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やってみた 〜30日目と1か月後〜

少し前に遡りますが、このような記事を書きました。


概要としては、
2月の中旬に、Instagramとfacebook(その性質から"ショートショート系SNS"と称して括っています)のアカウント削除手続きを行い、
復活可能な1か月間に再ログインしなければ完全に消されるという状況の中で、何を思い、どのような状況を迎えるか?アカウント完全削除となるか?
という時期を過ごしました。


まず結果としてどのようになったか。

アカウントが完全に消えました。

少し前に会った友人からも
「なんか、SNSから消えたよね?!」
と言われたので、ちゃんと形跡も無い状態のようです。


そして現在は、アカウントがちゃんと消えてから1か月程度が過ぎています。
(本当はすぐに記事を書こうと予定していたのですが、気が付いたら…)

その後の生活、如何様になっているか。

率直に言って、何も変わっていません。
いやむしろ、ちょっと身軽というか気軽というか、プラスを得られているかもしれません。


以下、本件を経た私の目線からの見識を記していきます。
「SNS断ち」に関心があったり、実践してみようか検討していたりする人へ、一助でも参考になれば幸いです。



1. SNSの有無による生活の違い

私の個人的な見解として、ショートショート系SNSに関与していると下記のような状況にハマっていたように実感しています。

・ワンタップで開ける手軽さから、常に心の端っこを掴まれている
・見栄えの良い投稿をるために、スマホカメラの使用時間が増える
・投稿を積み重ねるために、カメラの使用頻度も増える
・自身の言動が、他人の投稿による影響を受ける
・無関心な広告に晒され続ける


単純な話、関与しなくなるとこれらから脱却することになります。

・自分の意識を引き付けられる対象が無くなる
・カメラを使う時間がグッと減る
・自分の意志で動いている感覚が湧いてくる
・余計な情報に晒されづらくなる(※時勢的にゼロにはならない)


各対応関係について考える良し悪しは、人それぞれの価値観に依存するところかと思います。

「SNSに触れない分、時間にゆとりが出来る」のか「楽しみが無くなる分、心の安らぎが失われる」のか。

「自分の残したいものだけを撮るようになる」と捉えるのか「他人と、楽しかった事の共有をしづらくなる」と捉えるのか。

「自分に必要と思う情報だけを選択的に見れる」と考えるのか「新しい情報や流行に触れづらくなる」と考えるのか。

等々


ちなみに私は、ショートショート系SNSに触れなくなって2か月が経ち、上記については3つとも前者であり、けっこう大きなプラスを享受しているように感じています。


2. 脱SNSによる僅かな懸念点

生活全般としては快適さを感じているところではありますが、ちょっとだけ気に掛かるところがあります。

それは、
これまでSNSを通じて知り得ていた友人の近況などが、知れなくなる
ということ。


私は孤高に生きる性格ではありませんから、やはり気の知れた他者との繋がりを感じていられることに安心や楽しみを得ていたところがありました。
(SNSを止めてみて、そうであったことを知った)

だから、時々は
「よくSNSで見ていたあの人、その後はどんな様子かな〜」
と思い浮かぶことも。

「このまま孤独感まで発展していき、SNSを再開したくなるかもしれない」
というイメージもしていました。


しかし2か月間を過ごしているうちに、そんなイメージが私には杞憂であることが分かりました。

無駄な広告はともかく、知人たちの情報を知れないマイナスは、考えればいくらかは思い付きます。

ただ、そのマイナスが実生活にどのような悪影響を及ぼしているかと考えてみると、これといった悪影響が見当たらないのです。

きっとこれが、学生のように有無を言わさず他人と空間を共有させられる立場にあれば違うのかも知れませんが、
社会人となった今となっては、各友人知人とは数か月や数年に1度くらい、何時間か会う程度です。

それくらいの距離感であれば、事細かな近況を知らないことが日常に及ぼす影響なんて無いですし、むしろ久々に会った際の会話が華やぐという楽しみが出来るくらいです。


また、改めて思い知った事があります。


良い投稿を積み重ねようと取り組んでいたSNS、自分が思っているのを大いに下回るくらい、他人は気に掛けちゃいない。


発信を通じて収益を得ているプロならば多くの人が注目するでしょうから、話は別ですが、自己満足を求める一般人であれば、知人友人は大して気に掛けちゃいません。

実際、SNSアカウントが消えてからの1か月間で何人かの友人と会いましたが、
冒頭で言った「消えたよね?!」の友人とのSNSに関する会話は数分で終わりましたし、
お花見のために集まったブループ内では話題に上りすらしませんでした。

加えて、そうした経過の中で思ったのですが、かつてのように
「そういえばSNSで見たけど、〜だったんだって?」という過去をあえて掘り返す会話より、
「最近は〜でさぁ、・・・」という、まさに現状を映し出している会話の方が、その時に話したい事を話し、臨場感を共有できるという感覚に面白さがあります。


そもそも、ある程度の頻度で会う人とは、細かな近況発信で繋がっていなくても、対面した際に話し合えればお互いの今を知れますし、
SNSでしか関わらなくなったような人とは、実際に関与し合うことが無くなっている程度の関係性なので、知れなくなったところで問題が無いのです。
(どこかで偶然に再会したとき、また仲睦まじく過ごせたらそれは幸せ)


ネット社会と言われる昨今、SNSが他人との繋がりをつくるための強力なツールであることは事実でしょうし、
未だ廃れなそうなマッチング系ツールも含め、人ごとに利用価値を見出すことは良いことだと思います。

ただ一方で、ネットだけの繋がりに、大した価値を執拗に押し付けておく必要もないのだろうとも思います。


3. 結局は"目的"次第か

今回、私がSNSアカウントを消したことによる見解を一個人として記しましたが、世間ではより一般的な論述として利点や弊害が散見されています。

詰まる所、SNSの利用というのは良いことなのか、悪いことなのか?


おそらく、発信者としてプロの人や、事業の宣伝のために発信している人にとっては、誰でも無料で短時間で扱えるというリスクの低さで、不特定多数のネット住民にアプローチできるというメリットは大きいことでしょう。

しかしかつての私のように、なんとなくで可もなく不可もない、端からは「どーでもいい事」だけを投稿したり流し見したりしている人や、その世界に依存している人にとっては、メリットが小さいか皆無であり、むしろデメリットが上回るものになっているかもしれません。
(依存については、認めたくない人も、それが無意識で自認できない人もいるかもしれませんが、深く言及しません)


誰でも手にできる環境ですから、究極は「お好きにどうぞ、やりたければやればいい」というものではあります。

ただ一方で、「誰でもできるものだからって、絶対にやるべしということはない」というものでもあります。

どちらが良いかは、それぞれの意思や目的次第なのでしょう。


きっと私は、今後もずっと、アカウントが再起することはないでしょう。
(万が一にも起業なんてした日にゃ、公用として新生させるかもしれませんが、それもどんな世界線なのやら)

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