お金と幸せとありがとう

お金について考える。
中学生の頃幸福について考えるという弁論を提出したことがあった。
その時はお金と幸せの関係性について力説してたなぁ。
僕にとってのお金は常に手元にない羨ましいものだった。
両親は僕が5歳の頃に離婚。
物心ついた頃からお金は無く、やがて母は古くからの友人と再婚し僕には9歳下の妹が産まれた。
けれど再婚相手は所帯を持つという責任があまり理解できていなかったようでお金には苦しめられた。
果ては生活保護世帯となり、世間の生活保護バッシング論もあって苦い思いを強いられる。


お金の苦労と隣り合わせの過去

小学生の頃から何かを買う時は
1.最も安いものを探す
2.量が多いものを探す
3.長期で使えるものを探す
というコスパしか見ていない選び方で、質の高いもの、便利なもの、手間がかからないものなどはハナから眼中に「置けなかった」のである。

中学生になり周りの子供たちからは貧乏と罵られ、それを女の子に庇われたりして惨めな思いにも惨めな思いを重ねてたっけなぁ。

お金がないとなにもできない、自由が得られない。
生活保護なんてもらうだけ恥だ、なにが権利だ。
と社会に八つ当たりしてたバチ当たりな時期が高校生くらい。
反社会意識からかロックミュージックにハマり、スティックだけで演奏できるから割安とドラム練習に明け暮れた。

やがて社会人になり初任給19万円をもらうも、生活保護費との相殺によってほぼ無一文な社会人が出来上がる。
働くってなんだ?
お金ってなんだ?
幸せってなんだ?
高卒新卒入社2ヶ月目で自立を決意し、3ヶ月目には母の猛反対を押し切り、高校生時代に返還免除を獲得した奨学金を元手に自立を開始。

僕のお金に対する認識

そんな僕にとってお金とは、常に切り詰めて最悪のケースを想定することでようやく得られる貴重なもの、という認識だった。
上記の奨学金も中学生時代に成績優秀であったことから返還免除候補生という形で奨学金にありつけ、その得た奨学金も返還の可能性を考慮するとどんなに遊びたくても手は付けられず、学校の諸経費等にのみ充てていた。
その結果自立の際に重要な役目を担ってくれたおかげで3人の子を育てていける今がある。
僕にとってお金とは、いわば防災袋のようにいざと言う時まで手をつけてはいけないもの。
うかうかしていると指の隙間からこぼれ落ちていってしまう。

お金に対する認識の転換期

そんな僕にもお金に対する認識が少し変化する転換期が訪れる。
高校生の頃から、将来は自宅を購入し防音設備を敷いてバンド仲間と自宅でセッションするのが夢だった。
いつか成し得たい夢を思い描きながら社会人生活を切り詰めていると入社から1年で貯金100万円を達成。
社長から本気の賞賛を受けたことで
・お金は切り詰めることだけが全てではない
・収入を増やすことでもお金は手に入る
・収入を増やす=だれかのために社会貢献をするということ
・社会貢献は自分の得意をだれかのために捧げること
だと理解し出世街道を歩むこととなる。

お金を得ること、すなわち感謝されること

ひたすらに仕事を頑張り、社内の課題、店舗の課題、お客様に喜んでもらうこと、従業員を成長させることを考え解決策を講じ続け気付けば27歳で社内NO.5にまで上り詰めた。
この頃には従業員満足と顧客満足を高め社会貢献することでお客様から継続的に対価を頂き、それが社の発展に寄与するのだということを熟知していた。
要約すると、身の回りの人に喜んでもらえた「ありがとう」の数と質の高さだけもらえるお金が増えるということ。
お金とは感謝されることをした人にした分だけ集まる対価なのだ。

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