見出し画像

保護した子猫の里親に、自分がなると決めるまでの話


一、真冬の別れと真夏の出遭い

去年の12月23日、飼っていた黒猫のViが逝去した。Viはまだ目も開かないうちに捨てられていた保護猫だった。拾い主さんの家で初めて出会った時、「この子の面倒は僕が見ます」と腹を決め、相棒として共に生きた。手のひらサイズだったViはみるみる大きくなり、やがて一歳の誕生日を迎えた。これまでnoteにも散々書き綴ったように、一緒にいて様々な苦労があった。Viは食いしん坊で、床に落ちているものは何でも口に入れて食べようとした。市販の猫用玩具の羽や紐の部分はすぐ噛みちぎって飲み込むので、そういう部分を事前に全部ハサミで切ってから遊ばせなくてはならなかった。冬の猫は温かいところを自分で探して寝ますとネットには書いてあったが、Viは炬燵にもペット用の電気カーペットにもまったく興味を示さず、真冬にわざわざ寒いところで寝ていたので二回も鼻風邪を引いた。おいおい、猫は炬燵で丸くなるんじゃないのかよ。全然話と違うじゃないか。病院に行くたびにお金が飛んで行った。たまに遊びに来る人は可愛いね、癒しなんでしょなどと言うが、飼っている側は正直毎日ひやひやだった。仕事でも人間関係でも普段ほとんど悩むことのない僕にとって、Viの存在は唯一の悩みの種と言っても良かった。こんなことを書くと批難の声があがりそうだが、実際にあった感情をなかったことには出来ない。子猫を飼うのはめちゃくちゃ大変だ。「猫を飼う」というものに漠然と抱いていたイメージは、「子猫を飼う」とは完全に別物だった。体感としては「何らかの修行」だ。それくらい大変だからこそ、無事に成猫にまで育った時は本当に嬉しかった。Viの一歳の誕生日を祝うと同時に、自分に対しても祝った。よくやった。これでようやく修行が終わる。ここから先は少しは楽だ。そう安堵していた矢先、彼は突然星空に旅立った。

あの夜、Viの身体は一瞬暴れて、聴いたことのない短い叫びを上げた。あんなに暴れん坊だった肉体がピクリとも動かなくなって、目を開けたまま中の光が消え、腕の中でだんだん硬くなっていった。腹が裂けるように痛かった。物理的に痛くて息ができなかった。やめてくれ。行かないでくれ。奪わないでくれ。この経験は一体何なんだよ。何のためにこんな思いをしなきゃいけないんだよ。「愛の道は僕らを試す」と、以前僕は自分で書いた。愛の道は険しい。愛がある限り僕らは愛を試される。それでも愛せる? それでも愛せる? そのすべてに「はい!」と答えられるかどうか試され続ける。それが愛の道だと説いた。Viとの生活もそうだった。「それでも愛せる?」の連続だった。そのすべてに「はい!」と答えてきた。その応答の果てに彼は死んだ。それでも愛せる? 当たり前だ。愛しているからこんなに哀しいんだろうが。試されて試されて、全部乗り越えて育ててきたから愛も哀しみも大きいんだろうが。この経験は何なんだ。何のためにこんな思いをしなきゃいけないんだ。何のために試されて試されてここまで愛を大きくしたんだよ。生かしてやれなくてごめん。不甲斐ない飼い主で申し訳ない。一週間誰とも話せず引き篭もった。二週間目にようやく話せるようになったが、哀しみが癒えた訳ではなかった。人前では大丈夫なふりをしたが、一ヶ月経っても半年経っても腹の中の哀しみは消えなかった。もうすぐ彼が死んで一年になる。今でもたまに彼の夢を見る。目が覚める時、僕は泣いている。記憶の中で薄れかけていたViの艶のある美しい黒い毛並みが、余りにもリアルに夢に出るからだ。

8月10日、真夏の夜。コインランドリーからの帰り道、どこからか甲高い鳴き声が聞こえた。漁協前の花壇の中に段ボールが置いてあり、鳴き声はその中から聴こえてくる。中を覗くと手のひらサイズの白い子猫が二匹、一生懸命鳴いていた。最初に出てきた言葉は「天使かよ」だった。次に出てきた言葉は「なんでよりによって僕が見つけるんだよ」だった。その次に出てきた言葉は「僕じゃなくていい」。あんな思いは二度と御免だ。この小さな命の責任を負うのは、全然僕じゃなくていい。Viを一歳で死なせてしまった僕にこの子たちを助ける資格はない。愛猫を死なせてまだ一年経たないのにもう新しい猫を拾うとか節操がなさすぎる。だめだ。何も見なかった。このままこの場を立ち去ろう。きっと朝になれば他の誰かが見つけてくれる。けれど。段ボールには大きい天使と小さい天使とがいた。大きい天使は一生懸命助けを求めて鳴いていた。まだ元気がある。小さい天使は背中を丸くしてか細く鳴き、あまり動かない。生きてはいるが、弱り始めていた。この時期の子猫は、頻繁にミルクを飲まないと低血糖で死ぬ。しかもこの辺りにはカラスやトンビが多い。日が昇れば気温はどんどん上がるだろう。ああ。なんで。よりにもよって。家にはViが使っていたトイレやキャリーリュックがまだある。自営業なのでほぼ一日離れず面倒を見られる。だがそのあとは? 誰が飼う? やめてくれ。もうあんな思いは嫌なんだよ。大変なんだよ子猫を飼うのは。里親を探すのはどうだろう。拾い主として、二匹の新しい家族を探す。そういう役回りならできるのではないか。いや、待て。冷静になれ。ちゃんと見つけてやれるのか。見つからなかったらどうすんだ。勘弁してくれ。飼うのは無理だ。おいてめえ、さっさと決めろ。やるのか。やらねえのか。

なぜそうしたのか、今でもよくわからない。堂々巡りする頭の中とは別に、何か好奇心なような閃きが芽生えたのかもしれない。何か新しい物語が動き出すような予感がしたのかもしれない。気付けば身体が動いていた。なんとでもなれこの野郎。段ボールごと家に持ち帰って二階に上がり、Viの使っていたキャリーリュックを引っ張り出した。Viちゃんごめん、使わせて。うんちで汚れた段ボールから一匹ずつ取り出してキャリーリュックの中に入れた。そしてすぐに24時間の業務スーパーに走った。フラッシュバックするのでずっと避けていた猫コーナーに勇気を出して立ち入って、ミルクと哺乳瓶と猫砂とおしっこシートを買った。ミルクを与えると、二匹とも吸い付くように勢いよく飲みだした。ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク。ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク。生存ルート確保。大丈夫。もう大丈夫だよ。あなたたちは生きられる。やれやれ。これから大変だぞ。覚悟はいいな。この役回りを引き受けよう。とにかくこの二匹を生かすこと。それが今回僕に与えられた任務だ。この任務の引き受け役は、別に僕じゃなくても良かったのかもしれない。たまたまそこを通りがかったのが僕だっただけだ。それでいい。それで充分だ。明日から、あなたたちを責任持って飼ってくれる人を探します。もう大丈夫だから、安心して眠るんだよ。

二、お世話ライフと天音ちゃん

翌朝から怒涛のお世話生活が始まった。子猫はすごい。こんなに身体は小さいのにこちらの生活は100パーセント支配される。どちらも白猫だったので二匹の見分けをどうやってつけようかと思ったが、よく見ると顔も鳴き声も大きさも性格も全然違ったのでその点の心配は不要だった。赤ちゃん猫は性別がわかりづらく、何度も何度も下腹部を確認した。どうやら鳴き声が落ち着いていて身体の大きい方が女の子、声が甲高くて身体の小さい方が男の子のようだった。名前をつけると愛着が湧いてしまうので、ひとまず「おんなのこ」「おとこのこ」と呼ぶことにした。おんなのこは鼻と肉球が黒くて耳の先と尻尾が少し灰色だった。おとこのこは耳と肉球と尻尾が薄茶色だった。ふたりは仲良しでいつもぴったりとくっついていた。顔は似ていないが、同じ段ボールに入っていたのでおそらく姉弟なのだろう。大きさはだいたい握り拳大、並んでいるとふわふわの雪見だいふくにしか見えない。ピーピー鳴き、よちよち歩く。Viの時は既に離乳が済んで子猫用のフードが食べられるようになってから引き取ったので、ここまでの赤ちゃん猫の世話をするのは初めての経験だった。ネットで赤ちゃん猫のお世話の仕方を調べてはひとつひとつ実践した。粉ミルクの作り方。哺乳瓶の飲み口の切り方。ミルクを与える時の安全な角度。この時期の子猫は自力で排泄ができないので、ティッシュでお尻をトントン刺激してうんちやおしっこを受け止める必要があった。三時間おき、一日八回ミルクと排泄の時間が来る。粉ミルクは雑菌が繁殖しやすいので作り置きはできず、毎回新しいお湯を沸かして作る必要があった。その頃ゲストハウスではトークライブを企画していたのだが、主宰兼話し手の僕はイベント当日に哺乳瓶を両手に持ってうろうろしなければならなかった。

インスタグラムのストーリーで里親募集を呼び掛けると、友人知人を中心に早速いろいろな反応があった。里親募集に協力したいという人、猫を飼いたい人がいるという情報、飼いたいという人からの声。しかしお住まいがペット可の物件ではなかったり、遠方の方で現地に来ることが難しかったりと結局決まりはしなかった。最初は引き取り手がいたら即連れて帰ってもらおうくらいに甘く考えていたが、調べてみると法律で生後五十六日までは譲渡が禁止されていると知った。ミルクの時期は一ヶ月ほどで過ぎ去るので、どのみち離乳までは拾い主が面倒をみた方が安全かつ効率的だ。つまりもしもスムーズに里親希望の方が現れたとしても、二ヶ月はうちで預かることになる。ああ、このお世話生活がこれから二ヶ月続くのか。嬉しいような気が遠くなるような複雑な気持ちだった。この可愛い天使たちと二ヶ月も一緒にいられるのだ。お金かかるなあ。遠出できないなあ。無論とっくに腹は決まっていた。助けるって決めたんだ。この役を引き受けるって決めたんだ。その間に愛情を持って飼ってくれる素敵なファミリーを見つけてバイバイ、お疲れ様。今回自分に与えられたご縁はそこまで。そこまでやり切ったら任務完了だ。幸いなことに、おんなのこの方は早い段階で里親候補の方が現れた。Lさんという方だった。彼女によっておんなのこには「天音(あまね)」という名前がついた。

保護して数日経ったある日のこと。天音ちゃんの様子がおかしかった。背中を丸めてじっとして、下腹だけで速く脈打つ呼吸をしていた。嫌な記憶が蘇る。このおかしな呼吸を始めた猫がとても危ない状態であるということを僕はよく知っていた。Vi。あの時と同じだった。Viはこの呼吸を確認してから十日で死んだ。肺に水が溜まって入る空気が少なくなると、猫はこのおかしな腹式呼吸になるらしい。またなのか。よりにもよって、まったく同じ症状で。落ち着け。まずは動物病院だ。以前お世話になった行き着けの病院がお盆休みだったので、里親希望のLさんに連絡した。Lさんもお盆で帰省していたが、天音ちゃんの命を優先して帰省を中断して隣町の病院まで連れて行ってくれた。今回初めてかかった獣医は、速い呼吸の原因を何度聞いても話を逸らして何も答えようとしなかった。ちょっと呼吸が速い気がしますねー。いやいや、ちょっとじゃないだろ。こっちは同じ症状で一匹亡くしてるんだよ。一応レントゲンを撮ってみますかと言うのでお願いすると、案の定肺の辺りに白いもやがかかっていた。肺炎かもしれません。この時期の子猫には体力的に何も処置することができないので、このまま死んじゃうかもしれませんね。獣医は淡々とそう言った。なんだよそれ。何のための動物病院だよ。何のためのレントゲンだよ。過去のフラッシュバックも相まってどうにかなりそうだった。何の因果で、よりによってまったく同じ症状で。ミルクの飲ませ方が悪かったのだろうか。勢い余って、器官から肺に入ってしまったのだろうか。やはり自分ではなく他の人が拾った方が良かったのでは。とにかく生かすって決めたのに。それすら満足にできないのか。落ち着け。冷静になれ。黙ってできることを全部やれ。もしも肺炎であれば肺の中の細菌を減らせば治るかもしれないとのことだったので、抗生物質を飲ませ自宅で様子を見ることになった。一秒間に二回も脈打つ天音ちゃんのお腹を見守りながら祈った。どうかこの子を治してください。祈ったところで、必ずしも命が助かるわけではないことは嫌というほど知っていた。Viの時、僕は何度神に祈ったか知れない。どうかこの子の命を助けてください。何か奇跡を起こしてこの子をまた元気に生かしてください。その祈りは届かなかった。どんなに切実に祈っても、実際的な効力があるわけではないことを僕は知った。それでもやはり今回も祈ることしかできなかった。他にできることはなかった。

結論を言うと、天音ちゃんは助かった。抗生物質が効いたのだろう。二日後には普通の呼吸に戻って、おとこのことまた元気に遊び始めた。僕はほーっと安堵の溜息をついた。良かった。良かった。本当に良かった。Lさんに天音ちゃんの呼吸が治ったことを報告し、大切なお盆の集まりを中断してまで天音ちゃんを隣町の病院まで連れて行く選択をしてくれたことに心から感謝を述べた。天音ちゃんは二ヶ月後、Lさんに引き取って頂くことが正式に決定した。

三、おとこのこ、里親募集のリアル

すぐに里親が決まった天音ちゃんに対して、おとこのこの方はなかなか決まらなかった。ふたりはいつも追いかけ回ったり戯れあったりして遊んでいた。あまりにもいつもベッタリなのでふたりを引き離さない方が良いのではという意見もあったが、それにはひとつの懸念があった。天音ちゃんの左耳の後ろに小さな出来物のような突起物があり、おとこのこは何故かそこだけを狙ってちゅーちゅー吸うのだ。お陰で天音ちゃんの耳の後ろはいつも唾液でびしょびしょだった。母猫の乳首と勘違いしているのだろうか。天音ちゃんは嫌がっている様子だが、おとこのこがあまりにもしつこいので諦めているようでもあった。おとこのこは相手の気持ちなどお構いなし。何度やめさせても執拗に耳の裏を吸い続ける。吸う力も結構強いようで、吸われた形に天音ちゃんの皮がビヨンと伸びてしまっていた。この一点があったので、二匹はゆくゆく別々にした方が良いと判断した。

一ヶ月が経った頃、もう一度本腰を入れておとこのこの里親募集をSNSで呼び掛けた。おとこのこのみをフィーチャーした写真を何枚か撮り、「子猫 里親 条件」と検索して出てきた一般的な条件リストと、引き渡しが10月以降になる旨、拾い主としての想いを併せて投稿した。キュンと来た方はご連絡ください。知人たちにも拡散の協力を仰いだ。ありがたいことに様々な方がシェアしてくれた。が、残念ながら飼い主になって欲しいと思える人は現れなかった。ご希望の声がまったくなかったわけではないのだが、メッセージのやり取りであまりにも失礼な方だったのでお断りする運びとなった。間違ってもこういう人にこの子を渡したくない、渡してはいけないと本能的に警戒してしまうメッセージもあった。世の中にはいろいろな人がいる。里親希望者の中には虐待目的で連絡してくる人間もいると聞く。仮にも一緒に生活し、毎日毎日世話をしている可愛いその子にとって一番幸せな家族を見つけるのが里親募集の役割だ。発言内容や人柄も含め、飼い主として相応しいかどうか見極める必要がある。鍵アカウントのあなたは一体誰ですか。まずはお名前を名乗ってください。ちゃんと本文を読んでからご連絡ください。提示した条件を守って頂けないならご縁がなかったということで。ああ、これが里親募集のリアルか。保護猫活動の難しさを思い知った。継続的にご活動されている方のメンタルはすごい。

いろいろな人とやり取りをする中で、いつしか僕は「貴様のような奴には娘をやれん!」と立ち塞がる昭和のお父さんのような気持ちになり始めていた。正直に言おう。一ヶ月間世話をしている間に、僕はすっかりおとこのこに対して情が移ってしまったらしい。この一ヶ月毎日休まず1日六〜八回ミルクをあげて育ててきた。初めて自分でおしっこができた日。トイレの砂を初めて掻けた日。狩りの練習を始めた日。お座りの体勢ができるようになった日。走れるようになった日。「里親なんて見つからなければいいのに」。里親探しにご協力頂いた皆様には本当に申し訳ない話なのだが、そんな気持ちすらひっそりと芽生えていたことを白状しなくてはならない。無論、最も大切なのは僕の気持ちではない。この子にとっていちばん幸せな環境を選ぶことだ。この子がこれから幸せに生きること。それだけが僕の願いだった。もしも自分よりもずっと幸せな環境を提供できそうな人が現れたら喜んで引き渡すつもりだった。しかしそういう人は現れなかった。適当な人には渡せない。生半可な人にも渡せない。論外のような人に渡すくらいなら、君はこのまま僕と行こう。「名前をつけると愛着が湧いてしまうからつけない」とかカッコつけていたものの、その頃には裏でこっそり「タオ」という名前をつけて呼んでしまっていたこともこの際白状しなくてはならない。

結局今回の里親探しは、「無事に里親が決まりました! ご協力ありがとうございました!」とSNSで報告することで結末を迎えた。里親というのは僕のことである。嘘は言っていない。散々募集を呼び掛けておいて「やっぱり私が飼います!」というのも余りにもお騒がせ人間過ぎるので、ひとまず「無事に里親が決まった」という表現をすることにした。拾い主自身が飼うことになったことは、少し間を置いてから公表しよう。きっとみなさん許してくださる。里親探しに実際的にご協力くださった面々には個別にメッセージを送り、僕が飼うことに決めた旨、お騒がせしたことへの謝罪、ご協力頂いたことへの感謝をお伝えした。

四、人生史上最もダメダメな自分

飼うと宣言した後も、実を言うとしばらくは不安定な心境が続いていた。発言を撤回して里親募集を再開しようかと何度も思ってしまうくらい毎日気持ちが揺れ動いていた。僕としたことが。内心ブレッブレじゃないか。なんという体たらく。本当に情けない。そんな状態ならやはり飼いますなんて言うべきではなかっただろう。どうしたらいいかわからない。迷いの理由はやはりViだった。大好きだったVi。生かしてやれなかったVi。一緒に過ごした一年半の幸せな記憶と、余命宣告を受けてから彼が亡くなるまでの数日間に見た光景、まだ一歳の彼を死なせてしまった自責の思いがどうしても脳裏にちらついてしまう。Viはいつも一階のリビングにいた。ゲストハウスのカラフルな内装に彼の小さな黒い体はよく映えた。タオと天音ちゃんは基本的に二階の和室で過ごさせていた。何度か一階に連れてきたりもしたのだが、何故かものすごく違和感を覚えたのですぐに二階に連れ戻した。違う。君たちは可愛い。愛してる。でも違うんだ。ここにいたのは黒猫なんだよ。白猫がいるイメージは全然湧かないんだ。この場所でViと過ごした思い出を、タオや天音ちゃんがいることで上書き更新されたくないという気持ちもあったのかもしれない。

気持ちが不安定だった理由はもうひとつある。当時タオが僕にあまり懐いていなかったことだ。タオは天音ちゃんのことが大好きだった。いつも天音ちゃんのあとを追いかけていた。いつも二匹で遊んでくれていたのでお世話するには楽だったが、そのぶん「僕とタオ」の一対一でのコミュニケーションはほぼなかった。よりによってタオは人間に抱っこされるのをとにかく嫌がる猫だった。性格によるものなので仕方ないそうだが、抱き抱えようとするたびに全力で逃げられるのは正直寂しい。果たしてうまくやっていけるのだろうか。不安は募った。

ある日の朝、Viの夢を見て目を覚ました。布団の中で泣いていると、どうしたの、という感じで天音ちゃんが枕元に寄り添ってくれた。優しい子だ。一方やんちゃ坊主のタオは素知らぬ顔で走り回っている。タオよりも天音ちゃんの方が僕に懐いているのもまた悩みの種だった。その日、つい弱気になった僕は天音ちゃんの里親予定のLさんに「タオのことも飼う気はないか」的な連絡をした。以前そういう話になったことがあったからだ。「最近のあなたはおかしい、一体どうしたんだ」と、さすがに発言内容が余りにもころころ変わる僕の様子を心配したLさんがうちに飛んで来た。そこで誰にも話せなかった心中をLさんに打ち明けた。今朝Viの夢を見たこと。里親を募集したが良い人が見つからなかったこと。僕が飼うことがタオにとって本当にベストなのか。うまくやっていけるのか。Viのこと、タオのこと、天音ちゃんのことでもう頭の中がめちゃくちゃなこと。それを聞いてLさんは言った。「あなたは一人で背負いすぎだ」。最終的には「私が飼うよ」とまで言ってくれた。その言葉に気持ち的に随分救われた。少なくとも、タオにうち以外の行き場ができたことはプレッシャーを軽くしてくれた。しかしその上で、本当に本当に申し訳ないのだけれど、「タオをどうするか、もう少しだけよく考えさせてほしい」と僕は言った。こんなに言ってることがブレブレでダメダメな自分はさすがに人生史上初だった。本当にお恥ずかしい次第である。どうしてなのだろう。こんなにうまくやっていけるかどうか不安があるのに、タオのことをLさんに任せるのもまた何かが違うような気がした。もう一度だけじっくり考えてからどうするか決めたい。いろいろとお察し頂いてのことだろう、Lさんは快く頷いてくれた。

その足で、天音ちゃんをLさんに受け渡すことになった。予定していた日付より少し早かったが、ちょうど離乳を終えてカリカリを食べられるようになっていた。こういうのはタイミングだ。僕がタオと向き合えていないのは天音ちゃんがいたからでもある。天音ちゃんがいなくなってタオと僕だけになったら関係性はどう変化するのか。タオをどうするかはそれから考えることになった。「ほら、入んなさい。あんたはどのみち行くんだからね」。遊んでいる二匹を離して天音ちゃんだけをキャリーリュックに誘導する。不思議だ。天音ちゃんを手放すことにはまるで抵抗がなかった。Lさんの家に開放した天音ちゃんは違和感ゼロだった。最初はウロウロ探索して、しばらくすると完全に適応した様子を見せた。これにて一件落着。任務完了。天音ちゃんは収まるところに収まった。

果たして天音ちゃんは卒業し、僕とタオの二人きりになった。その日から、男と男のぎこちない日々が始まるのだった。

五、白猫のタオ

「猫」という、単独行動を好み一日のほとんどを寝て過ごす幻の生物がいるらしい。僕はいまだかつてそのような生物にはお目見えしたことがない。0歳の子猫は単独行動なんか全然してくれない。一日中寝ているどころか、一日中構って構ってと追いかけてくる。構ってやらないと不機嫌な声でいつまでも鳴き続ける。タオはずーっと僕にべったりだった。最初のうちこそ天音ちゃんを探してあちこち呼び回っていたものの、三日もすると諦めて僕の方に来た。夜中の三時に髪の毛を噛まれて引っ張り起こされる。二度寝しようとするとざらざらの舌で鼻をペロペロ舐められ、たまにエスカレートしてガブっと噛まれる。「やだ。やめて」と言っても聞かないので隣の部屋に入れてまた寝ようとすると不満そうにぅわんぅわん鳴く。「大丈夫よー。お兄ちゃんここにいるよ」。僕に懐かないのではないか、などというのはまったくの杞憂だった。べったりすぎてそれはそれで困っている。が、子猫を飼う大変さは以前誰かさんで経験していたので、そこはまあ承知の上である。

最近は仕事やプライベートで九州各地のいろいろなところに行く機会があるのだが、先方が受け入れてくれさえすれば迷わずタオを一緒に連れて行っている。「猫は神経質なので旅行には向かない」とネットに書いていたので以前は遠出を諦めていたのだが、いざ車に乗せてみたらタオは車内でも大人しく、出先の環境にもすぐに適応した。むしろ新しい場所に来る度に嬉しそうに走り回っている。そして誰にでもすぐ懐く。ネットの情報で無理だと諦めるのは間違っていた。やり方はいくらでもあるようだ。

久しぶりに会わせてみようということで、一度Lさんが天音ちゃんを連れて来てくれた(久しぶりと言ってもほんの一週間くらいなのだけれど)。喜んで遊びまくるかと思いきや、再会した二匹はまさかの大喧嘩だった。一緒にいた頃はあんなに仲良しだったのに。タオは以前のように戯れ合おうとするのだが、天音ちゃん側は「フーッ!」と本気で怒った声を出して威嚇した。以前はタオに耳の後ろをちゅーちゅー吸われてもされるがままだった天音ちゃんが、一旦距離を置くことで反撃できるマインドを手に入れたのだろう。人間社会でもよくあることだ。

正直、今でもタオが僕のところにいて本当に幸せなのかわからなくなる時がある。さすがに一日中は構ってやれない。僕が家事や執筆、仕事に集中したり外出したりしている間は退屈な思いをさせていると思う。それでもなるべく退屈させないように、廃材でキャットタワーを作ったり、電動で動くおもちゃを買ってみたりと試行錯誤しているつもりだ。願わくば僕がいない間に誰か家にいてくれればいいのにと思ったりもする。先日Lさんと話していたら、Lさんがふと「天音ちゃんは私のところにいて幸せなんだろうか」とぼやいた。お仕事で日中お忙しいLさんは、あまり自分が家にいてやれないことをご心配なさっているようだった。それを聞いて僕はむしろほっとした。そういう気持ちは、子猫を飼っている人にはある程度普遍的に起こるものなのかもしれない。話を聞けば聞くほど天音ちゃんは大丈夫だった。Lさんの家には先住の子うさぎがいる。Lさんの二階建ての一軒家の中で、子猫と子うさぎは自由に走り回っているという。Lさんが家にいない間も、天音ちゃんは遊び相手には困らない。僕は自信たっぷりに「飼いなさい。大丈夫だから」と断言した。「飼いなさい。大丈夫だから」。その言葉はまるで自分に向けて言っているかのように、僕自身にも力強く響いた。

この世界には人生を自ずと方向づけてしまう不思議な力がはたらいている。アインシュタインはその力を「神」と呼び、ユングは「無意識」、道教家たちは「道(tao)」と呼んだ。どういうわけか僕の人生にはいつも暴れん坊で甘えん坊のオスの子猫が登場する。子猫のお世話に散々頭を悩ませながらも、なぜかいつもそういう流れになる。心理学者のアーノルド・ミンデルによると、それは僕の「神」が、「無意識」が、「道」が、それを望んでいるということらしい。タオを飼うことになったこと。これこそが、僕の人生を方向付ける「道の導き」なのかもしれない。

さいごに 読んでくださった皆様へ

ここまで読んで下さってありがとうございます。今回自分の身に起こった出来事を、可能な限りリアルな手触りで言語化することができたように思います。実を言いますと、僕はこの文章を書いたことで随分と救われています。タオを想う気持ち、なかなか存在を受け入れられない葛藤など、言語化するまではまるで掴みどころのなかった曖昧で複雑な感情をじっくりと吟味して、より正確に近い言葉をひとつひとつ掬い上げることで、ようやく自分自身の物語として受け入れられるようになった気がします。

また日向神話ゲストハウスVIVIDでは、タオのために猫用おもちゃやおやつなどのご支援を受け付けることにしました。直接のご来館、または郵送による物資のご支援を歓迎しています(2023年12月現在、生後四ヶ月です。おやつ系は一歳までの子猫用のものをお願い致します。わからないことあれば事前にご質問ください)。もしも金銭的なサポートをしたいという方がいらっしゃいましたら、下記のお振込口座からご支援金も受け付けます。頂いた支援金は、タオの去勢手術費用やトイレ用品の購入費、今後の医療費等に充てさせて頂きます。

何より皆さんが直接来て可愛がってくださいましたら、きっとタオも嬉しいでしょう。ぜひ宮崎県日向市の日向神話ゲストハウスVIVIDまで遊びに来て下さいね。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

日向神話ゲストハウスVIVID
北沢由宇

◆ご支援物資送り先住所◆
〒883-0001
宮崎県日向市細島200-1
日向神話ゲストハウスVIVID
北沢由宇 宛

◆宿泊のご予約・ご連絡先◆
07037689067
ukitazawa@gmail.com
インスタグラム

◆タオご支援金お振込先◆
ゆうちょ銀行
店名 一七九店
預金種目 当座
番号 0173423
日向神話ゲストハウスVIVID 迄
(必ずお名前と何らかの形でご連絡の上
お振込をお願い致します)

保護翌朝のタオ(左)と天音ちゃん(右)
からまるふたり
雪見だいふくコンビ
眠るタオ
おでこの広い天音ちゃん
ミルクを飲むふたり
ちょっと大きくなる
澄まし顔のタオ
気持ち良さそうに眠る天音ちゃん
里親見つからないタオ
こんなに可愛いのに
天音ちゃん、卒業🎉
Lさん宅へ
取り残されたタオ
おれはこいつと旅に出る
肉球タオ
ウインクタオ
いたずらタオ
Lさん宅、天音ちゃんとうさぎの愛之助
タオ、近影(生後4ヶ月)
雰囲気出てきたタオ
ありがとう。

この記事が参加している募集

ペットとの暮らし

猫のいるしあわせ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?