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Passion~時間を戻せるのなら~Flower


流れてきた香りが俺の足を止めた。
パッションフラワーの香り。
甘く、でもさわやかでせつない。
終電近くまだ混みあう駅のホームで。
「まじシフトきつすぎ…早くうち帰ろう、今日も泊まってくよね」
色焼けした長い髪が腕とともにからまり、思わず俺はそれをふりほどいた。
「わるい、今日はウチに帰る」
反対側に来ていた電車に飛び乗ると、すぐにドアはしまった。

まだあの香りが鼻をくすぐり続ける。
視線をめぐらせてた俺は、息をのむ。
彼女だ。
一つ隣のドアを背にして立っていた。
背の高い男を見上げ話しながら、はにかむような微笑みを浮かべている。
さりげないが化粧もしている、そうだろう、もう勤めているはずだ。
相手は会社の同僚なのか、それとも…
前よりもっとキレイになってる。
そして何より、あの頃より幸せそうだ。
背を向ける俺…
だが香りは遠慮なく脳に触れてくる。
そして唐突に過去が舞い戻ってきた。

「時間を戻すこと、できるはず」
彼女は俺に言った。
「あなたが本当にのぞむなら」
「タイムマシンがあるってのか?」
俺は鼻で笑ったが、彼女の眼は真剣だった。
出会った頃と同じカフェ。
髪型が少し変わっただけで、相変わらず少女のような彼女。
分厚い木のテーブル上の飲み物も、彼女はレモネード、俺はアイスコーヒー。どちらも同じDURALEXのカップ。
でも俺はもうシャツとジーンズでなく、くたびれたスーツ姿だった。
「別れよう…会社もやめた…もう、君との未来も見えない」
「前の夢に戻ればいいじゃない。書く仕事がしたいってずっと…」
「ムリなんだよ」
彼女はお嬢様だった、あらゆる意味で。
考え方だけでなく家柄も含めて。
彼女と真剣に付き合うようになった俺は、そんな現実と葛藤していた。
「夢は夢なんだよ…せめて君と一緒になりたかった、だけど…」
彼女の相手にふさわしい仕事をと、無理して入った会社。
だが結局不向きだった。
役立たずなばかりか、存在意義さえも見失い、すべて破棄した。
動かない二人の間を風が吹き抜けた。
パッションフラワーの香り…俺が初めてあげた香水だ。
貧乏学生の俺が背伸びして買った、初めてのプレゼントだった。

俺の意識はまた別の景色に飛んだ。
クリスマスなのに、レモネードとアイスコーヒー。
その間にはリボンのついた小さな箱。
そこから取り出した小さな瓶…その香りを嗅いだ彼女は目を輝かせた。
「好き、この香り。ありがとう…パッションフラワーなのね」
「え、そんな情熱的な香りじゃないのに?」
すると彼女はクスリと笑った
「違う意味もあるのよ、パッションには。それに日本では時計草とも言うの」
「えっ、まさかその香りでタイムリープしちゃうとか?」
「あの小説のはラベンダーでしょ」
俺たちは二人して大笑いした。
「花が時計みたいなんだって。でも本当に時をとべるかも。この香りを嗅いだら、この素敵な時間にいつでも戻れそうな気がするもの」

ガタリと電車が揺れ、俺は現実に戻る。
よどんだ車内の空気。
フリーターでなんとか食いつなぐ日々、なげやりな人間関係。
最近、パッションのもう一つの意味を知った。
受難、なのだそうだ。
キリストの十字架に絡んでいたから、受難の象徴の花なのだと。
今の俺には、その意味のがふさわしそうだ。生きるのが苦痛な日々。
なのになぜか生きている。
戻りたい…
タイムマシンでもラベンダーの花でもいい。
戻りたい…戻れるのならあの頃に。
俺の目は、いつしかまた彼女を見てた。
ガタリとまた電車は揺れてドアが開く。
彼女は前に立つ男に会釈し、電車を降りていく。
見えなくなっていく彼女の姿。
だが外から流れこむ新鮮な空気が、あの香りを俺に再び運んで来た。
『時間を戻すこと、できるはず…あなたが本当にのぞむなら…』
あの日の彼女の言葉が聞こえてきた。

俺は電車から足を踏み出した。
あの香りに導かれるように。
情熱、受難…どちらが待つかはわからないが、歩きだそう。
この停滞した時間から飛び立つために。


これまで書いたnotoの紹介はこちら
→ インデックス https://note.com/u_ni/n/ncaae14bb6206/edit


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