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インド滞在記 #5(2004年~2005年)

2004年11月22日~23日 コルカタ:命が尽きていく瞬間の本当の姿。

列車は安定した遅れっぷり(約4時間半遅れ)で、コルカタに着いたのは午前11時30分ころでした。ヴァラナシで日本語に浸りすぎたせいか、カゼでぼーっとしている頭のせいか、理由は不明ですが、以前より英語が聞き取れないし、話せない気がする・・・。そのせいか、どうも気分がノリません。

到着したハウラー駅からチケット予約センターまで歩き、まずは次の目的地であるガヤ行きの列車切符を買ったあと、サダル・ストリート周辺へ移動して宿を確保しました。

「ブッダ・ガヤからきてるんだ」というインド人が街中で気さくに話しかけてきたので(すでに怪しさ200%ですが)、ホテルで一休みしたあと一緒に出かけてみました。バング君の件(詳しくは インド滞在記#4 を参照)もあって、頭からかなり疑ってしまいましたが、結局いいやつなのか悪いやつなのかはよくわかりませんでした。当然、パシュミナがどうこういう店につれていかれたりはしたのですが、「買わん」ってキッパリいったらそれ程プッシュもしてこなかったし。

やはりなんだか今日は疲れています。「いいもん食べて元気復活せな!」と、らしくなく晩メシはふんぱつしてちょっといい所に行ったのでしたが、逆にウェイターやら周りの客やらに気をつかうし、もちろん値段も高いし、結果「失敗したな~」でした・・・もちろん料理は普通においしかったけど、自分には庶民派食堂のほうが合うんだなぁと学びました。

カゼ、早くなおんないかな。

翌日(11月23日)、午前中は歩いてカーリー寺院まで行ってきました。けっこう距離がありましたが、カルカッタのストリート風景も見ることができて楽しかったな。

カーリー寺院ではヤギの断首をみました。子ヤギでした。

殺される直前、まだ生きているうちに、まさに生贄に供されるその温かな子ヤギたちに、私は実際に触れていたので、間近に迫った自らの運命を本能的に察知し、震え慄き、失禁し、そして首をはねられ、次第に動かなくなり眼から光がなくなっていく彼らの姿を、立て続けに目にし、止めどなく流れる赤い大河とともに、命が尽きていく瞬間というものの本当の姿がどんなものなのかを、目と鼻と脳と、そして心に、繰り返し痛烈に焼き付けられたのでした。目には見えない、永遠に消えない、焦熱の烙印を、私のなかの一番繊細なところに押し当てられたような感覚でした。

ふだん、屠殺の現場を目にすることなどに全くご縁がない大多数の日本人の一人である私にとっては、衝撃的な体験でした。自分の見えないところで、私は多くの生物の命を奪い、いただいているのだとわかりました。今でも目に浮かぶ、あの光景。忘れないようにしたい・・・。

帰り道では地下鉄を使い、コルカタで開かれる国際会議のため訪れていた大学の先輩S氏と、懐かしのH先生に会いました。お二人とも(インドに来ていても)元気そうで、一緒にインド美術館、ビクトリア記念堂、セントポール寺院をみて、お昼ご飯をご一緒させていただきました(ごちそうさまでした)。ひさしぶりに休学中の学校の様子が聞け、懐かしいなと感じるとともに、つい半年前までは私もそこにいて今とはかけ離れた生活をしていたのだと思うと、なんだかちょっぴり不思議な気持になりました。

「やる前」や「なる前」は、想像もできなかった遠い遠い遙か彼方のような状態が、実際にそういう状態のほうになってみた後では、振り返ってみても(「やる前」や「なる前」からの)距離がそれほど遠くない、離れていない、ように感じるものだなぁ、などと。

晩飯は宿近くのチベット料理屋で食べました。かなりおいしかった(し、安い)。スプリングロール最高。ちょっと元気出てきた、明日も行こうっと。(つづく)

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