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#56 すし店の“イキな戦略”。店舗拡大の理由は若手育成。『すし文化』を世界へ/株式会社夏目 大坂智樹さん #BOSSTALK(廣岡俊光)

 札幌ですし店4店を営む株式会社 夏目。新鮮なネタだけでなく、江戸前の技術や軽妙な接客で注目されています。

 若手育成のため店を増やしたり、外国人職人を受け入れたりも特色。代表取締役の大坂智樹さんにインバンド需要復活を見据えた戦略を聞きました。

<株式会社 夏目>2010年札幌市で創業した「鮨棗(なつめ)」。新鮮なネタと職人の腕で人気を集め、創業の翌年には「鮨葵(あおい)」を開店し、翌12年には株式会社夏目を設立。現在は札幌市内に4店舗を展開し、2023年7月にはすすきの店もオープン。北海道の食の素晴らしさを伝えながら、歴史あるすしの文化の継承にも力を入れている。


■ 大将の白衣に憧れて。地元のすし店でアルバイト

――小さいころからお寿司屋さんになりたいという思いがあったんですか? 

 子どものころは、ものづくりが好きだったので、建築業界に興味を持っていました。高校は地元・留萌市の工業高校の建築学科。留萌市は日本海に面しているので、家から自転車で10分ほどで海に行ける距離に住んでいました。よく海で魚や貝などをとって遊んでました。

 高校1年生の時、父がすしを食べに連れて行ってくれたんです。その時、大将が白衣をビシッと決めていてかっこよかった。アルバイトで使ってもらえないかと伝えて、3年間雇ってもらいました。

 そのお店はいわゆる「マチのおすし屋さん」。50人規模の宴会をしたり、法事も行ったりしていましたね。

――寿司職人の道に進むことを意識したのは、この頃ですか?

 はい。高校2年生の冬に店がリニューアルしたんです。みんなで新たにがんばっていこうと言っていた矢先、オープンして10日目に大将がソファーに座ったまま亡くなってしまった。プレッシャーが大きく、命がけの仕事だなと思い、そこからどんどん入り込んでいきました。


■ 東京で「飛び込み弟子入り」さらしちぎって"握りの練習"

――高校卒業後は?

広い世界を見てみたいと思って東京へ。東銀座の寿司屋に食べに行って、営業終了後を見はからって、「ここで雇ってください」とお願いしました。

 ご夫婦で営む店で「いつから来れるの?」と、すぐに承諾していただきました。そこで2年間、東京の江戸前の仕事をマンツーマンで教えてもらいました。当時はネットや求人広告媒体が全くない時代。自分から飛び込んでいくしかなかったんですよね。

――修行する店の選択は、自分の感覚だのみということですか?

 そうですね。そのお店は雑誌に掲載されていて、お寿司が流曲線で美しい形をしていて、彩りもすごくよかった。思わず見とれてしまって決意しました。

――おすしを握るまで、どのような下積み時代を過ごしてきたんですか?

 とにかく親方の姿を見て学ぶ日々でした。まずシャリの大きさを教えてもらいます。で、さらしをちぎってゴムで巻いて、毎日手首を返す練習を出勤の途中や休憩時間に続けていました。ポケットに入れ持ち歩けば、どこでもできるのでひたすらやっていました。

さらしで作った模擬シャリを握り続けた

■ 店舗を任される責任感、そして独立へ

――自分のお店を持ちたいと思ったのはいつですか?

はい。その前に、札幌市のある店が東京で出店し、親方が2年半東京に行きっぱなしに。私が札幌のお店を任せてもらえるようになりました。

 好きなように仕込みをしたり、お客様にコースを提供する中で「自分たちで作っていく喜び」を感じましたね。

――独立からあっという間に2店舗目をオープンさせましたよね?

 応援してくれるお客様も多くいらっしゃったので。早々に出店させてもらえたのは、ありがたかったですね。

――ペースとしてはかなり早いですよね?

 1店舗だと、私が常にお寿司を握らないとお客さんが納得しなかったんです。2番手、3番手の職人がすしを握る機会をつくってあげたかった。5坪ぐらいの小さな店でしたが出店しました。

 みな20代後半で元気ざかり。お客様とやりとりしながらお寿司を握る店でです。技術は未熟だったんですけども、お客様に育てていただきましたね。あの時の経験や礎があったからこそ、今があると思っています。

――若手が握る場づくりのための2店舗目。単純な拡大とは違いますね。

 私自身が勤めていたお店を任せてもらった喜びを知っていたので、若い子たちにもその喜びを知ってもらって、やりがいを見いだしてもらいたかったので。

――現在はどんなことに取り組んでいますか?

 コロナ禍の影響で飲食業界から離れる若い子たちや、興味はあるけど入ってこれないような若い子たちもいます。弊社のHPはお客様向けでもありますが、もっと掘り下げてすしに興味を持つ若い人向けに作っています。

すしの文化は今後も継承していくためには、若い人に興味を持ってもらい、辞めずに長く勤め、立派なすし職人になってもらいたいと思い、取り組んでいます。

――すし職人になりたくて、業界に飛び込んでくる数は?

 僕らの時代は次から次という状態でしたが、今の人口は我々団塊ジュニアの半分以下しかいない。どんどん減ってきてますよね。


■ 「楽しかった。また遊びに来る」と言ってもらえる店に

――BOSSとして大切にしていることは?

 若い人の趣味など、話を合わせられるようにしています。怒ったり叱ったりするのではなく、褒めて伸ばすことが今の時代に向いているのかなと、痛感していますね。

――威勢が良く元気な店づくりは個性として演出していますか?

 流通もよくなり、魚の鮮度はどのお店も変わらない。一流の魚を使っています。差別化を図るには気遣いや美味しいだけではなく、「楽しかった、また遊びに来るね」と言ってもらえるような店をコンセプトにしています。


■ すし文化の継承…外国人職人を育て"多国籍"に

――今後チャレンジしたいことは?

 日本の文化である、すし、和食、うなぎ、そばに外国人が参入しづらい。フランス料理やイタリアン、中華は多国籍ですが。

現在在籍する韓国人スタッフ

 すしを覚えてもらい、自分の国に帰って本格的な店を持てるように、外国人を受け入れていきたいです。

――外国人で職人を目指して入ってくる人はいるんですか?

 先日、韓国の若者(22)が入りました。興味を持ってくれる人はたくさんいます。特定技能ビザが緩和されたので、今後楽しみにしています。多国籍にならないと、すしの文化が崩れていく危機感があります。

 インバウンドも戻ってきています。渡航制限が解除され、台湾や香港、韓国、中国のお客様が非常に多く見られるようになってきました。某国の大使が貸し切ってくれたり、海外客が2割を占める店もあります。

 魚はカタコトながら英語で説明できます。ある程度英語でコミュニケーションもとれるように訓練しています。

――いよいよ北海道の夏です。すしネタは何がおいしくなりますか?

 北海シマエビにチップ、支笏湖のヒメマス、ウニに活イカも入ってきます。これからいい時期になってきますよ!


■ 取材後記

放送内でも話したとおり、私自身がすしの美味しさや楽しさを知ったのが、大坂さんが展開した2店目の「鮨葵」でした。年齢的にも変わらない当時若手の職人さんたちが一生懸命すしを握り、その場にいるお客さんみんなで楽しくおしゃべりしながら過ごす時間は、今考えても本当に楽しいものでした。そして何よりもリーズナブル。

若手に場をつくる大坂さんの経営哲学は今もぶれません。7月上旬に本店に隣のビルに新たにオープンさせる『すすきの店』。こちらでも若い職人に積極的にすしを握ってもらうそうです。のちの名職人が最初に握った客になれるチャンスありです!!


<これまでの放送>

#55 【株式会社Melever】代表取締役 佐藤麻紀さん

#54 【石屋製菓株式会社】代表取締役社長 石水創さん

#53 【札樽観光株式会社】代表取締役 杉目茂雄さん

#52 【株式会社Gear8】代表取締役 水野晶仁さん

#51 【北一ミート株式会社】代表取締役 田村健一さん