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noteで書いてて思う、悲喜こもごも

普段いろいろ、ありのままを書いているわたしですが。それでも気にしてることがあります。それは身バレ。

どうしよう。わたしの半径2メートル圏内で会う、日常の誰かがこっそり読んでたらどうしよう。怯えてもいます。でも最後は「ええーい。書きたいから書く」と勢いに任せ、記事を公開です。

「『○○ちゃんのnoteを読もう』って思って探しに行かないと、まず読めないから。偶然発見するとか、ありえん。心配いらないって」
本日、知人に言われました。え? そうなの? そんなもんなのね。脱力です。

わたしがフォローしてる方の半分弱は、知人です。お互いに顔を知っている。じゃあ他の方はというと、noteではじめて繋がった方々です。リアルは存じません。


突然ですが、この場をお借りしまして、いつもフォローして下さってる皆さまに御礼申し上げます。本当にありがとうございます。わたしの読めるキャパが小さく、フォローできる人数を日々検討してるところです。

あまりフォローバックできず、申し訳ないです。読んで下さった方の記事には伺おうと思ってます。その折はどうぞよろしくお願いします。御礼でした。(話は戻ります)



先ほどの「ありえん」という知人の会話では無いですが。わたしの記事を偶然見つけてくださり、そしてスキを押そうて思うのは、実はとってもハードルが高い。noteを年単位で続けてたから、すっかりその感覚を忘れてました。そう。すごいこと。とても貴重な縁。壮大な繋がりだったのです。

今のところ「ねえ。あなたはnoteを書いてるでしょ。この記事はあなたよね」なんて。職場の誰かに耳打ちされたことは、確かにありません。知人の言う通り、身バレは無さげ。

それでもSNSへ書くマナーとして、特定の誰かを誹謗中傷する内容は書かないように、注意してます。でもわたしの思いを乗せた言葉が誰かを、意図せず傷つけることはあるかも。その不安は頭にあって。身近な人であるほど、傷つけたときにその度合いはきっと大きくなる。心してます。

正直、ときどき迷うところでもある。配慮しすぎて、内容のピンボケも違うし。さりとて鋭利な言葉を用いたいわけじゃない。じゃあそこまで悩むなら、書かなきゃいいじゃん。いや、書きたい。そんな風に心の中でひとり会議をし、惑いのまま記事を公開してます。

読んで下さった方に伝わるように。いい言葉を選べるようになりたいな。わたしの願いでした。

では また

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