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屋根裏部屋のような心

知識を蓄えよう。なぜなら困っている人を救うための知恵になるから。

定期的に整頓しながら適度に散らかそう。だってその方がお客様が緊張せずに済むから。

真っ白な蛍光灯で明るく保つより、少し明るさを調整してボーッとできる空間作りを心がけよう。ついウトウト眠ってしまうような快適さを提供できるように。

そんなことを考えながら人と接するようになったのはいつの頃からだろう。幼い頃は感じたことを思うがままに態度や行動に出してしまうような子供だったように思う。中学校に入り、本格的に縦社会というものを学ぶことになる。僕の母校は俗に言う”ヤンキー校”だった。原チャリが校内を走るようなステキな環境に育てられ、ちゃっかり「不登校」も経験した。僕にとってのはじめての挫折だった。くだらないことがきっかけでターゲットの矢は最速で僕を射止めた。当時は何が悪いのか全く理解しようともせず、自分は正しい、負けたくない、そんな一心でただただ足掻いていたように思う。

しかし、いま思えばそんな身勝手な僕のことが気に入らなかったのだろう。思春期のいじめは様々な要因で突然勃発する。もちろんいじめは良くないことだ、だけどその線引きにこれという基準はない。僕の考え方・捉え方次第で加害者と呼ばれる同級生たちと楽しく過ごす選択肢だってあったはずだ。

高校・大学と、学力や価値観、環境など様々な要素で因数分解されては輪切りにされてゆく。義務教育時代のような辛さはそこにはない。だが一方でそこではその環境なりの差別や区別、優劣が発生する。それに対してストレスを感じる者もいればそれが生きる力の源になる者だっている。そういった環境こそが社会に羽ばたくための準備期間だったのかもしれないと今になってようやく考えることができるようになってきた。

”おっさんになったな”って感じる瞬間だ。笑

教員時代に感じたこと

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まさに驚きの連続だった。

戦時中より変わらない体制、新しいことを拒絶する先輩たち、やる気に満ちた若いクギを打ち付けたくてたまらない管理職…まるで「自分たちもそうやって我慢してきたんだ、お前たちだけ好き勝手にはさせない」とでも言わんばかりに”右へならえ”を強制させられそうになる日々。でも当時は辞めたいなんて考えはこれっぽっちもなかった。負けてたまるか!そんな反骨心だけで乗り切ろうとしていたのかもしれない。振り返ると生徒たちを結果的に振り回していなかっただろうか、時々そんな夢を見る。幸い理解ある生徒たちに恵まれたおかげで卒業してからも良い関係を続けさせてもらうことができている。

保護者からの暗黙のプレッシャー。まだ若いから、子供も育てたこともないくせに…そんなことを陰でささやかれているのを承知しながら日々生徒たちと向き合う、毎朝ホームルームに向かう途中に様々なことが脳裏を過ぎるようになってゆく、ついには「何のために、誰のために自分は教員をしているのだろう」なんてことを考えるようになっていった。

ただ、ありがたいことに自分が担任であるクラスの生徒、保護者には非常に恵まれていたと感じている。幾度となくぶつかり合ったが、それは僕への期待も含まれていたのであろうことは肌で感じることができていた。自身の子への葛藤、期待、それをぶつける矛先が見当たらずに保護者も彷徨っていたのかもしれない。

それを少しずつ経験とともに受け入れられるようになってきた頃にこの屋根裏部屋の感覚が自分の中に芽生え始めた。たまにフラッと立ち寄って心を休めることができる場を提供する人になることができれば心の拠り所となることができるのではないだろうかって。

みんな必死、だからこそ

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ちょっとした心の拠り所って必要。何やかんやで寂しい時とか心埋めて欲しい時ってたくさんある。そんな受け皿的な存在になれたらって思って教員目指したのかなって最近強く感じるようになった。お金ももちろん大切だ、そもそもお金の価値観なんて人それぞれで、自分の周囲の人も幸せにすることができないような人は何を言っても無駄である。大前提としてみんな自分の人生を懸命に生きているし、それを他人がとやかく言う権利もないのかもしれない。ただ、だからこそ僕たちには寄り添う他者が必要で、苦楽も含めて共感できる相手、信頼できるパートナーが存在することがゆたかに暮らすために必要不可欠な条件なのかもしれない。一方で、ギリギリの狭間を経験した者にだけ与えられるご褒美なのかもしれないと、この記事を書きながら自身のストーリーを俯瞰し始めている自分がいる。

ありがとうございます✨デザイナー目指している娘にiPad買ってあげたいと思います✨