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この仕事を続けている原点


何事にも、誰にでも、原点がある。
人が生まれたルーツや、今の仕事を始めた原点、
結婚することになった理由など、忘れていることが多いが、
改めて考えてみると、「そうだったな」と思い出す。


先日立て続けに、2つの原点を思い出した。

一つは、この仕事に夢中になって現在も続けている原点。

もう一つは、スクールの名前をつけた原点だ。


私自身は全くの無意識でこれらを思い出したことに、何かの意味があるのかもしれない。


この仕事を始めて3ヶ月くらい経った頃のことだった。
私自身航空会社の客室乗務員経験はあるものの、今度は客室乗務員になりたい人達を合格させていくという、ある意味全く違う仕事に慣れず、果たして私の授業が生徒さんの役に立っているのかも不安だった頃だ。


この不安は10年経つまで、ずっと私につきまとっていたし、今でも結果が出るまでは決して安心ということはないのだが、この頃は何を教えたら合格に近づくのか、毎日手探り状態だった。


私を採用した学長は、外資系出資だったため、日本系エアライン受験はあなたに任せるわと言われ、自由ではあるものの、授業内容を考え、資料を作成し授業準備にかなりの時間をかけていた頃だ。


それでも新卒合格を目指す、21歳くらいの若者たちの熱意に引っ張られ、
教え続けた。

クラスの人数は15人から18人いたため、毎回の授業でグループ面接を行いアドバイスできるのは、毎回5名から10名。
ローテーションにして、全員に平等にチャンスが回るようにしていたが、
授業終了後1人の生徒さんが教室を出た私を追いかけてきた。

「自己PRを考えてきたので、聞いてほしいのですが」

断り理由はないので、「もちろんです。どうぞ」
と言うと、立ったまま、
他の先生たちもいる中、ノートは一切見ないで暗記していたものを言い始めた。

内容について、変更した方がいい箇所を指摘すると、
「もう一つ考えているので、そちらを聞いてもらっていいですか」
と言う。

その後、聞いてみると、3つの自己PRパターンを考えてきていると言う。
私は10分休憩後も授業があったので、「全部聞いてあげられないけど、
これとこれを組み合わせるといいと思います」
とアドバイスした。

そこにいた学長から「先生の休憩時間がなくなるわよ」と注意されながら。


今このことを思い出しながら書いているだけで、涙が出る。


この生徒さんの一生懸命さに、必死さ、夢を追いかける純粋さに心打たれたし、
感動した。

生徒さんがここまで一生懸命やっているのに、私がちゃんと教えられないと
申し訳ない、と思った。

これが、私の教える原点。

生徒さんが作ってくれた原点。

生徒さんの熱意と私の経験と知識と分析と熱意。
これらが噛み合って、100倍を超える競争率をくぐり抜けて合格となる。


ちなみに、この生徒さんのように自己PRを誰から言われなくても、3つも考えてきた生徒さんは未だに現れてない。


ちなみに、この生徒さんは私の古巣の航空会社に新卒合格を果たした。
ご縁だと思う。

ネットもない時代だったので、今この生徒さんがどこでどうしてるのかは不明だが、どんなに大変なことがあってもこの仕事を続けている、
面接指導になると、人が変わったようになると言われる、

私の原点だ。

ある人のFacebook投稿を見ていて、この原点、ストーリーを思い出した。
その方は「ストーリーの重要性」を書いていらしたのだ。

あなたの原点はなんだろうか。

そしてスクール名を決めた原点については、あまり人に語ったことがないのだが(誰も興味がないだろうし、聞かれたこともなかったから)今度書こうと思う。


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