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今日僕はちくわの中身を覗いてしまった

 しかし、何も起こらなかった。
 僕は、ちくわの中身を覗いてしまったのに。

「まあ、そんなもんだよな」

 ふと、いつか見ていたCMのことを思い出していた。

 幼い子どもが、ちくわの輪の中をおそるおそる覗き込む。
 すると、魚から、ちくわが作られていることを教えてくれる不思議な映像が流れる。
 それを見た子どもは、驚きのあまり、ちくわから離れていってしまうといったCMだったはずだ。

 キャッチーなフレーズが印象的だったのを覚えている。

「って、ふざけてる場合じゃなかった。
 さっさと作って食べないと、寒くて寒くて仕方がない」

 ちくわを手早く切って、他の食材もパッパと入れて、食事を1人分だけ用意する。

 今日の晩御飯はおでんだ。

 冬の寒い日に食べるおでんは、やっぱりとても温かく感じられた。



 しかし、何も起こらなかった。
 僕は、ちくわの中身を覗いてしまったのに。

「……あなた、何をしているの?」
「いや、何でもないよ。
 少し、昔放映していたCMのことを思い出したんだ」

 きっと、料理中にちくわを覗き込んだ僕のことが、かなり奇怪に見えたのだろう。
 生涯を共にするようになった妻が、とても怪しい物を見る目をしながら話しかけてくる。

「そのCMって、ずいぶん懐かしいわね。
 もう、10年以上はあのフレーズをテレビで聞いていない気がするわ」
「そうなんだよ。思い出すと、ひどく懐かしく感じるよな」
「だからと言って、実際に覗く人はいないでしょう?
 あなたって、本当に不思議な人ね」

 そんな風に会話を楽しみながら、以前よりも量が増えた食材を、時間をかけながら調理する。
 冬の寒い日に妻と食べるおでんは、やっぱりとても温かく感じられた。

「……何も起こらなかったけど、変わっていることはあったな」

 思わず、そんな言葉が口からこぼれていた。
 また、妻から不思議な人ねと言われてしまった。


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