7.「湧く」と「沸く」。アスリートの言葉は深い

 スポーツ報道は速報性が優先するという事情もあるのでしょうか、WEB版はちょいちょい赤字を入れたくなることがあります。

 「自信になります」が「自身になります」になっているのは、単純な変換ミスなのでわかりやすいのですが、アスリートの発言を記事にしたものは、言葉のひとつひとつに特別な意味が込められているので、誤りと言い切れないなあと考えてしまうこともあります。

 例えばさっき見た記事:

  羽生はSP新プログラムについて「何か沸き上がるような感情があれば、うれしいです」と話している。
(東スポWeb 「【フィギュア】羽生結弦の孤独な戦いスタート SP練習はプーさんと」2020年12月25日10時28分 より
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/figure-skating/2550105/ )

 「沸き上がる感情」は「湧き上がる感情」ではないか? とつい引っ掛かってしまいました。

 例によって引っ張り出した『記者ハンドブック』(第13版、共同通信社)では、「沸く」は「沸騰、熱狂する」、「湧く」は「わき出る、生じる」と、意味で使い分けることになっています。

 もし、気持ちがたかぶることや熱くなることを意味しているのであれば「沸」でよいことになりますが、「感情」が希望とか勇気といったことなら「湧」になるでしょう。

 でもこの一文だけで判断するのは微妙です。
 いっそ平仮名にしてしまえばいいのに、といったら職場放棄ですね。

 このインタビューは他紙も記事にしたはず。

 例えばスポニチアネックスでは「湧」が使われています。

  「今日やったフリーは題材となるストーリー、伝えたいストーリーがあるが、それに縛られずに、見ていただいた方の感触というか、何かその方々の中にある背景に訴えかけられるものがあれば。SPは、何か湧き上がるような感情があればうれしい」 
 (スポニチアネックス 「羽生に聞く フリーの新曲で「伝えたいストーリーがある」SPは「湧き上がるような感情あれば」」2020年12月25日 05:30より
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2020/12/25/kiji/20201224s00079000580000c.html

 見ている人それぞれの気持ちを動かしたい。何かしら感じてもらいたい。そんな意味が文脈から受け取れます。だとすると「湧」がよさそうです。

 ところで本番は、観客は熱狂をもって迎え、会場は大いに沸き上がりました。
 インタビューの言葉にもしかしたら、わくわくさせたい、という思いも込められていたのでしょうか。そうだとすると「沸」でもいいのかもしれません。
 
 こういう場合、新聞の編集現場で通常どう対処されているのかはよく知りません。意味で漢字を使い分けなければならないとしたら、ここはその記者がどう受け取ったかで決まるのではないかと思った次第です。

【追記】2020年12月26日
 平仮名表記の記事を見つけました。

  前日会見では「(見ている人に)何かわき上がる感情があればうれしい」と語っていた。

 (中スポ 東京中日スポーツ 「羽生結弦”楽しませてやるぜ”アップテンポの曲に乗って最終グループ先陣で公式練習【フィギュア】」2020年12月25日 10時35分より
https://www.chunichi.co.jp/article/176193 )

 メディア独自の表記ルールによるものか、「湧」か「沸」か検討の末に平仮名になったのかはわかりません。ざっと検索結果を見ると、「湧」が優勢です。

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