?
 どれもこれも「自分でどうにかできることばかりで、ぼやく必要もない」ことばかり。
 これを会話のきっかけにしている癖がある時点で、この人の生い立ちや交友歴や社会経験がうかがい知れてしまう。
 
 私にとって今回の職場と職種は、長い人生の旅路の末、ようやく出会えた「天職」との再会であり満足しかない環境だった。
 当然、気力も充実し、仕事に対しても「120%取り組めている」と自己満足する、日々が始まった。

 対して彼女はかれこれ半年同じようなことを繰り返して、モヤモヤを私に捨てていくのだ。
 
 これまで私は職場を選ぶ際に顔をさすことを避けて自宅から離れた職場ばかり選んできたので、今回のようなことは、久々の難儀となってしまった。

 しかも、この「ぼそっとゴミ」の波動エネルギーが相当低いらしく、せっかく自分はその日の仕事のノルマをやり切って超さわやかで帰ってきているのに、この「ゴミ(呪い)」のせいで家に帰ってからモヤモヤがずっと続いてしまう。
 …おかしい。なんでこんなに引き摺るのか??
 彼女には悪霊が憑いている、もしくは憑かれやすい(疲れやすい)と疑われた。

 私は巻き添えを喰うのはごめんなので、時差で帰宅する作戦で行くことにした。ところが、エレベーターに乗ろうとした直前で「追いついた!」と言われ捕まった日には「怖気」が立ってしまった。
 今。文章にしているとかなり、やばいやつなのが分かってきた。自分の整理のためにも、この一件を書いておこうと思う。

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 ある、天気の悪かった日。
 午後から土砂降りの雨になってしまった。
 私は昔から「置き傘」をしており、鞄には折りたたみ傘をいつも入れている。天気予報を気にしないで済むから楽なので、そうしている。
 当然、この日もなんの問題もなく帰ろうとしたら、職場のビルの1階で、間が悪く、彼女が追いついてしまった。
 
  女「わーー。めちゃくちゃ、降ってる」
  私「そうだね。(心の声→ またいつものごとく傘もなんも用意してないんだろう…)」
  ↓↓  間髪入れず ↓↓
  女「(あんたの持っている傘に)入れてくれる?! ( 私濡れちゃう、いいでしょ? 傘に入れてくれるよね )」 ←書いててキモすぎww
  私「(は?!悪いけど…とか、うっかりしてて…とか、ないんかい?! アナタみたいにデカい女が入ったら、私が半分ずぶ濡れになるやん~?!、マジ何も考えないな) なんでやねん!!!!www」
 
 お人よしすぎる私は「濡れて帰れ」とも「家族に傘を持ってきてもらえば?」とも言えずに、鞄の中の折りたたみ傘を貸した。

 極めつけに、
 女「この傘開きにくいワ、どうしたらいい??」
 とか、言い出して、不器用を全開にしているので、
 私「貸して。グッと開いて。 もう、古いから。(借りといて注文するなや~怒)」 
 と言いながら、大のおばさまに傘を開いてあげてしまう私だった。
 
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 私も単なるお人よしであることが良く分かった。

 で、昨日の友人にこの人への応対を相談したら、以下のことをアドバイスしてくれた。


 ① 「 はー、へー、ふーん、ほう! (この人の背を優しくパァン!!と叩いて→実は悪霊払い)今週もがんばってこーー!! じゃあぁねぇ~~!」
  と、流して流して 吹きとばす

 ② こういう人は暗転すると(魔が差して)何をするかわからない。 職場であることないこと言ったり、近所の人に悪い噂を流しかねないから、「功徳を積む」と思って、「大切な家族や良い仕事との縁が持てたんだからそれを護る」と思って、とにかく躱すだけにする。

 ③ 傘の出来事のような時には、「次から自分で用意してね」と伝えてさっぱりと貸してあげる。

 友人は神がかっていると感じた。神に愛されている人だと感じた。

 確かに職場の人は残念な人だ。
 世の中には彼女以上に深刻に残念な人がたくさんいる。
 悪魔や悪霊を自ら憑りつかせてしまい大罪を犯すゾンビすらいる。
 
 でもそれは、「その人」がえらんだ道で「私」には何のかかわりもないことなのだ。
 かかわってはいけないことなのだ。
 伝えることはできても「救済」はできない。
 「狭き門」をくぐると決めるのはその人にしかできないからだ。

 友人は、私に、職場の人が垂れ流す「ゴミ」は躱しつつ「悪霊」は祓いつつ、職場の人が選択している残念さを指摘せず、私の大切なものを護りつつ、丸く治めろと言ってくれたのである。このことを功徳だと諭してくれた。


 「幸せ」だと感じること、「幸せ」でいることは、自分でそうあろうとすることだけなのだと、常に「神の御心」を探し続けることなのだと、改めて感じた。

 そしてこのことを書いておこうと思った。

 これからの社会が世界が、どんなに「目に見えない火の海」になろうと、どんなに多くの人々が、自ら悪魔に魂を売りその手先になり悪事を働く事が横行する社会になっても、
あるいは自らの水準を下げて悪霊に取り憑かれゾンビ化した人間もどきだらけの社会になろうとも、このこと、つまり「狭き門をくぐる」事の意味を知っている人は生き延びるのである。
 
 そしてもう一つ知っていてほしいことは
 「神」はすべて「お見通し」だということ。
 「神」がその人から去った瞬間に、「神」とのつながりを失ったその瞬間に、「自ら永遠の地獄道を選んだ」のだということ。

 知っているか、知らないかでは、天国と地獄の差である。

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