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ターニングポイント、あれが人生の岐路だった

こんばんは。
きょう書くお話は、ことばと広告さんからもらったお題です。お題をもらったのは、数週間前。何度も考えたけど、やっぱりここでした。

本日は内容が重いかもです。

ー ー ー

わたしの人生の帰路は、母の闘病、死です。

病院で働いててよかった。薬剤師をしていてよかった。独身でよかった。
当時どれほど過去の自分が選んできたことへ、感謝したか分かりません。

それぞれの過去において、望んでない選択だったかもしれない。でも、「望んでない」が今ここで活きている。過去の自分へ一生懸命伝えたくなりました。

仕事でも、プライベートでも苦い経験をいっぱいしました。そんな経験があったからこそ、怯まずに母のそばにいられる。心強くあれる。苦い経験をした自分に「ありがとう」と心の中で何度も伝えました。

でも、いつでも、どこでも、ポッキリ折れそうな心と共にあった母の看病でした。わたしだけで背負う必要もないのに、好んで背負ってたし。父も弟二人も、なんなら職場のプロ集団である仲間たちもいるのに、ひとりで背負いたがる。

相当な重しがないと、背筋伸ばして現実を見つめてらんなかったんですよね。ドMですね。でもそれしか選べなかった。他の選択肢が見えなかったし、見ようとしてませんでした。

以前のわたしは、心の中のネガティブを発見すると、一刀両断のごとく抹殺してきました。そんなわたしに転機が訪れます。やっぱり母でした。

母の死をきっかけに到底処理できない、怒涛のネガティブな気持ちに覆われました。覆われたというか、飲み込まれました。

ネガティブな気持ちを、ずーっと押さえ込んでただけだったんでしょね。いっぺんに押し寄せたんだと思います。

さんざん飲み込まれ思いました。もうどうにもならん。降参だって。

今は模索段階ではあるものの、過去とは違う選択をしてます。「ポジティブもネガティブも、自分の心の中で同居させる」です。同居の度合いは、ただ今調整中。

この心境の変化が関係してるのかな。考え方に変化が出てきたんですよね。

母の看病、あれで良かったんやろか。今もなお、考えるときがあります。

あれしか無かった。あれがベストだ。
自分へ言い聞かせるよう、強く思ってた時期があります。時期というか、ごく最近まで思ってました。

先日、ふっと思ったんです。
たとえ私が薬剤師じゃなかったとて。今の病院で働いてなかったとて。結婚してたとて。

なんなら仕事は何もしてない、両親へおんぶに抱っこの存在だったとて。どんな私であれ、果たせた役目はあったんじゃないかって。

社会的条件というか。自分の外側というか。それは自分の付加価値にすぎなくて。私がわたしであったなら、何なりと果たせた役目はある。

わたしは絶対役目を見つけてくる。そのときの自分に見合った、何かをするはずだ。思ったんです。

思ったとき、自分がフワーッと許された気がしました。どんな私とていいんだ。そんな感情です。

折に触れ、この先も「あれで良かったんやろか」と考えると思います。未来ではきょう書いたことと、真逆の考えを持ってるかもしれません。

でも、それもいいと思う。今のわたしから未来のわたしに向けて放つ、思いです。


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