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フクシマからの報告 2022年春    除染解体で消えゆくふるさと      福島第一原発3.5キロの商店街で      11年を経てゆっくり姿を現した破壊     これは戦争と同じではないのか?

下の2枚の写真を見比べてほしい。同じ、福島県大熊町にあるJR常磐線・大野駅の跨線橋に立って撮影したものだ。13ヶ月の間に、駅前にあった4階建てのビジネスホテルがそっくり姿を消した。

2020年10月6日撮影
2022年1月25日撮影

同駅は、福島第一原発から西に約3.5キロ。事故前は、原発に往来する人が利用する最寄り駅だった。東日本大震災のあった2011年3月11日夜に全町民1万1505人に避難が命じられ、大熊町から人の姿が消えた。

原発直近の町は、重篤な放射性物質の汚染をかぶった。8年後の2019年春まで、全町が立ち入り禁止のまま封鎖された。

強制避難が終わっても、帰ってきた住民は283人。事故前の2.5%にすぎない。つまり住民の97.5%が消えてしまった(2021年現在)。

少しずつ、町域の立入禁止区域が解除され立ち入りできるエリアが広がるたびに、私は足を運んでその姿を記録した。

2021年8月13日、福島県大熊町の大野駅前で。
2022年1月25日の同じ場所。ゲートとフェンスがなくなり、立入禁止が解除された。

原発事故から8年以上経っても、町のあちこちに倒壊した家屋や崩れた壁・屋根がそのまま散らばっていた。室内は倒れて散乱した家具・調度品で埋まっていた。地震発生当日に避難を命じられ、後片付けもできないまま、追われるように住民が去った風景が、タイムカプセルに封入したかのようにそのまま凍りついていた。

2022年1月25日、福島県大熊町で。

それだけでもむごい光景なのに、さらに追い打ちをかけるように、建物が次々に解体され、町並みが姿を消していった。放射性物質をかぶった建物は、解体して放射性廃棄物として貯蔵するほか、再利用することができないのだ。

そこはかつて誰かの懐かしい「わが家」だったはずだ。思い出の学校だったはずだ。買い物をしたり、仕事帰りに一杯ひっかけたりする商店街だったはずだ。それが根こそぎ消えていった。

2022年1月「大野駅前商店街の封鎖が解かれた」とニュースで知った。そこは最後まで金属フェンスで立ち入りが禁止されていた一角だった。封鎖が解かれると、街の解体が一気に進む。これまで取材してきた他の街の経験で、私はそれを知っていた。急いで現地に行った。

フェンスの内側の光景に、私はまた打ちのめされた。3・11当日のまま、街は動きを止めていた。

原発事故後、11年かけてゆっくり姿を現した破壊。福島県大熊町にあるJR常磐線・大野駅前を舞台に、写真約80枚で報告する。

(巻頭写真:原発事故で封印されたまま、2011年3月11日の地震で崩れ落ちた壁がそのままになっていた商店。2022年1月、福島県大熊町で撮影)

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