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ラックスハムを大根スライスで挟む

母はミカン畑の中にある農家で育ち、近くに友達がいなかったので、幼い頃はいつもひとりで、猫のシロと遊んでいた。
そのせいか人付き合いが得意じゃないし、ひとりが気楽である。
しかし、世間体を重要視する親に育てられた為、人前ではいい人のふりをして笑顔を作っていた。

2007年に婚家を出ることを決意し、再就職を目指して働き出したが、その当時第三セクターになったばかりの某政府系支援機構に派遣され、50代の女性職員から『何ヘラヘラ笑いながら仕事しているの❔ 気持ち悪い❕"(-""-)"』と一喝され、自分を取り繕うのをやめた。
その担当者は、私が紛失したわけでもないファイルを私のせいにして、1週間探させ続けた。結局そのファイルは、違う部署から1週間後に戻って来て事なきを得たのだが、母はわずかひと月半の間に体重が減少し、激しく心が傷付き、3か月の初期契約期間を待たずに辞めてしまった。
その後も、派遣先の担当者が女性だとうまく行かなくなってしまうことが多く、担当者の上司から間接的に注意を受けることになるが、その内容はいつも、口答えするというものだった。 
    注:たまたま担当が女性の時だっただけ。
母にしてみると自分の意見を伝えているだけなのであったが、仕事が長期になるのは避けたいと思うようになった。
60歳くらいになってようやっと耳順を覚え、頭に浮かんだ言葉を飲み込めるようになった。
    え❕❔ 遅すぎるって❕❔ ~~⚘ (*ノωノ)メンゴ

息子からは『すぐ仕事をやめるんだから。。。』と、叱られることもあるが、親からずっとお前は我慢が足りないと言われつづけ、親が死んだ後も兄貴からいろいろ言われていたので、母は自分がどん底に落ちるまでは、自分はワガママで我慢が足りない人間なんだと思い込んでいたことも影響していると思われる。

ま、そんなこともありつつ、心理的にも体力的にも長期派遣は無理な気がしてきたので、毎月短期派遣をしながら、年金では足りない生活費を補おうと考えている。

7月の仕事が無事終了し、8月の仕事開始を待つ間、連日の東京2020を観ながら主婦業をこなしている。
最終的には息子に面倒を見てもらうことになるのだろうから、今現在息子の衣食住の世話をすることを拒むことは出来ないが、いったいいつまで嫌いな主婦業をしなきゃならんのかと、疲れを感じたりもする。
そうなると、食事作りは当然、自分が食べたいものを作ることになる。

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先週の土曜日に西新井に出かけ、帰りに東武スカイツリーラインスカイツリー前駅で降りて、そらまち雲仙ハム売り場でオランダ坂「ラックスハム」を買った。
昨日ワインのつまみとして食べたら、通常の生ハムよりも厚みがあって塩味が強かったので、今朝は、塩抜きのつもりで大根スライスを挟んでみた。
しばらく挟んだままにしておいたら、大根スライスにしっかり塩味とハムの旨味がのって、美味かった。
今回は大根スライスを少ししか使わなかったが、もっと厚い大根スライスでしっかり挟んでも美味そうだし、キュウリやニンジンのスティックも合いそうだ。


「茜の海」は、50歳を越えて婚家を出たあと、半世紀心に溜め込んで来た思いを、反省記と称して自費出版した私小説である





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