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小さな変化


仕事をしている時、無音の時と音楽をかけている時の両方がある。
理由はわからないが、今日は無音がいい、と思う時と、音が欲しいと思う時があるらしい。

音楽のサブスク画面を開けば、どんな音楽だってあっという間に選び聞くことができる。
その日の気分に合わせて。
だから「今どんな音楽が聴きたい?」と自分に問いかけ、好きなアーテイストの中から選んでいた。ずっと長い間そうしてきた。

お気に入りのアーテイストは時々追加される。それは、たまたまどこかで聞いた音楽でそのアーテイストを思い出したり、誰かのnoteで紹介されていたり、きっかけは色々だ。
でも結局いつも聞いているのは、いつものアーテイストだったりする。
繰り返し、繰り返し聞くのは、昔からの癖のようだ。

車を持っていた時、助手席に乗っている娘にも言われたことがある。
「ずっとこれを聞いてるね」と。
同じ食べ物を毎日食べることは、カレーを作った時以外にはないのだけど、音楽やDVDは同じものを何度も何度も見ていることが多い。
それは「嫌いなものを見たくない」「絶対に好きなものだけを見たい」「作品に裏切られたくない」と言う気持ちなのだろう。一瞬たりとも嫌な思いをしたくないのだろう。

ここ最近は、無音が続いていた。
旅に出て、自然の音をずっと聞いていたからかもしれない。
風の音。
波の音。
サトウキビの葉っぱが揺れる音。
虫の鳴き声。
鳥の鳴き声。

それ以外の音はもちろん、車がないと生活ができない場所なのに、車の音さえもほとんどしない。ただ、予想外のタイミングで自然な音がするだけの場所にいると、音が必要でなくなるらしい。

不自然なほど自然な場所での生活を数日経験して自宅に戻ったら、自然の音なんてほとんどしないのに、無音でいた。
さすがにそれも不自然だと思ったのか、ふとアメリカドラマをつけっぱなしにして食器を洗っていたら、「ああ、別に見なくても英語が聞けていたらいいんだ」と気づき、今まで聞いたことがないチャンネルに合わせた。

ラジオ。

ラジオのチャンネルを選ぶときは少し悩んだが、結局一番最初のにした。
英語が聞こえていたらそれでいいと思って。

結論から言えば、すごくいい。ほとんど音楽ばかりで、それも知らない音楽ばかりが流れてくるが、英語しか流れない。
自分で毎回いくら好きとは言っても、アーテイストを選んできた不自由さから解放された。
次々に誰かが選んだ曲が流れ、合間に英語が流れる。
そして、無音とは無縁になる。
これでようやく自然な音がなくなった隙間を埋めることができた。

選ぶ自由と、任せる気楽さ。
今私は、任せる気楽さの方が良いらしい。


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