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外大粟生間谷時代と、バスケス先生の話

ちょいと前置きが長くなりますことをご了承いただきまして…。

あれはまだ私が大阪外大に入った90年代後半のことです。当時1年生(新入生ですね要するに)は、入学早々に「語科合宿」というイベントに参加することになっていました。

大阪近郊の宿泊施設に1泊しつつ、学生と教員(当時は国立大だったこともあって、フォーマルには「教官」という名称もありましたっけね)、あるいは学生どうしの交流を深める…という行事でありました(その数年後に消えてしまった行事でもありましたが)。

長崎から一人大阪に出て来たばかりで、かつ引っ込み思案(当時。あくまで当時の話です)だった私は、当然のごとく語科合宿で居場所がなくなりまして、宿泊施設をどこへともなくうろうろすることになってしまったのでした。

トルコ語の同期の中にもいたくなかった、そんな時期が私にもあったのですねえ。

しかも、行った先から割り当てられた就寝用の部屋が中東地域文化学科(アラビア語、ペルシア語、トルコ語)の男子学生ということになっていて、自分の当時の所属を考えればそれはもう当然の割り振りだっただろうとは思うのですが、困ったことにこの年、中東地域文化学科の男子学生は私だけしかいなかったのです。そんな次第で、当然その部屋にいる学生は知らない人ばかり。

今の自分の立ち居振る舞いならいざ知らず、当時の自分にはそこに溶け込んでいく勇気も根性も(根性?)ありませんでした。

しかもアラビア語とペルシア語の学生各位、早々にもう互いに知り合いになっていたらしく、なんだか盛り上がっている(おまけにチャラそうというか、イキってそうな学生が多そうに見えた…のですが、これはたぶん偏見です。アホかオレは)。

なおさらこれは彼らの輪の中には入れんなと思って、日程に組まれていたオリエンテーションなりなんなりが終わった後、トルコ語学科のなかでもあまり溶け込めていなかったこともあって宿泊施設近くの外に出て一人ぼけーっとしていたのでありました。

今考えればもうちょっと最初から心を開いていろんな同期の学生と知り合いになっておけばよかったと思うのですが、なんせ当時はまだそんなコミュニケーション能力も鍛えられているわけもなく、一人長崎から都市部にやってきたということで何かとナーバスになっていた部分も大きかったように思います。

そんな中救いの手を差し伸べてくれたのが、ハンガリー語科でありました。運よく語科合宿の前に同専攻語所属の知り合いが何人かいたものですから、「一人でうろうろしてるんならうちらのところに来い」と。

自分から話しかけていくようなキャラクターとは程遠かった自分にとっては、神のようなお言葉でありました。そこでその知り合い以外のハンガリー語学科の同期、上級生とも知り合う機会を得まして、その日はそこから芋づる式に「じゃあスペイン語(専攻)のところに行ってみよう」とかなんとかいう話になって、西ヨーロッパ地域の諸言語をいろいろと歩いて回ったように覚えています。なお、結局語科合宿では中東地域専攻どうしでの交流の機会は失ったと思います。思い返すに、勿体ない話だったなとは思うのですが。

さて、ようやく話がこの記事の本題たるスペイン語に及びます。

当時の語科合宿には、各専攻語に母語話者の先生が参加していたようで、その時に表題のバスケス先生とお会いしたのでありました。

その合宿のときはなんの話をしたかまったく覚えていませんが、おそらく出来上がっていたと思しきバスケス先生、たいへん明るいふるまいをされる先生で、トルコ語専攻だと自己紹介したのですが「スペイン語も勉強しよう」的なことで、とにかくこの挨拶を覚えなさい、というので、綴りも教わったわけではないのですが、「オラアミーゴ!コモエスタウステ?」と、「ムイビエン」のやりとりだけは自分の記憶に妙に残ったのでありました。

母語話者の先生の雰囲気というのが自分には大変新鮮だったのだろうと思います。トルコ語の当時の母語話者の恩師であるキャーミル先生も当時明るいキャラクターだという印象は持っていましたし、なかなかのインパクトあるというか、強烈な個性の先生だという印象があったのですが、バスケス先生はまたちょっと違う明るさの先生だなと、その時は思ったものでした。

Xola amigos! ¿Cómo estás usted? と書くのかな…と、今になってGoogle先生に聞いてみたりしながら綴ってみるのですが、「とても元気です」はMuy bien. と。

頭の中ではもちろんこのようなスペイン語のつづりではなく、上記のカタカナのようなノリで、その後卒業して大学院に在籍したときから長い間、今はなき大阪の箕面、粟生間谷キャンパスでバスケス先生に出くわすたびにこのあいさつだけ交わすようになったのでした。

元気な時も、そうでないときも。おそらくそれはバスケス先生ご自身もそうであっただろうと思うのですが、とにかくその語科合宿で一度だけしか会っていなかったのに、そこからずっとこちらの顔は覚えていてくださったというのですからすごい先生だなと思います。きっと、彼とそうやってあいさつしていた、他専攻の学生も私だけではなく、たくさんいたのではないかなと思います。

以後、私が大阪外大に行き来している時期…おそらく10年かそれくらいにはなると思うのですが、とにかくキャンパスで出会ったら、そのスペイン語でのあいさつをしていた…という話です。

スペインといえば、バルセロナになら「依存文法国際学会」に参加するために一度だけ渡航したことがあります。スペイン語?当然なにひとつできませんでしたよね…!ちょっとくらい覚えていけばよかったかもしれませんが、例によってもう今更な話です。

いかにもキラキラした外大生らしいこういう話を、バスケス先生のおかげで私にも一つこうやって書けることに感謝したいわけですが、なぜ突然バスケス先生のことを思い出したかといいますと…

そう…白水社課金。例の『しくみ』シリーズ、やはり新版をコンプリートするべきではないかという神のお告げを聞いたような気がしたのです。それで、まだ新版を買っていなかったということで、『スペイン語のしくみ』(上記リンク)も手元に置いておこうとなった次第です。

トルコ語とかアゼルバイジャン語をやっていて、スペイン語の本とか持ってて何か意味が?とか、そんな無粋なことはどうかおっしゃらないでいただきたい…例文がすぐ参照できることとか、ほかの言語ではこういうことになっているというのがすぐ引けるというのは、語学教師の自分にとっては地味ながら大事な栄養素になっていると思うのです。

どの言語にも常に一定の興味を持っていたいという、人生の後半はまさしくその外大生スピリッツでいきたいなと。そう思っています。というわけでみなさま、私は今のところはムイビエンです。¿Cómo estás usted?

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