勉強は暗記である
最近までとある資格試験の勉強に追われていたこともあり、「勉強法」をテーマに今回の記事を書きたいと思います。
勉強法というと仰々しいですが、特殊なことをお伝えする気は毛頭ありません。
結論は至ってシンプル。
記事タイトル、「勉強は暗記である」だけです。
みなさんの中には「勉強は暗記である」、この言葉に嫌悪感を覚える方もいらっしゃると思います。
かく云う私も昔から「暗記なんて馬鹿のすることだ。理解や思考こそが勉強なんだ」という考えの持ち主でした。
しかし、最近になってその考えは可笑しいということに気づいたのです。
例えば、よい文章が書ける人は思考力があるからよい文章を書けるのでしょうか。
いいえ。
一度も見たことも聞いたこともない表現は書けません。
よい文章を書ける人は圧倒的に多くの表現を知っている、暗記しているのです。
「でも、知っていても書ける人と書けない人がいるのは思考力の差なのではないか」という反論があるかもしれません。
いいえ、これも暗記力の差です。
受動語彙としてではなく能動語彙として暗記しているから書けるのです。
こういうことを云うと「思考という高尚なものを馬鹿みたいな暗記と一緒にするな」という声も聞こえてきます。気持ちはわかります。
大学時代の私も真っ向から次のように反駁するでしょう。
「じゃあ数学はどうなの。高度な数学的思考が暗記してできるようになるわけないじゃん」
しかし、本当にそうでしょうか。
よく考えてみてください。
数学的思考こそ暗記したから使えるようになったのではないでしょうか。
私たちは数字の1や2という概念を暗記したから使えるのです。
もともと人間の中に1や2の原型のような思考があって、そこに1や2などの記号(言語)をラベルとして付けただけだという考えもありがちな勘違いです。
記号がなければ、1や2を思考することすらできないのです。
試しに数字や演算子を使わずに積分してみてください。
できないでしょ?
人類の共通言語、数字や演算子を暗記したから、それを思考することができるようになった。
つまり暗記することによって、思考力と称されるものが現れたのです。
「勉強とは暗記である」
「思考力とは暗記力である」
これらの意味。
よく考えてみてください。
そして、その意味がわかったならば、暗記して暗記して暗記しまくってください。
「暗記しまくること」
これこそが最強の勉強法なのです。
個人的に私へメッセージを送りたい方、仕事依頼はこちらから。(成島)