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夜記・審判

体育教師から審判をやるように言われた。
しかしその競技のことを良く知らない。
授業で習ったことも無い。
でも他のクラスメイト達は良く知っているらしく、みな迷いなくグラウンドに散っていく。
「わかりません」と言い出せないうちに体育教師からホイッスルを渡されてしまい、グラウンドの真ん中に立っている。
どうしたらいいのかわからないが、仕方がないのでホイッスルを鳴らした。
試合が始まった。
2つのチームが入り乱れてグラウンドを駆け回り、ボールがその間を行きかう。
何もわからないまま、それらしく見えるように自分もグラウンドを走り回った。
とりあえずボールを見ていようと思ったが、ボールがいくつもあるのでどのボールを見ればいいのかわからない。
1つのボールがサイドラインを越えたので、ホイッスルを吹いた。
「おい、なんでだよ」と声がした。高田君の声だ。
「今のはどう見たってサードフィーだろ」
何か間違ってしまったらしい。
困って体育教師の方を見たが、ただニヤニヤ笑って腕組みをして立っている。
「もういいよ、続けようぜ」と誰かが言い、試合が再開された。
またグラウンドを走り回る。
いかにも分かった様な、注意深く見ているような顔をしながら。

「おい、今のファウルだろ」という怒ったような声。
また高田君だ。
周りで「ノーホイ、ノーホイ」「ラッキー」と声がした。
何かを見逃してしまったらしかった。
「ごめん」と言ってホイッスルを吹いたが、かすれたような音がするだけで鳴らない。
「かんべんしてくれよ」と高田君が言った。
高田君にそんなふうに言われるのは悲しかった。
もう一度ホイッスルに息を吹き込む。
やっぱり鳴らない。
必死に息を吹き込んだ。
どうしてもこのホイッスルを鳴らさないといけない。
必死に息を吹き込むうちに、次第に周りのクラスメイト達の姿がうすれてきた。
しかしそれは気にならなかった。
とにかくこのホイッスルを鳴らさないといけなかった。
競技もルールもどうでもいい、ただこのホイッスルを鳴らさないといけない。
何度も何度もホイッスルに息を吹き込んだ。
でもヒューヒューとかすれた空気の音しかしない。
自分の周りのクラスメイトの姿はすっかり見えなくなった。
高田君も体育教師ももういない。
グラウンドで一人きり、鳴らないホイッスルをいつまでも吹き続けた。

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