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【196】静岡県沼津市の古刹「光長寺」は約750年前、執権北条時宗の時代に創建された由緒あるお寺でした! 2024.4.5

1 光長寺にお花見に行きました

 沼津の古刹、光長寺(こうちょうじ)は、日蓮宗のお寺で、以前ふと覗いてみたら満開の桜が見事で、以来、時期が来ると毎年のように花見に出かけています。

 今年は三月に寒さと雨が続き開花の時期を測りかねていましたが、4月5日は何日か振りに雨が上がったので、曇りでしたが見に行って来ました。

 すると、早咲きの枝垂れ桜はもう散りかけており、一方、染井吉野はまだ6-7分と言ったところで、ちょっと曖昧な咲き加減でした。
 けれど、朝早く行ったことも有って境内は人出も少なくゆっくりと見て回ることができ、新しい発見もいくつかありました。

1.1 境内案内図

 光長寺の案内図はこんな感じで山門(二王門)を潜ると桜並木の参道があって正面の大本堂へと続いてます。

1.2 参道

 山門を入ると染井吉野が両側に並ぶ桜並木の参道が真直ぐ続いています。 
 花は満開一歩手前という感じでした。

山門から本堂へ続く桜並木の参道

1.3 大本堂

 参道の突き当りは石段になっています。

参道突き当りの石段

 石段を上ると大本堂があります。大屋根が見事です。

大本堂

 広場の両側には巨きな桜の木があります。

大本堂前広場の左側の大きな桜

1.4 宝蔵

 大本堂前を右へ御宝蔵に向かいます。
 緑の苔に散り敷いた桜の花模様の美しさに魅了されます。

緑の苔に散り敷いた桜の花びら

 大本堂から祖師堂は廻廊で繋がれており、青い屋根の宝蔵へは廻廊を横切る必要があり、その交差する部分には唐破風の門が設けられています。

廻廊を横切る宝蔵への門

 交差部分から右側の廻廊の写真です。日本の建築は自然に溶け込みますね。

堂宇を繋ぐ廻廊

 回廊を横切ると御宝蔵へは石段を登ります。

御宝蔵

 石段の脇に咲く桜は染井吉野に比べて花びらが少し小振りで紅が少し濃く、凛とした佇まいを見せていました。

何桜?少し小さめでピンクの濃い花びら
凛と美しいたたずまい

 小指の先ほどもない青梅の実の優しい美しさ。

青梅の実

 宝蔵から来た方向を見下ろすと曇り空だからこそのしっとりした風景が拡がっていました。

宝蔵から廻廊を見下ろす
苔むした岩、溶岩?

1.5 祖師堂客殿

 宝蔵から降りて、左に向かうと祖師堂客殿の前に出ます。ここには大きな枝垂れ桜があります。もう花の盛りは過ぎていましたが、それもまた風情というべきでしょうか。

祖師堂客殿前の枝垂れ桜

 祖師堂客殿玄関には狛犬(獅子?)や龍の彫刻が見られます。
 神社仏閣のこうした彫刻はいわゆる美術作品とは違い、作った人の名前が明示され後世に伝わるということはあまりないようですが勿体ないことだと思います。

祖師堂客殿玄関右側の狛犬
祖師堂客殿玄関左側の狛犬
祖師堂客殿玄関中央の龍

1.6 祖師堂大玄関

 祖師堂の右側には大玄関が設けられています。屋根瓦の狛犬の逆さに飛び込んでいるような意匠の斬新さに驚きました。

祖師堂大玄関の屋根右側の狛犬
祖師堂大玄関の屋根左側の狛犬
祖師堂大玄関の破風中央の飾り彫刻、鶴でしょうか?

 祖師堂前の月桂樹。こんなかわいい花が咲くのですね。

祖師堂前の月桂樹の花

 大玄関の前にも桜。

祖師堂大玄関前の桜
菫の一群れ
祖師堂前から左へ向かう出入り口

1.7 大銀杏

 大本堂前の広場から参道へ降りる石段の左側に推定樹齢800年という大銀杏がありました。800年とは凄いです。

推定樹齢800年の銀杏の木

1.8 山本坊

 大本堂から山門へ戻る途中の参道両側には、いくつもの坊が並び、一つ一つがお堂と庭を持つ独立した別世界になっているのが不思議な気持ちを誘います。
 石段を降りてすぐ右側にあるのが山本坊、色々な春の花が咲き出していました。

山本坊
門を入るとこんなお庭が拡がっています。
花蘇芳
躑躅の植え込み
花桃
山吹

1.9 東乃坊

 山本坊の向かいに東乃坊があります。
 ここは見事な枝垂れ桜や、鯉の放された池のある小さいけれど奥深い庭があり必見です。

東乃坊入り口の桜
東乃坊入り口 石段のモミジの実生
東乃坊入り口 石段の菫の花
東乃坊の枝垂れ桜
東乃坊の枝垂れ桜 細かい雨が降り出していました
東乃坊の枝垂れ桜
東乃坊の枝垂れ桜と石灯籠
東乃坊の枝垂れ桜
東乃坊の池
東乃坊の青もみじ
東乃坊の躑躅
東乃坊のシャガ 
東乃坊の栃の木

1.10 参道脇の桜

参道の桜
参道の桜
参道の桜

1.11 山門前の桜

小雨の中、山門前の桜
山門前の桜
山門前の桜
山門外の大楠の木 推定樹齢700年

2 78代に渡る歴代聖人様のお墓:光長寺ってそんなに歴史のあるお寺だったの?

 今回初めて発見したことですが、大本堂の裏手、回廊を突っ切って石段を登った先に墓地が拡がっていることに気付き、その中を見学してみました。
 一番奥の高い場所には大きな廟があり、その両脇には同じくらいの大きさの墓石が狭い間隔でズラッと並んでいるのでした。
 よく見ると両側に並んでいる墓石には当山何世と彫られており、歴代の聖人様のお墓であるようでした。
 そして、その一番新しいものには78世と彫られていました。
 1代10年として計算しても78代では780年ということになります。
 そうなると、山門前の大楠の推定樹齢700年、大本堂前石段の推定樹齢800年の銀杏の樹などと年代が合ってくるのです。

 光長寺がそんなに古いお寺なのだとは考えたことが有りませんでした。

3 光長寺の由緒

3.1 創建は750年前!

 俄然興味が出てきて、家に帰ってから色々調べてみました。

 調べた結果をまとめると、
 光長寺は日蓮宗のお寺であり、宗祖日蓮大聖人御自身が、御直弟子の日春(にっしゅん)聖人・日法(にっぽう)聖人の御二人と協力して建立したという宗祖直伝の大本山だったのです。

 日蓮宗の総本山といえば山梨県の身延山久遠寺で、1274年に日蓮さんが招かれ、5月17日に身延山に入山し、草庵を構えた6月17日が身延山開闢の日としているそうです。

 光長寺が開創されたのはそれに遅れることわずかに2年の建治2年(1276)であり、開祖は前述のように日蓮大聖人、一緒に協力して創建に当たった日春・日法聖人が同時二祖と呼ばれるのだそうです。

 日蓮宗(法華宗)には四つの大本山があるそうなのですが、その中でも最も古いのがこの光長寺で、日蓮宗において非常に重要なお寺だということになるようなのでした。

 計算すると、開創は748年前ということになり、大楠や銀杏の樹はほぼ開創当時からある木なのだということになってきます。

3.2 光長寺が開かれたのは元寇真っ只中、執権北条時宗の鎌倉時代だった

 光長寺が開かれた1276年がどのような時代だったかを調べてみました。 
 すると、これは鎌倉時代、北条時宗が執権であった時代になるのでした。

 創建前後の出来事を見ると、日蓮さんが法華宗を開いたのが1253年、立正安国論を著したのが1260年で同じ年に蒙古ではフビライ・ハーンが即位し元朝を開いています。
 そして1274年に一回目の元寇襲来「文永の役」があり、1281年に再度の来襲「弘安の役」が起きています。
 1276年は元寇に備えて北九州に防塁を築くなど、まさに日本大難の時代の真っただ中であり、そんな時代に、このお寺が開創されていたのでした。

 毎年何も考えずに花見に行っていましたが、そんなにも古くから続く寺院であったことに驚かされ、執権時宗の下、鎌倉武士達が元寇に決死の思いで立ち向かった時代が急に身近に感じられました。

4 歴代御聖人のお墓、もう一度見てきました

 7日にもう一度光長寺に行って確認してきたのですが、墓地の一番高い場所の中央の祖廟は、始祖日蓮さんと、これに協力した同時二祖:日春・日法聖人のお名前が刻まれていることを確認しました。

祖廟 
日蓮さんと日春・日法聖人のお名前が確認できました

祖廟の右側には57世までの墓石が並び、左側には58世から78世までの墓石が立ち並んでいました。

祖廟の右には57世までの墓石が並び
左側には58世から78世までの御聖人様の墓石が並んでいました

 一番新しい78世の御聖人の墓誌では御遷化は令和になっており、鎌倉時代から現代まで切れ目なしに歴史が続いていることに感銘を受けました。
 
 7日には鐘楼や番神堂なども見て回り、これでほぼ隈なく見て回ったことになりました。

5 巨大な桜の樹

 7日に新しく気が付いたことがあります。
 それは東乃坊の裏側にそびえる巨大な白い花の咲く樹の存在でした。

白い花が満開に咲く巨大な樹

 最初、辛夷(コブシ)かと疑ったのですが桜でした。

白い一重の花は大島桜?

傍に寄ることはできなかったのですが、染井吉野ではありません。
ちょっと雰囲気が違う気もするのですが大島桜なのでしょうか?


 
 


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