『〆太よ』を読んだ

原田宗典先生の『〆太よ』を読んだ。

母が原田さんのエッセイをたくさん所有しており、小学校の頃図書委員だったくせに全然本を読まないぼくは朝の読書の時間に母から借りてよく原田さんのエッセイを読んでいた。

ただ、基本的には外で読むことはおすすめできない。なぜなら笑いを堪えるのが大変だからだ。

ぼくもよく学校でニヤニヤしながら読んでいたため、友達に「何読んでんの?」と言われることもしばしばであった。

また中学校の頃、好きだった女の子にある一冊を貸し、「めっちゃおもしろかったよ!」とか言われて、原田さんありがとう…!となったりした記憶もある。

とにかくぼくの学生時代は原田さんと共にあったと言っても過言ではないのだが、そんな原田さんが覚せい剤所持で逮捕されてから2作目の小説が『〆太よ』である。

『メメント・モリ』ももちろん読んだが、その後に『〆太よ』が出版されていたことを最近知り、久々に原田さんの本を読むことにした。

ぼくは普段からあまり本を読む人ではないので、読書感想文にはもちろん自信はないが、せっかく読破したので、個人的な感想などを書ければなあと思う。

まずこの作品の特徴として、句読点が大量に省略されている。

主人公がドラッグでキマっている状態で語っているという設定なのだろうか、主人公の一人称視点で物語は進んでいくが、リアルを想像すると、絶え間なくずっとペラペラ喋っているようなイメージである。

ぼくは先述のようにあまり本を読まないからか、非常に新鮮な文体で、スラスラスラ〜っと脳に入ってきてとても読みやすかった。

ちなみに母は読みにくかったと言っていたためやはり人によって感じ方は違うのだと思った。

あとは、たまにとても納得させられる理論がいくつか登場する。

ぼくが特に印象に残ったのは、言葉と音に関する考え方である。

図書館に本を返してしまって確認のしようがないので詳しくは忘れてしまったが、文章の流れで意味を理解するとか一つ一つの言葉を音として発しているとかである。本当にうろ覚えである。今度もう一回読んで確認しよう。

しつこいようだがぼくはあまり本を読まない人間なので新鮮に感じただけかもしれないが、「言われてみればその通りかもしれない」と思う考え方がいくつも登場する。

本作においては特に「言葉」に関する理論がいくつか登場していたが、いずれも原田さんの頭の中を覗けたようでとても興味深かった。

そして、「厭」「筆舌に尽くし難い」「話が横道に逸れる」など、中学時代によく読んでいた原田さんのエッセイに度々出てくる表現、「ハラダイズム」が感じられたのも良かった。

やっぱり原田さんの作品だな、ということを感じさせてくれる本であった。

人を選ぶかもしれないが、ぼくは間違いなく「良い読書の時間」となったので満足感はかなり大きい。

同じ年に出版されたエッセイの方はまだ読んでいないので、今度はそちらも読んでみようと思う。

なんだか和紙くらい薄い感想だが、まあぼくの語彙力はこのレベルである。これを書いていてもう少し本をたくさん読んでいかなければ、とも思った。

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