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労働に対する価値観の変化

最近本業の部下たちを見ていると労働に対する変化がこの10年で大きく巻き起こっているなと感じる。
僕が入社した10年前は、僕自身お金を積まれてもそんなに働きたくないという考え方だったがそれが許されない時代だった。
だが今はどうだろう?
他者に配慮のない休み希望、労働時間に対する不満、仕事とプライベートの分断、時間外労働に対する過剰反応等、新人類の思考パターンはどれも机上の正論を掲げありもしない理想を追い求めているように感じるし、そういった要望を叶えなければ離職に歯止めを効かせられない現状がある。
もちろんサービス残業は良くないし、1分単位で給与を支払わねばならないし、従業員満足のないところに顧客満足も事業の継続的運営もありはしない。
けれど身勝手で良いのとは訳が違うのではないだろうか?

今回は社会で労働に対する価値観の変化がどのように起きているのかまとめていければと思う。

無知故に理解の断絶が起きている

要約するとこれに尽きるのではないか。
戦後の復興を支えた現在の老年層は「生きていること」を実感し「生きていくこと」を覚悟した。
故に多くを飲み込み今より豊かになる未来を渇望し結果として後世に対し尽くした。
だが今の世代はそれを知らず、ただ税金で若年層から搾取しているとさえ思っている。
これもまたある側面では事実で、労働者2人で1人の高齢者を支えている現状がある。
これは現役労働世代にとっては重くのしかかる枷となる。
とはいえ全ての労働人口がそうとは言わないものの、自己管理の不徹底で困っている若年層はだれの身の回りにも何人かいるのではないだろうか?
困っている事実に対し楽したい、苦しみたくない、わがままを押し通したいが先行し不自由、苦難を声高に叫んではいないだろうか?
それは全て、より苦しい時代を知らないが故の贅沢な困り事なのかもしれない。
そしてそれを叫んでいる現役世代が悪なのではなく、無知が価値観の断絶を生んでいるだけだ。
その結果が過去も見てきて俯瞰している世代にしてみれば若年層が自己都合を押し付けているように見えてしまうという悲しい機構が存在する。

情報の流通によって正しさを振りかざすように

現代ではSNSやネットニュースの流通で情報をだれもが手軽に得られるようになった。
法や条例、社則などルール全般はだれもが手に取って理解できるようになったが倫理や道徳、価値観など見方によって形を変えるものを理解する者は減った。
結果モラルは失われ全体が自分のことだけを主張するようになり、「正義」は失われ「正しさ」で攻撃する人口が増えた。
労働市場では「こんなに重いものは持てないから抜けます」と人が抜ける度に残った人にのしかかる負担が増えて更に抜けていくという蟻地獄が起きている。
昨今の個人の力を伸ばす、組織ではなく1人で仕事をすると言う考え方が浸透してきている背景にも上記は表れていると考える。

財やサービスはいったい誰のため?

こう考えると僕らは何のために、だれのために何をしているのだろう?
そもそも事業は社会貢献のため、適正利益の確保は永く運営するためであり労働者を雇用、教育するのはその目的達成の為である。
ルールという正しさは守るために使うべきで、攻めるために使うものでは無い。
社会全体が個人の利益を追求し組織から逸脱していけば、殴り合うだけの社会が出来上がり倫理観は崩壊する。
だからこそ組織の目的と行動が個人の幸せと目標を両立していける社会にしていきたいところ。
あくまでも社会貢献のために事業が存続していることを僕らは忘れてはならない。

みんな幸せになりたいし幸せになりたかった

昨今ルールや決まり事に過剰反応するようになった背景には労働者が声にならない不満を腹の中に溜め込んでいるからであり、それを解決するには自分でその環境を作り出すよりも転職した方が楽だから個人の要望を押し通し叶わなければ退職という連鎖が起きている。
老年層も幸せになりたくて更地に苗を植え、アスファルトを敷き巨大な建築物を設けた。
若年層も幸せになりたくて環境から身を守る為に主張することを覚えた。
みんなみんな、ただ幸せになりたかっただけだ。
若年層と老年層、労働者と消費者双方がルールとモラルを大切にし共存できる社会づくりのために考えることを止めない人が増えていけば良いと切に思う。

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