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笑い声

遊具で遊ぶ子供達の笑い声が、静かな公園に和やかな空気をつくりあげている。

私は笑い声が怖かった。
居酒屋の隣のテーブルから突然沸き起こる爆笑、混雑した電車の中でそこだけ切り取られたように聞こえてくるヒソヒソ笑い、路上であたかも他人に見せつけるかのごとくふざけ合う若者のバカ笑い、スーパーで噂話に花を咲かせるオバサンの高笑い。
全ての笑い声から攻撃性を感じ、その度に私は怯えていた。

そもそも〈笑う〉という行為は人間の根元からある行為ではなかったらしい。
人間は人どうし力を合わせて外敵と戦うことで栄えてきた。
その過程で仲間に敵意が無いことを示すために〈笑う〉という行為が生まれてきたそうだ。
だから他の生物には笑うという行為は見られないし、嬉しい時に自然と出る〈笑顔〉とは全然別ものであるということなのだ。

中学生の頃にその話を初めて知った時、私は酷く納得したものだった。
現に今、一見楽しそうに教室で笑っているクラスメイト達だって本当に楽しくて笑っている人なんて誰もいないように見えるから。
僕は私は仲間だよってアピールしているだけにしか私には見えないから。
だから、仲間なんていない方が自分らしく平和に日常生活を送ることができる、と当時の私は本気で思っていた。
そしてクラスメイト達の滑稽な姿を嘲笑っていたのだ。

最低限、笑顔をつくることでその狭い世界をやり過ごしていた私ではあったが、当然(今から思えば本当に当然としか言えない)そんな輩はイジメのターゲットとなるのであった。
思春期ならではの動物的な暴力性が群れとなって私を襲ってきた。
トイレに連れ込まれて便器の水をかけられたり服を脱がされ写真を撮られたり、屋上に呼ばれて火のついたタバコを腕や太ももの内側に押し付けられたり、教室で男子にその写真を見せられて唾を吐きかけたらビンタされたり。
教科書を隠されるとかノートに〈死ね〉とか卑猥な絵を描かれたりするのは日常となっていた。

ある日、不良グループの女子達に体育館の倉庫へと連れていかれた。そこには男子の不良グループ達がニヤニヤ笑いながら待っていた。男子グループのひとりがガチャガチャと音をたてながらベルトを外し始めた。女子達が私を逃がさないように掴んで離さなかった。女子のひとりがスカートを捲り上げようとした時に私は降参した。
獣のような男子達の性欲ペットにされそうになった日、私は遂に敗北を認めたのだった。
両膝を床につき泣いて謝り許しを乞うと、これまで意地を張ってきたことが簡単に崩れた。
ただ、耳の奥に下卑た笑い声が染み付いてゆくようだった。

その日から私は声をあげて目一杯の愛想笑いをした。
やってみればなんとも簡単なことだった。
雑貨屋で誰かが万引きした物を自慢げに見せられても「かわいーじゃん」と言ってニコニコしていればいいし、なんなら自分でもっと高価な物を盗んできてもバカ笑いしながらそのストーリーを語ればいい。
肝心なのは敵意を感じさせないように〈笑う〉ことだけ。

大人達には悪さもバレず無事に高校へ進学すると、それ以降はもっと安全なグループを選び、属することにした。
気をつけることは仲間であることを示す〈笑い〉だ。

そんな私だからこそ、他人の笑い声の怖さを知っている。
楽しそうな笑い声も、その輪の中に入っていなければそれは凶器にしか感じられない。
この〈笑い〉の輪の外に居る人は全部〈敵〉だと彼ら彼女らは示しているのだ。


公園の賑やかな輪の中から、ベンチで見守る私に向かって息子が走り寄って来る。
満面の笑顔だ。
何の疑いもない笑顔を抱きとめる。
息子の手を握り、近くにいたママ友に挨拶をする。
一緒に元気よく「バイバーイ」と言う息子にママ友が「お利口さんだね」と言ってくれたので私も「リク君こそお利口さんだよね」と返す。
ママ友が言った「みんなお利口さんだもんね」という言葉に合わせて声をたてて笑う。
こうやって上手くやっていけば良いのだ。





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