自己肯定感が高すぎるINTJ女の思考の話

私は、社会に出たばかりの頃の数年間を除いて、ずっと自己肯定感が高い。自己愛も強い。
ここ最近、というわけでもないのかもしれないが、よく自己肯定感という言葉を聞く。なので、自己肯定感が高い人間がどんな思考で生きているのか、話をしたい。

まず、私は自分を完璧な人間だと思っているわけではない。人と比べたらダメなところ、悪いところはたくさんある。むしろ欠点の多い人間だとも思う。
だが、私は自分の嫌いなところはない。容貌に関してはもう少しまともだったら良かったが、外見は自分ではどうしようもないから仕方ない。
長所も短所も全てをひっくるめて、私なのだ。欠点も、自分を構成する大事な要素だと思っている。

私はいわゆる、箱推しタイプだ。好きな小説や漫画の登場人物は全員好きだ。登場人物を嫌いになることは滅多にない。
全員揃って初めて、その作品が成立するのだ。友達になりたくないキャラならいくらでも思いつくが、そういうキャラこそ好きになる。
自分の欠点も同じ。長所も短所も全部揃って、初めて私が完成する。こんな考えなので、短所を克服しようという発想になりづらいが、そこもまた私らしくて好きだ。

そして、自分と人を比べることを、私はしない。無意味だからだ。
藤井聡太さんと大谷翔平さんを比べて、どちらが天才かなんて考えても意味がない。2人とも立派だし、素晴らしい人だ。私と藤井聡太さんと大谷翔平さんを比べても、やはり3人とも立派だし素晴らしいと、私は思う。少しはおこがましいと思うが。
特別な才能を持っていなくても、特別な結果を残していなくても、私が私の人生を楽しんで生きていれば、それだけで私はスーパースターだ。
将棋界には藤井聡太さんがいる。野球界には大谷翔平さんがいる。いなければ始まらない。私の人生にも私がいるし、いなければ始まらないのだ。

なぜ、人と比べないかと言えば、歴史が好きだからだ。どんな時代でも、いい面もあれば悪い面もある。雅な文化を誇る平安貴族たちは、世界に誇る日本の文化の礎を築いた。その裏で貴族たちは政治に興味をなくし多数の平民を飢えさせた。それが鎌倉幕府の成立にもつながる。

教師たちが大嫌いな軍国主義だって、科学や教育、経済の発展には大いに役に立った。私は、日本の小学校が一気に広まったのは、軍国主義のおかげだと思っている。兵士にするためには読み書き計算ができなければいけないからだ。
歴史が好きだと、こんな両面を常に見続けることになる。どの時代がいい時代かなんて、所詮自分の好みでしかない、と悟りを開くしかないのだ。

いい面があれば悪い面もあるのは、人も同じだ。いいところしか見えないのは、相手に対する解像度が低いからだ。
どんないい人だって、ほじくり返せば欠点などいくらでも見つかる。いい人だって、所詮は自分の好みでしかない。有能さも優しさも美しさも人気も、所詮はただの自分の好みだ。自分の憧れる人や好きな人が輝いて見えるのは、当然なのだ。

では、なぜ私は自己肯定感が高いか、というところに話を戻す。
正直にいうと、よくわからない。

私の親は、あまり子どもを褒める親ではない。むしろバカにされることが多かった。何もやろうとしても「どうせお前にはできない」と言われた。諦めずに貫いたこともあるが、諦めたこともある。環境的な要因ではなさそうだ。
成功体験をたくさん積めたかと言われれば、勉強も運動もからっきしで、下から数えた方が早かった。習い事も何一つ身についていない。友達が多かったわけでも、人気者だったわけでもない。今だってさして仕事ができるわけでもない。

そういうパッとしない褒められるところの少ない子ども時代だったから、自分で自分を認めて褒めるようになったのかもしれない。
誰も自分を愛してくれないなら、自分で自分を愛せばいいじゃない。パンがなければケーキを食べればいいじゃない、の精神だ。

なんだかよくわからない記事になった。
これでは、私が我の強い人間だとアピールしただけの気がするが、それもまた私らしい。

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