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『月の砂漠をさばさばと』再読と解説の話

今年はたくさん再読する。
と決めて、もう何冊か読んだ。
やはり再読はよい。内容は忘れていても、自分が「これはいい!」と思った本なので、外れがない。
さらに、初読時より色々な経験(読書上も、実生活上も)を積んでいるため、なんだかより深く印象に残る気がする。
 
吉祥寺のある素敵な本屋に行ったとき、店主さんもおっしゃっていた。
「とてもたくさん読まれる方も多いんですけどね、冊数は多くなくても何度も繰り返し読むのがいいですよ」というようなことを。
私もこれからそんな風にしていこうかしらん。多分難しいけど。
 
ということで、今後も折々に読み返したい本の一冊をご紹介する。
 
『月の砂漠をさばさばと』(北村薫)
北村薫は有名で作品数も多いので、読書好きの方は何かしら読んでいる可能性が高い。
こちらの本はおーなり由子の柔らかなイラストつきでたいへん美しい。小学生のサキちゃんと作家のお母さんの短編集。すぐ読める薄さだが、中身は豊穣というか、心の奥底にすうっと光が射すような感じ。
あまり本を読むのが得意でない方にもおすすめしたい。
 
解説は梨木香歩。―いや、「解説」じゃないんだな。

私は小説やエッセイの最後に筆者でない人が書いた文章を「解説」って呼ぶのがなーんか気に食わない。「解説」なんてあると、斜めに見ちゃう。わかってくれる方、いますかね?
 
いや、確かに「解説」が本当に必要な本もある。専門的な内容や、古い時代とか異国のお話しで一般読者になじみのない内容を含んでいる場合、専門家や学者の「解説」があるのは納得できる。例えば『源氏物語』は解説があって然るべきである。
しかししかーし。大多数の小説・エッセイにおいては???
 
「本の『解説』って何? 無駄にえらそうじゃない? こんな〇百ページもある本をさ、ほんの数ページで『解説』できんの? そもそも文芸書は『解説』が可能であるか? せいぜいいいとこ『感想』じゃね? この本を読んで私はこんなことを考えました~ってのを『解説』って呼んでいいの? ええのよええのよ、そういう文章そのものの存在はええのんよ、でもそれをば『解説』と称するのはいかがなものか? そこに素晴らしい文章が、物語がある。それを読んだ一個人が感じたところを書く。2つの異質な文章が共鳴する……それをなんと呼ぶべきか? 少なくとも『解説』ではないだろう。私が『解説』を依頼されたら絶対『解説』って印字しないでくれって頼むわ」
と思うわけだが(意味不明)、
梨木香歩はさすがで、「解説」と印字させなかった。「日常を守護する」と題した文章が巻末に付されている。
(単に出版社や編集者の方針かなとは思うが)
 
余計なことを書いた。とにかく言いたいのは、物語自体もすばらしければ、それと共鳴する梨木香歩の文章もまたすばらしいのである、ということ。なので、梨木香歩が好きでまだ読んでない方はぜひ。
 
このあたたかくいとおしい物語をそのまま味わっていただくには、私がその内容に踏み込むのは無粋であると思った。それでこんな謎文を書くことに。(書かなくてもよかったよ)

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他に再読できた本。
『えーえんとくちから』(笹井宏之)
短歌。
「こどもだとおもっていたら宿でした こんにちは、こどものような宿」
どうやったらこれが詠めるのか。あまりにすごすぎる三十一字たちが並ぶ本。
 
『11』津原泰水
1つ目の短編「五色の舟」は各所で大絶賛されてきた作品だそうで、なるほど、という気もするがまだ私には感じ取れていない部分があると思う。なんだかすごいのはわかる。濃密で緊密。
 
『人間の土地』サン=テグジュペリ
機械の進歩に人間が追いついていない、と作者は述べるが、彼が今生きていたらなんと言うだろう。
 
『第七官界彷徨』尾崎翠
なんともいえない独特の甘みがある。あの時代にこの感性を持って生きた作者を思うと……
 
『献灯使』多和田葉子
3.11の原発事故が色濃く影を落とすディストピア小説。子どもの体が変形し弱体化する。言葉の記号と意味が捻じ曲がる。「日本がこうなってしまったのは、地震や津波のせいじゃない。」
 
『塔里木秘教考』中野美代子
現在で言う新疆ウイグル自治区で生きた9世紀と20世紀の青年たちの物語が不思議に交わる。広大無辺の砂漠。時空のゆがみ。地図上で「移動」させられた村……スケールに圧倒される。
 
『紫の砂漠』松村栄子
「真実の恋」をするまで性が未分化である人々が暮らす世界。
これも私などがくだくだしく内容にふれるのはもったいない気がしてしまう。
単行本の表紙の方が作品世界をよく表している。なぜ文庫はラノベ風にしてしまったのか。もう一度、単行本のテイストで装幀して文庫化してほしい。
 

 

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