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本当に辛い時には泣けないらしい


過去振り返って、本当に辛かった時ほど、実は泣いていないことに
気がついた。
これに気づいたのは、最近よく泣いているせいだ。

懐かしい街に行った時、歩きながら泣く。
自分でも、理由がわからないが、泣くのだ。

さらに、映画を見ても泣けた。小説を読んでも泣く。
その映画や小説の結末は、人が亡くなっていくものではあったが、
その人を実際に知っているわけでもないのに、泣くのだ。

しかし、実際に身内が亡くなった時は、反射的に涙は出たが、
「泣く」ほどではない。
おそらくやるべきことがあり、そちらに頭と体を使う必要があるからなのだろう。

泣く、という行為、特に声を出してなく、しゃくりあげて泣く、というのは、
本当に辛い時には案外できないらしい。私の場合は。

どちらかというと、心に余裕がある時、または第三者的な立場の時の方が、
泣くということに専念できるのだろう。

もちろん、人によるのかも知れない。
私は制御が効きすぎているのかも知れない、と思うことは確かにある。

ただ、葬儀の後みんなが帰ってしまってからが、じわじわと亡くなった人の不在を実感し、泣けてくる、ということや、死後しばらく経ってから、思い出と共に泣ける、ということはあると聞く。

そう考えれば、泣ける、ということは、幸せなことなのかも知れない。
泣けるだけの心の余裕がある、ということだろうか。

あまりこんなに泣くことがなかったので、
「なんでこんなに泣くんだろうか」と考えた時に、「ああ、私は今泣ける余裕が
あるんだ。幸せなんだ」と、逆説的なことを思ったのだ。

重い荷物を下ろして、さらに心に余裕ができて、感性のレベルが上がっているのではないか、とも思う。
論理より感性で生きていきたいと思っているから、嬉しいことだ。

もし、今泣けないな、最近泣いてないな、という人は、案外まずい状況なのかも
知れない。
どうぞ泣ける映画や小説、読んでみてください。
心を解放できたら、多分泣けると思います。

本当に辛い時は泣けない。
幸せな時、心に余裕がある時ほど、泣ける。

そんな仮説が私の中では出来上がっているようだ。


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