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90年代ファッションを紐解く     「ドメブラ」

おはようございます!


東京は曇りですが、昼には久しぶりに日差しが戻りそうです。
今週前半は初夏のような暑さでしたが、週中から気温がグッと下がり温暖の差が激しい週でした。
皆さんも体調管理には気をつけてください!
こんな季節には一枚仕立ての軽いコートを持ち歩くと便利です。
FACTOTUMでもスプリングコートをリリースしてます。
よれけばチェックしてください!

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今回は4回目の「90年代ファッションを紐解く」というテーマを話したいと思います。

「ドメブラ」

domestic(ドメスティック)とは「国内・自国に関するさま」を表す英語です。
「Domestic Brand」はつまりそのままの意味で「日本国内のブランド」を意味します。
つまり「ドメブラ」と言い表しす。
いったい誰が言い始めたのでしょう?笑

それで「ドメブラ」の魅力とは、

(1)多様性 

(2)ストーリー性 

(3)クオリティーの高さ

トラッド、ミリタリー、モード、ストリートをベースに各ジャンルで競い合うようにブランドがひしめきあっており、ジャンルを融合したクロスオーバーなブランドも多く存在する。
また、欧米のトレンドファッションを貪欲に取り入れ、その基本を理解したうえで自分流にアレンジするデザイナー(特にレディースブランド)の編集能力は、欧米と比較しても高いレベルにあると思います。
クオリティーという面では、世界のモード関係者が熱い視線を注いでいる日本の素材と日本人らしく丁寧で寸分の狂いもない縫製技術も他の国にはない魅力で「物作り」しやすい環境です。
一般的に岡山デニムは有名ですが、北陸地方の合繊(合成繊維)、尾州産地(愛知、岐阜)のウールの評価が世界的に高まってます。
私も90年代後半からブランドを立ち上げていたのでその状況も把握してますが、特に岡山デニムは世界の名だたるブランドが製作されてました。
そして、今では日本製の生地は高い評価でヨーロッパのメゾンからオーダーが増えてます。

「ドメブラ」が盛り上がった3つのポイントです。

(1)生産背景 

(2)卸ビジネスモデル 

(3)クオリティーの高さ

ちょっと話が逸れましたが、少し歴史をおさらいします。
1980年代半ばにイッセイミヤケ、コムデギャルソン、ヨウジヤマモトの御三家を含む一世を風靡したDCブランドの時代は、バブルという時代背景もあり、日本のファッション産業は大きく繁栄しました。
それにより日本での生産背景が広がったのです。
物を作れば売れる時代。
多くのブランドが新作をどんどんリリースし、そのお陰で試作の資料も集まり、技術やテクニックを手に入れることができました。
余談ですが、FACTOTUMでもオリジナル生地の製作のために産地の織屋さんへ行きますが、ウールの尾州地区やデニムの三備地区では、過去の資料を見ることができ、大変参考になります。
しかし、バブル経済が崩壊後に生産背景に空きが出始め、少ロットの国内のインディペンデントなブランドが製作しやすくなりました。
90年代中盤から大手セレクトショップが中心でしたが、それ以外も47都道府県の主要都市に林立する地方セレクトショップが増えてきました。
個人オーナーが共感できる”ドメブラ”をセレクトして直接販売するモデルケースです。
こうして、卸ビジネスが成り立つようになりました。


最後に雑誌媒体の影響力です。
2回目の”ストリート"からの流れになりますが、同じように影響力があるスタイリスト、ライター、デザイナー、プレス、ショップスタッフなどが頻繁に紙面に登場してブランドを紹介したらスタイリングしたりと”ドメブラ”を盛り上げる流れがありました。


この3つのポイントが重なり、90年代後半から新しいブランドが続々と誕生し、「細部にこだわったクオリティの高いドメスティックブランド」というジャンルが形成されました。
これは明らかに2回目の「ストリート」ブランドとは異なりロゴやビックシルエットではない細部にこだわったマニアックな服好きやこだわり派がメージャーになったような気がします。
皆さんの思い出のお気に入りの「ドメブラ」はありましたか??

最後まで読んで頂きありがとうございます。
皆さんにとって素敵な週末になりますように!!

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