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読書記録 『手仕事の日本』柳宗悦

読書記録は「読書メーター」に残していますが、特に感想を残しておきたい本はこちらにも残しておくことにします。
不思議なもので・・・感想を自分の言葉で残しておくことで、本の内容もより記憶に留まりやすくなる気がしています。いや、なんとなく。


『手仕事の日本』柳 宗悦 を読んで

昭和初期頃の手仕事の数々を、日本全国見てまわり丹念に綴った一冊。
面積の小さな国でありながら南北に長くのびるこの国は、寒暖もあり四季もあるという特徴を持つ。その豊かな自然に育まれた多種多様な資材は、その土地その土地の風土や歴史と結びつき、美しい手仕事を生む。

驚きました。
日本とはかつてこんなにも手仕事の豊かな国であったのか、と。

この本に採り上げられる物は、ひとつとして作った人の名を記してはいません。高名な作家の銘が刻まれたような作品ではなく、職人たちの手による暮らしのなかの実用品であり、あるがゆえに、戦争やその後の近代化、合理化のなかで技が途絶え、或いは趣を変えてしまった物も多いといいます。

私自身、“手仕事”と聞くと、その細やかさや複雑さこそが賞賛されるものだと思い込んでいたフシがあります。日本の地理と手仕事の関係までを深く考える機会はあまりありませんでした。
最初にその関係に気づかされたのは、宮大工・西岡常一さんの言葉をまとめた『木に学べ』を読んだ時でしょうか。この本について書くと文章がやたら長くなるので別の機会に譲りますが、日本だからこそ生まれ得た建築の美というものを知るきっかけになった一冊です。

今回、『手仕事の日本』を読み進めながら、実際に手元のスマホで紹介されている道具のいくつかを検索してみましたが、残念ながらその道具が当時どんな姿だったのか、情報に行きつけない物も多くありました。二つ目の驚きはここにあります。検索すればそこそこ情報が得られる現代にあって、手に入らない情報もあると改めて気づかされました。人々の関心が寄せられなければ・・・残す気力がなければ・・・物事の記録や記憶はなんでもかんでも後世に残るというものではないようで、これにはちょっと考えさせられてしまいました。

徳島県の“天然藍”を綴った項に、柳宗悦氏のこんな言葉があります。
「日本人は人造藍で便利さを買って、美しさを売ってしまいました。この取引は幸福であったでしょうか。」
心を掴まれました。
今ほど豊かでなかった時代に生まれた物は、今の時代、私達が生きていくのに必ずしも必要でないかもしれません。でも、日本の風土や歴史のなかで生まれた“美”が失われていくことに、私は少なからず気が咎めます。

一冊読み終えて、漠然と「まだ間に合うかしら?」と思っていました。
何が?・・かは自分でも曖昧です。見に行くことなのか、使うことなのか、だれかに伝えることなのか。
でも、奇跡的にもこの国に生まれ、やっておくべきことがあるのではないかという気がしています。
そして、一瞬でも感じたこの気持ちを留めておきたいと思いました。だから言葉にしてここに残します。

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