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sea、詩、死

 昔、コンビニで接客のバイトをしていたのですが、それがなかなかしんどくて耐えられなかった。
 次々やってくる客に対する恐怖というか、高圧的な人と当たる度に過去のトラウマがフラッシュバックするので、正直レジを打てるような精神状態じゃなかった。そのうち(比喩ではなくマジで)泣きながら仕事するようになったんですが、そのせいで客からも先輩からも不気味がられていました。

 これは結果論ですが、涙を流すのって身を守る一種の方法だったんですよ。理由もわからず延々と泣いてる店員に向かって怒鳴ろうとは思わないでしょうからね。怒りより気持ち悪さが勝るんです。

 それで、わたしがやるようになった身の守り方がもうひとつあって、リスカ跡をわざと隠さずに出勤するんです。手当ては普段からしてないので、直前に切った日だと、腕が血塗れの状態で接客することになります。寒い時期で長袖のときでも、いちいち袖をまくります。
 べつに見せびらかすために自傷してるわけじゃないですが、もうすでに傷ついてるのなら見せたほうがお得だという発想でした。

 真っ直ぐな線が等間隔に、しかも無数に入っているので、客は見た瞬間に「これは単なる怪我じゃない」と気づくはずです。当たり前ですが、いい気分はしないでしょう。しかしこちらとしても、もうそうするしかなかった。
 同僚や先輩たちも同じで、明らかに視線が揺らいでいるんですよね。目が合わない。申し訳ない気持ちもないことはないですが、そこに構っている余裕があるならはなからこんな状況にはなっていないわけです。

 普通は、業務がきついのなら(アルバイトであればなおさら)さっさとやめて違うところに行くとか、誰かに相談するとかあるでしょうが、わたしは歪んだ方法でしか適応できなかった。
 客を前に、「お前らのせいで」と内心、殺意に似た感情が湧いていました。しかし大手企業のうち最も末端にいるアルバイトに求められることなんて、ひたすらへりくだることだし、かといって反論する勇気も持ち合わせていなかったのです。

 ものすごく惨めですよね。コンビニのバイトなんてやってる人はありふれてるし、フリーターは正社員より楽だろうって考え方が一般的です。そんな楽な仕事ですらまともにこなせなかったわたしは、どうしようもない欠陥品だったと。
 社会活動と人間はワンセットです。たとえば生活保護を受けるにしたって、「働いて金を稼がなきゃいけない」という前提があるからこそ保護を受けるわけで、そういう意味では人は労働からは決して逃げられません。

 詩作も似たようなものだと思っていて、それがどんな内容であれ、「お前らのせいで」と思いながら、一方で個人的な遺書のつもりで書いていたりします。あとは単なる自己顕示欲ですかね。
 詩なんて金にならないし、所詮は現実逃避ですよ。教科書に載っているような巨匠たちと違って、わたしは汚れのないきれいな詩なんて書けません。わたしが詩を書くのは承認欲求のためでしかないけど、むしろ純粋な気持ちでは書きたいものも書けないだろうとも感じます。


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