20190309誰が為に鐘は鳴る_

誰が為に鐘は鳴る!《週刊READING LIFE Vol.26「TURNING POINT〜人生の転機〜」》

※天狼院書店様の週刊READING LIFEに掲載された記事です。
掲載URLはこちら
http://tenro-in.com/reading-life-vol-26/80901

あれはどこの店だっただろうか。
大学の近くのファミレスか、チェーン系のカフェか、そんなあたりだったような気がする。私はつい一ヶ月ほど前から付き合い始めた彼氏と、お互い無表情で向かい合っていた。

「……これ」

私は携帯を開いて彼氏の前にずいっと押し出す。当時はまだスマホなんてなくて、ガラケーだ。コンパクトで二つ折りの、ピンク色の携帯。じゃらじゃらしたストラップに、マニキュアで施したデコ。いかにも女子大生が持っていそうな、派手な携帯の画面に、長い長いメールが表示されていた。

「……うん」

彼氏は重苦しい声を出し、携帯を受け取った。画面を食い入るように見つめ、ポチポチとスクロールして読み進める。一分、二分、異様に長いような、あっという間のような時間が過ぎていく。二人とも飲み物にも食べ物にも手を付けない。

「……ありがとう」

彼氏は携帯をまたテーブルに置き、こちらに押し返してきた。私は自分の半身とも言うべき携帯を手に包み、ぱちんと閉じる。馴染んだ重さとフォルムを、汗だくの手で握りしめる。

「……この内容、ほんとなの?」

私はじっと彼氏を見据える。
彼氏は手をもじもじさせてうなだれている。
それは、彼氏の「彼女」を名乗る人物からのメールだった。

「……書いてある内容に、間違いはないね」

カーン!

彼氏の返答に重なって、戦闘開始を知らせる鐘の音を、私は脳裏で確かに聞いた。平凡な女子大生の人生のターニングポイントが、今まさに始まったのだ。


彼氏とは大学入学のオリエンテーションのグループが同じだった。オリエンは語学のクラスごとに行われるので、つまり語学のクラスが同じだったことになる。その時は特に意識したことはなく、語学のクラスでも親しくなったわけではなく、単に同じクラスの人、名簿で読み上げられるから知ってる名前、語学の飲み会に行けばいる人、程度の認識だった。それは彼氏の方も同じだったと思う。進級してクラスが別になると、もはや接点らしい接点はなかった。

再会したのは、四年生になった選択必修の授業だった。新学期は就活が佳境、卒論計画も佳境、みんなピリピリしている。そんな時、どうしても取らないといけないけど、佳境には関係のない授業。面倒くさいな、と思いながら出席確認で名前を読み上げるのを聞いていた時、ふと耳に覚えのある名前があったのだ。教室を見回すと、向こうも同じだったようで、目が合った。授業が終わって、なんとなくお互い近寄って、声をかけた。

「語学で一緒だったよね?」
「うん、久しぶり。知ってる人がいて良かった」

それはお互い様だ。知り合いがいれば、試験対策など何かと安心だ。それから、週に一回の選択必修の授業で、なんとなくお互い挨拶するようになり、顔見知りになった。顔見知りになると、図書館や学食で見かけるようになって、やっぱりなんとなく挨拶をした。そのうち、一緒に自習したり、ごはんを食べたりするようになって、映画を見に行ったのをきっかけに付き合い始めたのが、一ヶ月ほど前、夏休みに差し掛かるころだった。

お互い、就活もなんとか終わった。
卒論は後期に追い上げすればいい。
学生最後の夏休み、彼氏と一緒に楽しもう!

久々の恋人に、私は浮かれていた。折しも彼氏は夏が誕生日だったので、張り切ってプレゼントを買った。当日は地元の友達と飲み明かす約束をしているのだと言うので、サプライズで前日に渡した。付き合ってから日が少なかったので、私がお祝いの準備をしているとは思わなかったのだろう、彼氏はとても驚いていた。

「ありがとう」
「ううん、一番にお祝い言えてよかった!」

ほこほこした幸せな気持ちとともに、お別れを言い、帰路についた。明日も大学では会える筈だ、別れた直後なのにもう明日が待ち遠しい。家に帰って寝る支度をして、ぐっすり眠って、翌日の朝になるまで、私はずっと幸せだった。

翌日の朝、携帯を見ると、一件の新着メールがあった。


「……彼氏かな?」

寝ぼけ眼で携帯を開くが、彼氏専用フォルダに新着メールはなかった。一般の受信フォルダに新着と表示されている。なーんだ、とがっかりしながら、新着メールを見てみる。

知らないアドレス。

[はじめまして。私、山崎浩太くんの彼女です]

ん? 山崎浩太、は、私の彼氏だよ?

とんでもない自己紹介から始まったメールは、小説かと思うくらい延々と続いていた。高校の頃からずっと山崎と付き合っていること。現在同棲していること。誕生日は自分と祝ったこと。山崎から私のことを聞いていて、騙すなんて可哀想だと何度も言ったが聞き入れられず、いてもたってもいられずメールしたこと。私以外にも何度も浮気されたけど、それでも山崎が大好きで、貴方に譲ることはできない、諦めてください、ごめんなさい、ごめんなさい……。

「……………………」

たっぷり三回は読み返しただろうか。
完全に私の思考は停止した。とりあえず大学の用事に遅れてはいけないと身支度をし、朝食を無理やり食べ、電車に乗った。いつもは本を読んだり携帯でSNSを見たりするのだが、今日は何も手が付かない。あの長いメールを何度も何度も読み返した。送り主の「彼女」とやらの文面は一見丁寧で、何度も謝っていた。それと同時に、山崎はどうしようもない奴だけど、自分には山崎しかいない、私から山崎をとらないでください、とも書いていた。

「彼女」とやらは、おそらく彼氏の携帯を盗み見て私のアドレスを手に入れ、昨日の夜、携帯のボタンをポチポチしてこの長い文章を作ったのだ。同棲しているのが本当なら、彼が寝静まった横でポチポチしていたことになる。

「…………………………………………」

大学に着いて、真っ先に彼氏を探した。彼氏はちょうど図書館に向かうところを見つけ、呼び止めた。

「……浩太くんの彼女からメールが来たんだけど」

あ、人間、フリーズするとこんな顔になるんだな。笑いかけた中途半端な表情のまま、彼氏は凍り付いてしまった。私もきっと似たような顔をしているだろう。

「……今日、授業が終わったら、時間ある?」
「……分かった」

そこから授業が終わるまで、どうやって過ごしたのか覚えていない。メールを何度も読み返したことは覚えている。怒りや悲しみといった激情はまだ沸いてこなくて、ただ体全体が緊張でこわばり、指先が小刻みに震えていた。頭の隅で、これは現実なのだろうか、昨日までは楽しかったのにな、と考え、またメールを読み返しては、やっぱり現実なのだ、と携帯を閉じてため息をついた。


授業が終了して、校門で待ち合わせ。すぐそばの店に入って、オーダーをして、テーブルにサーブされる。それまで、二人ともずっと無言だった。

彼氏にメールを読ませる。
書いてあることは事実だ、と返答。

私は彼氏を……山崎浩太をまっすぐ見据えているけれど、山崎はうなだれている。もともと私よりも色白な顔は蒼白を通り越して土気色だ。それを見れば見るほど、ゆっくり深呼吸をすればするほど、私の体の中を、重い何かがゆっくりと沈んでいくような感覚になる。

「……浩太くんは、どっちが好きなの?」

彼にとって、私が言葉を発するまでの沈黙は、どれくらいに感じられただろう。
彼の答えは、意外にもすぐ返ってきた。

「お前を好きな気持ちは本当だよ」
「……じゃあ、向こうと別れるの?」

ぐっ、と、彼氏は物理的に殴られたように身をのけぞらせた。
そのまま、何も言わない。

まだ何も言わない。

この、手がじっとりと湿るような沈黙は、身に覚えがあった。山崎の前に付き合った男は、浮気こそしなかったけど、うつ気味になって彼女とかそういうの考えられない、と言われフラれた。その前はなんと三股をかけられていて手酷くフラれた。どちらも別れ話の時に、こんな風に沈黙してたな……。あの時は、私は大泣きして、嫌だ、嫌だ、って喚いたっけ。でも、結局もとに戻ることはなく、みんな終わりを迎えた。

山崎の沈黙も、それと同じなのだろう。

「…………」

私はわざとらしく、深く、深くため息をつく。
短い期間だけど、山崎に恋心を抱いたのは消せない事実だ。そして、山崎が、あのじっとりとした沈黙を作り出しているのもまた事実。私はまた恋する人に選ばれなかったらしい。失恋はつらいな、悲しいな。どうしてこんなことになっちゃったんだろう、私何か悪いことしたかな? いや、何もしていない筈だ。何もしていないのなら、あのほこほこした幸せな時間が、どうにかして戻ってくるんじゃないのか?

でも、この沈黙はきっと覆せない。
私に残された選択肢は、あと二つしかない。
最後まで足掻くか。

「……分かった」

それとも、

「じゃあ、おしまいだね」

自分の手で、この恋を美しいまま終わらせるか。
最後の戦いだ、気張れよ私!

意識して、特上の微笑みを浮かべると、山崎はぽかんと口を開けた。私はテーブルの上の飲み物を一気に飲み干す。乾いた喉に、胃袋に、アルコールが妙にキツい。テーブルに千円札を二枚置いて、私は手早く荷物をまとめて立ち上がる。

「あ、の」

もたもたと山崎も立ち上がろうとするのを制し、私はため息をついた。ゆっくり、ゆっくり、意識して、凛と背を伸ばして、山崎をしっかり見据える。

「短い間だけど楽しかった、ありがとう」

くるりと踵を返し、出口まで歩く。まっすぐ、綺麗に、ドラマのように。何とか店を出て、駅まで歩いて、電車に乗った。携帯を開いて彼氏からのいろんなメールを読み返し、「彼女」からのメールを読み返しては、座席の手すりにすがりついてボロボロ泣いた。隣にいたお姉さんが何事かとポケットティッシュをくれて、それを握りしめて更にわんわん泣いた。


その後、山崎とは大学卒業までずっと疎遠だったが、卒業式の時にばったり会って、言葉を交わした。その時彼は付き合っていた頃よりも優しい手つきで私に触れようとしたが、私はさりげなく避けた。山崎は傷ついた表情で手を引っ込め、寂しそうに微笑んだ。

「あの時の、お前の後ろ姿が忘れられない」

カンカンカンカーン!

私の脳裏で、勝利のゴングが高らかに鳴り響く。
逃した魚はでかく見えるだろう、バーカ!
私はその言葉を口にはせずに、振袖袴で嫣然と微笑んで見せたのだった。

さ、新しい恋、はじめようっと!

≪終わり≫

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