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インド滞在記 #8(2004年~2005年)

2004年11月27日 ガヤ:わたし金のネックレスがほしいの。

さて、昨夜は知らないおじさん二人の間で、ベッドを同じくして眠ることになった私ですが、一昨日は列車泊(しかも早朝着)だったこともあってか、意外とグッスリ寝てしまったのでした。人間の環境適応能力には、驚かされるばかりです。

グッスリ寝てしまったので、朝起きた後は、荷物を整理したり服を出したりする風を装いながら、一応カバンの中身などをチェック。とくに取られているモノやお金はなさそう・・・う~ん、疑い過ぎ?

朝食を(もう、家族の一員かのごとく)ご一緒した後、(特にお願いしたわけではないのだが)今日は「スジャータの村」とか言うところに連れていってもらいました。なにやら、ブッダが修行のために使ったという、ありがたい洞穴があるのだそうです。連れて行かれるがままに、言われるがままに、「へぇ~」とか「ほぉ~」とか相槌を打ちつづけながら、それほど行きたいわけでもない、よくわからないところを見続ける、私。

どこへ行っても、観光客など皆無だし、英語の看板や説明文などないし、ぶっちゃけ本当はどこに連れていかれているのかさえ、よくわからない状態でした。内心は「さて、そろそろ、このあとどうやって、脱出のきっかけをつくろうか?」と、考えを巡らせているばかりでした。

「スジャータの村」の次は、ガヤのローカル映画館へ連れて行かれ、ヒンディー映画を見ました。やっぱり、踊りと歌が半分かそれ以上あり、もちろんヒンディー語オンリーなため何言っているのかさっぱりな私でも、なんとなくストーリーがつかめそうなところ、インド映画だなぁと思ったのでした。

入場料がいくらだったのか知りませんが、日本の映画館のようなソフトな椅子などなく、木製のベンチみたいなのがズラーっとならび、それでも地元のインド人たちがザワザワとひしめきあいごった返し、映画の場面が盛り上がってくると我慢できずに声を上げたり、立ち上がって踊りだしたり(そして後ろのお客さんに文句を言われる)する、インド人客たちを見て、なんだか映画そのもの以上に価値のある光景を垣間見られたような、そんな気がしたのでした。

さて、ここまでは順調でしたが、ついにその時が来ました。問題はこの素敵な現地体験の後に起こったのでした。

そろそろ潮時。と、お別れのタイミングを見計らっていた私は、
「(ブッダガヤには結局行けていないけど)明日、ガヤを発つよ。」
と、ついにお伝えしました。

「おーフレンド、いやファミリー。もう行ってしまうのかい?悲しいよ。」
と、嘆きのレスポンス。悲しそうな知らないおっさんの家族たち。

私にまだ残っていた純粋な部分が、若干の切なさを感じさせつつも、このままでは時間だけが刻々と過ぎてしまい、本当に訪れたいところや見たいところに行けないかも、という焦りも少々でてきていたため、
「私も別れが悲しい。みなさんの優しさには本当に感謝します。でも行かねばなりません。」
と伝え、あくまでも去るという決断は変えない点を強調しました。

ここまでは ”ええ話しやないか” です。この後、ダークサイドの泥沼に落ちていきます。

さて、私の「お別れ決心」の固さを知った、おっさん家族の娘さん。頼んだわけでもないのに、私とラウール*に新しい服を(なぜか、すでに、買っていたようで)プレゼントしてくれました。
* ガヤ駅で出会い、今回のインド人宅滞在につながったキーパーソン。詳しくは "インド滞在記 #7" を参照されたし

あやしい、きなくさい、においが、少しづつ漂ってきます。

そうしましたら、ラウールが
「なんてやさしい心遣いだ!ぜひ一緒にお返しをしよう」
といってきやがりました。

まぁ、たしかにタダで滞在させてもらいましたし(ラウールやそこんちのおっさん2名とともに雑魚寝でしたが)、なんかプレゼント(好みがどうとかは抜きにして)もいただきましたし、私も「感謝の気持ちを、お返ししてもいいかな」と思ったのでした。その瞬間は。

しかし、ラウールが娘におもむろに何が欲しいか尋ねると、
「わたし、金のネックレスが欲しいの」
・・・
・・

え?

もう「キョトン」って音がホントに聞こえたような気がしたくらいの、キョトン状態ですよ(たぶん私だけ)。

「そうか。金のネックレスか。よしよし。」
と、なぜか余裕しゃくしゃくのラウール氏。

こちら「500Rsくらいまでなら、なんとかがんばれるかな」などと、当初より思っていたのですが、ラウール氏の最初の言い値は、

「よし、2000Rsずつ出そう」

うそーーー、無理~~~~、とお伝えしたら、ラウール氏曰く、

「しょうがない。じゃ 1000RS でもいい」

いきなり半値かよ!?という突っ込みどころもあるのですが、そもそも値下げしたらよい。という話ではないだろう、ラウール。

これが、ある程度の観光地や、公共交通機関へのアクセスがつかめている、そんな状態なら、わたしは迷わず切り捨てたことでしょう。

しかし、そこは駅からどれくらい離れているのかも、いったいどこなのかも、よくわからない場所。そして外はもう真っ暗。インドとはいえ、もう11月も終わろうとしている寒い冬の夜。ここで頑なに拒んで、しまいに追い出されたら、死ぬ可能性もあるなと感じてしまったので、しょうがなく払ったのでした。

「お金が全てじゃないよ」とラウールは言っていましたが、結局本人は親の金で払っていた(本当に払ったのか?)みたいで、よけいに腹が立ちます。

私的にはせっかく「インド人にも優しい人がいるもんだなぁ。これはこれで、ガヤの本当のローカル体験ができたなぁ。」と、いい思い出に残りそうだったのに、終わってみれば、なんだかなー、でした。

さて、半ば強制的に(結局1000Rsではなく)1200Rsを払わされるはめになり、残念ながらまたインド人不信が強まってしまい、かつ行きたかったブッダ・ガヤには結局行けなかった、ガヤ2日間。

まぁ、「やっぱりか」という感も、なきにしもあらずだったのですがね・・・(自分も悪いっちゃ悪い)。

今では一刻も早く去りたいガヤ。
とりあえず移動手段の確保が必要だけど、次の列車のチケットがどこで買えるのかもわからないガヤ(のどこか)。

お金も払ったし、手伝ってくれるやろという、甘い期待から
「列車のチケットを買いたいんだけど」
と、おっさんたちに伝えると、

「なんだファミリー、それなら俺が手配しておくぜ、心配すんな!」
と、おっさん曰く。

ダメージが残っていた私、そこは信じてしまった私、自己嫌悪です。

後ほど、自信満々でおっさんが持ってきた列車チケットは、WL60(ウェイティングリスト60。要は座席が割り当てられるかどうかは60人キャンセル待ち)とかだし、なぜか定価よりずっと高い金額を請求されるし・・・。

ありえねぇ、(次の列車)12時間以上たちっぱなしかよ、カゼひいてんのに・・・まじか。

思い出すと、また腹がたってきてしまう、未熟な私です。

偶然、こっちから声をかけて友達になった場合でも、インド人を安易に信じこみすぎるのはご用心。というお話でした。

さて、次の目的地は、いっきに西に突き進み、ジャイプールです。はたして12時間立ちっぱなし列車となったのか、そもそも無事ジャイプールまでたどり着けたのか、次回をお楽しみに。
(つづく)

※若干モチベーションが下がってきつつあるので、おもろくなくても「スキ!」してもらえると、調子に乗ってがんばっちゃう(がんばれちゃう)、未熟な私です。

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