西洋の建築史(中世(初期キリスト教))

中世の西洋建築史では、初期キリストとゴシックを主に扱います。
今回の記事では初期キリストの方を記載し、ゴシックは別記事に上げさせて頂きます。中世の歴史は別の記事で書いておりますのでお時間宜しければそちらもご覧くださいませ。

・ビザンティン

・地域:東地中海
・時代:4~15世紀
・特徴:①ペンデンティブ・ドーム、②モザイク、③バシリカ式、④集中式、⑤自由な様式、⑥レンガと漆喰

『ターキッシュエア&トラベル』より

①ペンデンティブ・ドーム:ビザンティン建築の教会堂のドームは基本的に矩形の土台上につくられた。そこで円と矩形という異なる形状を調整する為にペンデンティブ(球面三角形状のヴォールトの構造)を生み出し、その上にドームを載せた。
②モザイク:教会堂の内部は絵画的、幾何学的なモザイクで豊かに隙間なく装飾されている。
③バシリカ式:バシリカは基本的に長方形の平面を持つ大きなホールであり、列柱がつくる中央の空間を細かい廊下が囲む内部構成を持っていた。
④集中式:初期キリスト教の教会堂はほぼバシリカの形式をとっていたが、ビザンティンの礼拝習慣により適した集中式プランが次第に普及していった。
⑤自由な様式:一部の教会堂において初期キリスト教様式とビザンティン様式の融合が見られる。またバスケットキャピタル等の新しい表現も生まれた。
⑥レンガと漆喰:ビザンティン建築の教会堂は一般的にレンガと漆喰で建造されることが多かった。内部はレンガの構造体の上に漆喰を塗りその上にテッセラ(色付きタイル)が取り付けられることが一般的だった。

・著名な建築:ハギア・ソフィア大聖堂(イスタンブール/トルコ)、サン・ヴィターレ教会堂(ラヴェンナ/イタリア)、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(ローマ/イタリア)、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂(ラヴェンナ/イタリア)、ハギア・イリニ教会堂(イスタンブール/トルコ)

・ロマネスク

・地域:ヨーロッパ全域
・時代:11世紀中頃~12世紀中頃
・特徴:①西側正面の塔、②丸アーチ、③アプス、④トンネル・ヴォールト、⑤大断面のピアと円柱、⑥厳格さ

Wikipediaより

①西側正面の塔:大聖堂や修道院の西側正面に双塔が加わったことが最大の革新の1つだった。
②丸アーチ:古代ローマの丸アーチをアーケード等に使用し構造的にも空間的にも十分に引き出している。
③アプス:祭壇が設置された半円形の窪みをアプスと呼び、一般的には東端部に、または翼廊や西側端部に配置されていた。
④トンネル・ヴォールト:ロマネスク建築の教会堂等の天井は石造りのトンネル・ヴォールトが頻繁に使われていた。その為に分厚い壁で支える必要がある為内部空間に重厚さを感じることが多い。
⑤大断面のピアと円柱:ロマネスク建築の丸アーチは巨大なピア(太い柱体)か円柱で支える必要があった。
⑥厳格さ:ロマネスク建築の象徴として、簡素な形態と幾何学形状のなかに厳格さを保ったものといえる。

・著名な建築:ラ・トリニテ教会堂(カーン/フランス)、イーリー大聖堂(ケンブリッジシャー/イギリス)、シュパイヤー大聖堂(シュパイヤー/ドイツ)、サン・セルナン聖堂(トゥールーズ/フランス)、ダラム大聖堂(ダラム/イギリス)、サン・フロン大聖堂(ペリグー/フランス)

・まとめ、考察

ビザンティン建築は、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の時代のもので、特徴的なドームや内部のモザイクはイスラム建築との類似性が多く見られる。
一方ロマネスク建築は「ローマ風の」という言葉が意味しているように古代ローマ帝国の没落後失われていたアーチ等を利用した技術を取り戻し生かしていこうとする動きだった。
歴史を踏まえると、ビザンティン帝国ではローマ帝国が東に分裂した後もキリスト教が安定して力を持ち続けイスラーム世界の影響を受けながら独特なビザンティン建築が出来ていったのだと考えられる。
一方で西ローマ帝国は大規模な民族移動がありすぐ滅亡したことから、古代ローマの豊かな技術が衰退していってしまった。ただ、中期にかけてキリスト教の力も強くなっていき教会や聖堂を建てるにあたり参考としたのが失われた古代ローマの技術だったと考えられる。そしてゴシック建築へと変化していくので次回の記事もお楽しみ下さい。

・おわり

最後まで読んで頂きありがとうございました。こちらの記事は以下の書籍を参考にしております↓
「名建築の歴史図鑑 オーウェン・ホプキンス(百合田香織 訳)」


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