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第9回 涙が出ちゃう

[編集部からの連載ご案内]
『うろん紀行』でも知られるわかしょ文庫さんによる、不気味さや歪みや奇妙なものの先に見える「美しきもの」へと迫る随筆。今回は年明け最初です(あけましておめでとうございます)。なお、本原稿は昨年末に執筆されたものです。(月1回更新予定)


「楽しいことがない」とあなたは言う。笑いながら、冗談めかしてだけど、それは実感のこもった真実の言葉だ。そんなこと言うなよ〜、とふざけながら、わたしはその場に崩れ落ちそうになる。全ての筋力を失い、重力に屈してしまいそうになる。あなたの細やかな気遣いや、優しさや、気高さが、どれほどわたしを奮い立たせてきたか、あなたはわかっているのだろうか?あなたに楽しいことがない世界なんて、ウソもんだ。島らっきょう、里芋のコロッケ、シイラの唐揚げを追加注文して、戦争終わらないね、ほんといやだ、と言って芋のお湯割りに唐辛子をいれたものに口をつける。完全に心を閉ざして、画面の奥のひとたちはあくまでも画面の奥にいるひとたちで、わたしとはまったくの無関係なのだと思ってしまいたい。共感しようと努力することを一切やめてしまいたい。けれどもそうすることは、身も心も愚かな悪に染めあげてしまうことだろう。世界がウソもんならよっぽど良かった。わたしはあなたに、あなたが一番好きなお笑い芸人について、来年こそ売れるんじゃない、と言う。売れることだけが全てじゃないし、本人たちが満足できるのが一番いいけど、でもきっとうまくいくよ、あのひとたちが評価されないなんてウソだと思うと、よく知りもしないくせに適当な意見を述べる。あなたは「そうかな」と言ってジョッキを傾ける。中に入っているのは、ウソもんではなく本物のビールだ。
 
日付をまたいであなたが帰ってくる。あなたはすっかり疲れてしまい、わたしが用意したごはんを食べずに寝てしまう。この数年で、あなたはぎょっとするくらい白髪が増えた。年不相応なあなたの前髪を見て、わたしは関口宏を思い出す。だから我が家は東京フレンドパークII。関口宏のホイッスルは偉大な発明だ。関西のお笑い芸人のツッコミといえば、「なんでやねん」と「もうええわ」だが、関東の関口宏はホイッスルひとつ。それで十分に意味が通る。関口宏のホイッスルはその場の文脈を内包し、全ての意味になりうる万能の言葉だ。けれどもあなたは疲れ果てているから、ホイッスルを吹くことすらできないんじゃないか。太宰治の「饗応夫人」で「奥さま」は、
 
 泣くような笑うような笛の音に似た不思議な声
 
をあげるけど、あれは形を変えたSOSのサインに違いない。だから「奥さま」はきっと、沈黙したときが死んでしまうときなのだ。わたしは意識を失っているあなたの背中に、死ぬよ、と声をかける。そのうち本当に死んでしまうだろう。明日かもしれない。誰しもひとはみないつ死ぬかわからないが、それでも日付が変わらないと帰ってこられずアルコールをとらない日のない人間は、そうでない人間よりも早く死ぬだろう。あなたはこないだ、「アルコールをやめられない」と言って泣いた。本当に死んでしまったら、わたしは、もっと本気でいさめればよかった、死なれるくらいなら、いっそこの人の会社を爆破してしまえばよかった、とさめざめ泣くだろう。そこまでわかっていて、わたしはなにもしない。本人の問題だと嘯き、生命保険に入るよう強く勧める。ついにあなたが死んでしまうその日に、わたしはわたしのナルシシズムに耐えられる自信が無い。
 
いままで気にしたことがなかったけど、もしかして前歯の一本、差し歯ですか? カラスのクチバシが黄色でなくて黒のように、ゾウが水色でなく土色のように、人間の歯は真っ白ではなく半分透き通っている。鉱物のようなあなたの整列した歯の中に、一本だけ「歯でござい」という顔をした不透明な歯があった。だからもしかしたら、その歯は差し歯なのかもしれない。これは、こんなふうに言葉で考えたのではなく、直感だった。差し歯なら、生えている歯以上にふとした拍子にとれることもあるかもしれない。もしもリンゴや、レモンや、大根や、あなたがいろんなものに歯を立てたとき、子どもの頃の生え替わりのように差し歯が痛みもなくとれたなら、欲しいです。わたしはそれを小さな袋にいれて、お守りにして毎日持ち歩きたい。あるいは、砕いて細かな粉にして、オブラートに包んで水と一緒にごくりと飲み込んでしまいたい。正体はセラミックかプラスチックのその粉は、きっと「カルシウムでござい」みたいな顔をして、わたしの肉の奥にある骨の一部になるのではないだろうか。そうすればあなたの強さや明るさが、わたしにも多少はみなぎってくるのではないだろうか。こんなことを書いて、気持ち悪いと思われたらどうしよう。急ブレーキを踏むときみたいに、向こうから飛び出してきたのは、情景を思い浮かべるのも困難なときの「絶対」だ。わたしは「絶対」、あなたに嫌われたくない。
 
「死にたいです」というメッセージに、とりあえず今日一日をやり過ごしましょうよ、とあなたは返す。あなたは偽善者だからだ。万が一死なれたら、あなたはきっとひどく落ち込んで、何も手につかなくなるだろう。あなたは、本当は相手のことなんか考えておらず、自分が落ち込まないことだけを最優先にして策を巡らす。やらない偽善よりやる偽善だと、詐欺師のような言葉を繰り返し、あなたは励ましのメッセージを送り続ける。あたたかくして過ごしてください。眠れそうになくても、横になって目を閉じるだけでも効果ありますよ。大丈夫です、絶対に抜け出せますよ。自分はいまひとの助けになっている、という恍惚が、あなたのもとにやってくる。しかし、無常にも「もう無理です」という言葉が返ってきたのを見たあなたは、うるせえ!死ぬなっつってんだろ!と送りたくなる。途中まで打ち込んだその言葉の、身も蓋もなさにしばらくひとりで笑ってから、誤って送ってしまわぬように注意深く消去する。いま売っている恩を、いつか返してくれますように。いっそのこと連載にこのことを書いて、さっさと回収してしまおうか。そうして数日経つうちに、死にたかったひとは心身を立て直し、あなたは心から安堵する。死んでしまったひとは後悔することすらできなくなる。後悔ができなくなるということは、重大な能力や権利を失うことだとあなたは考えている。何もかもおしまいになる。だから生きてさえいてくれればいい。心身を立て直したひとが、あなたをいろんな活動に誘う。そのうちのひとつに対し、あなたは、弾き語りやりますか!と返す。すぐに「音源出しましょう」と返信がある。え、弾き語りやるの?本気? あなたはビビって悩みだす。あなたはクローゼットにしまってあるウクレレを取り出し、チューニングをしてから爪弾き歌い出す。

わかしょ文庫
作家。1991年北海道生まれ。著書に『うろん紀行』(代わりに読む人)がある。『試行錯誤1 別冊代わりに読む人』に「大相撲観戦記」、『代わりに読む人1 創刊号』(代わりに読む人)に「よみがえらせる和歌の響き 実朝試論」、『文學界 2023年9月号』(文藝春秋)に「二つのあとがき」をそれぞれ寄稿。Twitter: @wakasho_bunko

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