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ビジネスおける「直感」と「論理」について

日々の「プロダクト企画~仕様検討」業務で、陥りやすいことがあります。

論理(考慮ケースの不足)と感情(私はこう思う)の整理が交錯状態となって、意思決定や優先順位づけがやりづらくなってしまう、ということです。

この現状について、感じたところを書き残しておきたいと思います。


「直感の側」から「論理の不毛」を撃ってみる

論理の使い方は、推論によって「このケースは可能性としてない」ということを導いて、選択肢を減らしていくことが主だと思われる。
 
論理は、それ自体、自律性はない。意志はない。論理とは道具である。まったく中立でニュートラル。だから論理がなにかを「選び取る」ことはない。
 
このことを意識したことがない「論理的」である人は、結局、判断ができない。
  
論理的に可能性を潰して、残ったものが2つ以上あるときに、論理を使い切っているわけだから、更に論理を当て込んでも回答はやはり2つ以上残る。
 
わずかな差異によるメリデメから1つを導き出そうとする検討結果もたまに見るが、往々にして「屁理屈」の世界に入っている。
 
この「論理の堂々巡り」を断ち切るのは、論理と対局にあるもの=経験に支えられた直感や決断しか残されていない。もっとも、この直感や決断は、論理を包含しているとして。
  
こういったことはプロダクトの機能仕様の決定の現場でもよく起きることだが、これは脳の筋トレによって大部分解決できる局面でもある。

「論理の側」から「直感のアンバランス」を撃ってみる

 
藤井聡太さんや羽生善治さんの話を聞いていると、ある局面での「手」は積み上げて考えるのではなく、直感が先にくるらしい。
 
そして直感は、これまでの「研究の知識」や「対戦の経験値」が凝縮されているものであるからして、まずは直感を信じるらしい。
 
つまり、「精度の高い直感」には、より多くの「知識」や「経験値」が凝縮されている、ということである。
 
そして「読む(=ロジカルシンキング)」ということは、その直感の幾ばくかの拡張や検証で使うらしい。
 
これをビジネス界に立ち戻って考えてみると、まずもって、若手は「良いアウトプットが出ない」、ということになる。アウトプットもまた直感を多用するものであり、そうであるならば、若手は「知識」や「経験値」が絶対的に足りないから。
 
だからそれを補うために、「他社事例(=疑似経験)」や「ファクト」や「ロジカルシンキング」を導入し、アウトプットの質を上げるのであろう。「ロジカルシンキング」は、「直感」を「疑似経験」に沿って拡張してくれるのに役立つ。
 
まとめると、「高いアウトプット」を出すためには、「直感の精度」を上げる必要があり、そのためには「経験」が必要があり、「経験の不足」は「疑似体験」で補って、「論理(=ロジカルシンキング)」をほどこして総合的に組み立てる、というプロセスになるのであろうか。
 
とりも直さず、「経験」があればあるほどよい、ということになるであろう。
 
しかしながら、一個人は、幼年も老年も、有漏路から無漏路へかえる途上にすぎないのだから、「揃った経験」を持ち得ることはできず、一個人には「偏在的な経験」があるのみである。
 
とすると、結局のところどれだけ「たくさんの経験」を持っていようが、「論理」の力なしには、うまく「経験の偏りを補正」できず、必然、「直感の精度」は偏ったもの(=低いもの)にならざるを得ないのである。


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