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インド滞在記 #14(2004年~2005年)

2004年12月8日~9日 ゴア:旅の終わり、新しい始まり。

アーマダバードで出会った日本人女子2人組(経緯は「インド滞在記#13」を参照)は、なぜかダマンという、インド旅行においては、それほどメジャーとは思われない地へ行くことにやたらこだわっていて、おもしろくも不思議に思いました。

ダマンは、ゴアと同様に旧ポルトガル領だった町のようで、面積はたった72平方キロメートルしかない町です。なぜそのダマンが、それほど彼女らを虜にしているのか、私はむしろそこに興味津々でした。

インド旅につかれて、インドの香りが薄い地を求めていたのか、それとも「飛び地」という稀有な場所に惹かれたのか、歴史に熱いものを感じたのか・・・(結局、わからずじまいでした)。

さて、私のほうは、午前11時半ころ、アーマダバードからゴアへ向かう列車に乗り込んだものの、やはりWL100の繰り上げなどという奇跡は起こらず(が、もちろん列車にはしれっと乗り込みます)、結局、約20時間の移動中ずっと席は得られずでした。

列車移動中の前半は、ガヤからジャイプルの移動時(「インド滞在記#9」を参照)と同じように、勝手に空いている席で寝っ転がって、さも自分の席のようにふるまいながら太々しく過ごしたのですが、途中から人が来るわ来るわで、当然ながら最終的に追いはらわれてしまいました。

凄腕のインド人は、トイレ横の通路でも寝っ転がって悠々と過ごしていますが、さすがに私はそこまではできんかったなぁ。だってゴキ(ちっちゃいけど)とか目撃しちゃったしなぁ。まだまだ甘ちゃんです。

結局、「汚い」とか「きれい」とか、「清潔」とか「不潔」とか、究極的には個人の主観なんだなぁ、などと感じました。その差別、その分別、を無意識にしてしまっているのは自分自身です。自分の立ち居振る舞いが、周りにどう思われるか、どう見られるか、という些末な(しかし、しつこい)心配を払拭してしまうことができたら、結局のところ、すべての行動の基準は「自分がどう感じるか」次第なわけです。その際に、差別や分別、という半ば固定観念に近い、その意識にまだまだ自分の行動を支配(コントロール)されているなぁと感じたのでした。

というわけで、列車移動の後半は、肩身の狭い思いをしながら、ずっと通路の隅っこに座って、夜通し過ごしたのでした。この最後の列車が一番しんどかったかもしれません。結局ほとんど眠らず(眠れず)、列車はゴア州に入ったのですが、ホームステイ先から最寄りの Tivim駅 では列車は停車してくれず、Margao駅 まで行ってしまったのでした。

夜が明けた12月9日の午前7時半ころ、列車は Margao駅 に到着しました。ほとんど寝ていないにも関わらず、駅到着の後もかなり歩くことになりました。だって、バス停近くにあると思ったら、ないんやもん・・・。睡眠不足者にはこたえました。

なんとか駅から移動してMargao市内に入り、そのへんの人々に道を尋ね、結局ローカルバスも駆使して、ようやくカダンバというでっかいバス停に着きました。

そこでまずパナジ行きのバスチケットを買い、ようやくバスに乗車したら、さすがにウトウトしはじめ、途中で意識が飛んでいました。ただ、数週間ぶりに戻ってきて、やっぱりゴアは他のインドの地に比べて緑豊かで美しいところで、空気もおいしいと感じたことは、なんとなーく覚えています。

さて、パナジに着くと、今度はマプサ行きのバスに乗り換えました。マプサ到着後は、無謀にも歩いて家に向かってしまいました。寝不足と疲れと、ようやく馴染みの地に戻ってきたという気持ちの緩みで、我ながら冷静に判断できていません。

途中で諦めて、悪あがきでヒッチハイクしようとしましたが、怪しげで小汚いフラフラのパックパッカーを乗せるような危険を犯す車やバイクはもちろんおらず、結局中途半端なところからローカルバスに再び乗車するという情けない最終移動となりました。

ついに Parra まで帰ってきました。いつも行ってたバラエティ・ストアがあります。なつかし。最後、家までのあぜ道をフラフラと歩いていたら、友だちの Austin に会いました。

5分後、私にとって長かったような短かったような、でもまちがいなく、4倍稀釈のめんつゆ並に濃厚だった旅が、幕を閉じたのでした。


なんとか、なかば強引に、2020年のうちに「北インド方面をぶらり一人旅」編を書き切ることができました。2021年も、ぼちぼち旅の記録なんかを、記していけたらなと思います。

みなさま2020年、お疲れさまでした、読んでくれた方、どうもありがとう。2021年も、前向きに生きましょう、今後ともどうぞよろしくお願いします〜。

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