二人組を作ってください。

私には親友がいない。
これまでの人生でただの一度も、自信を持って親友だと言える人ができたことがない。

友達が全くいないわけじゃない。私が親友がいないと言えば、何人かは「私(たち)は親友じゃなかったの」と悲しんだり怒ったりしてくれるだろう。けれどそのうち誰も、たった一人の友達に私を選ぶ人はいない。

ここで言う”親友”は、親友というより”ニコイチ”という表現の方がしっくり来たのだけど、なんだか嫌な予感がして念の為Googleの検索窓にニコイチと入力すると「ニコイチ 死語」と言う文字列が見えたのでそっとタブを閉じた。

話が逸れたけど、とにかくこのエッセイにおける”親友”とは、突然「自由に二人組を作ってください」と言われたときに迷わず相手を選ぶことができて相手もまた自分を選ぶだろうと信じて疑わない存在だと定義しておきたい。

二人組を形成する片割れがいないという不安は、私を長らく縛り付けた。

殊更中学生1年生の私は、学校という狭く不安定な社会で”当たり前に私にはあの子であの子には私”というような確実性に飢えていた。

揺るぎない二人組を欲するあまり、あの頃の私は私を犠牲にすることを選んだ。あの頃の私は奴隷のようだったと言ってもいい。

中学生になり初めに仲良くなったのはそれまで仲良くしてきたタイプではない控えめな性格の子だった。移動教室もトイレも、私たちは必ず一緒に行動した。側から見ても私たちは”仲のいい二人組”だったと思う。

でも時々、彼女は私を無視した。私が少しの間ほかのクラスメイトと楽しそうにしていたとき、返ってきたテストの点数が私よりはるかに低かったとき。彼女は私が初めからいなかったみたいに、私を透明にした。

ゲリラ豪雨みたいに、彼女の機嫌は突然悪くなる。私はその度におとなしく雨に降られ、ただ空が晴れるのを待つしかなかった。

無視されても何度も話しかけた。顔色を窺いながら、興味を持ってもらえそうな話をいくつもした。国語の授業が終わって音楽室に向かうとき、私は真っ先に準備をして彼女のもとに向かった。彼女が私を待つことはないから、そうしないと置いてかれるのだ。私が彼女のもとを離れるときは、トイレに駆け込み声を殺して一人で泣くときだけだった。
どうか今日一日お天道様の怒りを買いませんように、平穏に過ごせますようにと祈ってから登校した朝もあった。

大抵の場合、彼女の機嫌は一日でケロッと直る。猫みたいな人だった。今度は私ではなく”昨日私にした酷い仕打ち”を無視して、甘い声で私の名前を呼び、私の元にすり寄ってくる。また雨が降る日まで、仲のいい二人組に戻るのだ。彼女は猫みたいな人だ。猫は猫でも、DVとかするタイプの猫。

それでもなお、私は彼女との二人組に依存した。
私には一人になる勇気がなかった。彼女の元を離れることはひとりぼっちになるということだと思い込んでいた。

こうして文章にしてみると私はあの頃の私が可哀想で仕方がないのだけど、当時の私は私を可哀想だと思ってあげられなかった。

そうして中学最初の一年が終わった。

春休みに入ると、泡が弾けたみたいに私は彼女に依存しなくなった。拍子抜けするほどあっさりと、洗脳が解けた。私は彼女にメールを送った。詳しくは覚えていないけど、

「そっちの機嫌によって無視されたり冷たくされるのずっと嫌だった。もう関わらないで」

みたいなことを言ったと思う。

すぐに返信が来た。

「なんのこと?そんなのしてないよ。どういうこと?」

この言葉は、やけに覚えている。

彼女は私の存在を無視し、私の一年間の苦しみをも否定した。

私の返信を待たず、続けて何件も私を繋ぎ止めようとするようなメールが来たけど、もうどうでもよかった。私は返信したかもしれないし、しなかったかもしれない。

彼女を失えば私はひとりぼっちになる、なんてこともなかった。私の名前を呼んでくれる人は、他にもたくさんいた。

雨は、彼女の周りにしか降っていなかった。彼女の元から離れさえすれば体を濡らさずに済んだのに、当時の私はそれに気づかなかった。

今思えば、彼女も不安だったのだと思う。彼女は友達が多いタイプではなかったし、私の忠誠を確かめるように私を突き放していたのかもしれない。
でもそれに、私が巻き込まれる義理などなかった。

それ以降、友達には恵まれたと思う。急いで追いかけなくても、私を待ってくれる人たちにたくさん出会った。

でも私は、いまだに二人組という呪縛に囚われ続けている。

あのときの失敗が呪縛霊のように居座り続けて、私は人に執着することを避け、深いつながりを必要以上に拒絶するようになった。
新しく友達ができても、恋人ができても、私はいつだって嫌われる準備をしながら近づいてしまうようになった。誰にも自分の一番自分らしいところを知られないように、一定の距離より踏み込んでこられるとつい遠ざけてしまう。(このあたりの話についても、今度書こうと思う)

これは呪縛からの解放ではなく、全く反対の形での出現である。

突然「自由に二人組を作ってください」と言われたときに、迷わず相手を選ぶことができて相手もまた自分を選ぶだろうと信じて疑わない存在。

そんな存在がいる人の人生は、どれだけ心強いのだろう。

いつかこの呪いが解ける日が来るだろうか。

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