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なんとなくメランコリック

谷村さんの悲報のあと
  さださんが元気がない

50周年を祝うイベント中
   半分やけっぱち(?)みたいに
『これからは自分もファンも
 いつどうなるかわからないから
 51周年も、52周年も毎年やる!!!』と言った
それは嬉しいけど。。。

さださんが元気がないと
     コアなファンは悲しい

谷村さんの歌はまだ辛くて聴けない
さださんの歌も切ないからやめておこうと
何気なくYouTubeを検索していると【大塚博堂】を見つけた

繊細な歌を唄うシンガーは
短い間にたくさんの美しい歌を遺して早逝してしまう人が多い
短いから印象が強いのかもしれないけど
村下孝蔵さんも好きだったなぁ


私も
先週からなぜか落ち込んでしまって
   頑張ってもなかなか浮上しない(;^ω^)

昨日私は家を出ようとする息子に
『鬱じゃないから心配はいらないけど
 ここ数日なぜかメランコリックなんだよね』
    と言ったら
『母上はいつものことだから、大丈夫だよ』と
  私のオデコに自分のオデコをくっつけて
 私をなだめてから家を出た
   イッテラー(*´з`)ノ  Ю( 一一)イッテキマ

早朝に目が覚めて朝ごはんを作ったけど
 ちょっと多めで豪華になってしまったб(*´ω`)💦

11月に【桃鉄ワールド】を買うから
この3連休に
しっかりどっぷり今の桃鉄を楽しんでおこう♫(≧▽≦)🎮

高く青い空にうっすらと浮かぶちぎれ雲をじっと眺めていると
長崎の母親が元気だった頃の布団を打ち直す姿を思い出す

へたった布団の側生地の糸をほどいて
古綿だけになった布団を畳の上に置いて角をきれいに整え
その上に新しく買った真綿を薄く広げて丁寧に並べ
古綿に押し付けて真綿が馴染んだら
三辺を縫った新しい側生地に入れ残りの一辺を纏っていた
それはいつも秋口のことで
正月の泊り客のためにする、嫁としての母親の仕事だった

🎮今日は暇つぶしにレモンスカッシュを作った🍹


父親が他界したあと
兄嫁がいない時間になると寂しいと電話して来る母親に
『東京に出て来んね』と言うと
母親は『おいは兄ちゃんに面倒ば見てもらうけん良か』と言った

幼い息子に『ふたりで長崎に帰ろう』と言ったら
息子は『パパがかわいそうだから行かない』と言ったし
大学受験をする息子に
『長崎の大学に入ってばあちゃんの近くで暮らそう』と言うと
『長崎はネットが繋がらないから行かない』と言った_| ̄|○

母親が亡くなったときに兄嫁から
『娘のくせに親の面倒ば全然見らんで!!!』と責められたが
私は嫁ぎ先の義母と義父を嫁として介護して見送ったし
長崎に戻らなかったのは私の意志ではなく
『子どもば置いては帰ってくんな!!』と母親が言ったからで。。。

息子が忙しい母の為に定期購入してくれている
チンするだけのnoshでひとり昼ご飯💕

なんで19歳のときに銀行を辞めて
ひとりで東京に上京したのかは「茜の海」に書いたし
若気の至りと言うものではなくそうするしかなかったからで

そして今
両親のいなくなった長崎に戻る気はないし
この東京で人生を終わろうと決めたから
息子が数日いないからって寂しがってちゃだめだね(笑)

だから
【大塚博堂】のあとは
やっぱり
【さだまさし】だね
さださん早く元気を取り戻して
がんばらんばね゙✊゙



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