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ゴミストーリー

街に落ちているゴミが気になる。
なぜ自分の出したゴミくらい持ち帰れないんだ!⋯⋯というような憤りが沸くワケではない。街中でゴミを捨てたい衝動に駆られた経験だって多々ある。
しかしゴミのポイ捨てはしない。誰かに見られたらカッコ悪いし、誰に見られなくても罪悪感がチクチク攻撃してきて捨てられない。

ただ、そこに捨てられたゴミはなぜ捨てられたのか?
どんなストーリーがあったのか?
最近、そんなことが気になってしまうのだ。

僕をこんな風にしてしまった原因はジョナサンのクーポンにある。

とある日の朝。
「ちょっと外で仕事してくるわ」
僕は妻にそう声をかけた。

リモートワークといえど、家で集中できない時には外に出る。
少し補足しておかなければならないのは、僕は太っていて妻にダイエットを宣言している、ということだ。
つまり、外で食べてきてはいけない。
外食という行為はお金もカロリーも高く、家で頑張って子育てしてくれている妻を裏切る行為なのだ。

「ちょっと外で仕事してくるわ」
というセリフは

「外で集中して仕事して稼いでくるね。一人にして申し訳ないけど、僕はコーヒーしか飲んでこないから帰ったら一緒にヘルシーご飯を食べようぜ」
という風に我が家では置き換えられる。
夕飯作りは基本的に僕の担当なので、ヘルシーにするかどうかは自分の匙加減なのだが。

妻は眠そうな目をこすり「うぃー、いってら」と返す。

そして、僕は家を出てお馴染みのカフェに行ってコーヒーを頼む。

そこまでは順調な滑り出しだったのだが、30分ほど集中したところで隣におじいさんが座った。もちろん何も問題ない。おじいさんだってカフェを利用する。
しかし、どうも定期的に隣から「チュパッ」という音が聞こえる。初めて聞いた音ではない。どこかしらの飲食店を利用していれば聞いたことがある人も多いだろう。
あの音は小学校で習うレベルの簡単な公式で説明できる。

おじいさん + 入れ歯 = 「チュパッ」

この公式だ。

補足すると、入れ歯の具合を合わせるために口をモゴモゴ動かした結果、チュパッという快感と呼ぶには難しい音を自分の意識とは関係なく放ってしまうじいさんのことだ。

長いので通称チュパじいと呼んでおく。
僕はチュパじいが放つチュパがどうしても受け入れられない。

チュパと初めて対峙したときはイライラしてしょうがなかった。しかし、公共の場で仕事することを選択したのは自分なので責任はすべて自分にある。そのようなマインドチェンジした僕は、次からチュパ音対策をするようになった。

その日、僕は3回ほど「チュパッ」を聞いたところで「なるほどね。まぁそういう日もあるわな」と心でつぶやいてから、冷静に鞄をまさぐり始めた。

対策は簡単な話、イヤホンをつけて音楽を流すだけだ。

僕はそそくさとイヤホンを取り出し、多少絡まったコードにイラッとしながらも、素早く耳にはめこみ、ノートパソコンにジャックをつなぐ。とにかくなんでもいいからリストの一番上の音楽を流した。

「チュパッ」

いやめっちゃ聞こえるがな!

理由は簡単だった。イヤホンを確認するとアレがなかった。シリコン製の銃弾みたいなやつ。イヤーピースというやつだ。
失くしたのは初めてではない。初めてではないから、そいつを失くした時の絶望感は想像以上に大きいことを思い出す。
そして、そいつは必ずといって見つかることはなかった。
僕だって分かってる。そばにいるのが当たり前すぎて日頃の感謝を忘れ、ぞんざいに扱っていたツケが回ってきたのだろう。
イヤーピースは僕に愛想を尽かせて出ていったんだ。
だから見つかるワケがない。
そう、失くしたんじゃない。
イヤーピースは自らの意思で僕のそばから離れていったのだから。

ただの自分の準備不足を小説風に表現したところで、チュパ攻撃が収まることはない。事実としてイライラは治らない。

とはいえ仕事はしなくてはならないので、少し我慢して頑張ることにした。
まずは「気にしない気にしない」と心の中で呟いてから、
「自分だって将来そうなるかもしれないのだから余裕を持って目の前の仕事に取り組もうぜ。長生きしろよ、じいさんベイベ」
と気持ちを落ち着かせてートパソコンの画面に集中していた。

しかし、いつの間にかパソコンの画面が真っ暗になっていることに気づく。
キーボードの上に指があって、目線は画面に集中しているように見えのだが、そのまま虫のように動かない男。カフェでそんな男がいたら、それは僕だ。チュパじいと戦っているのでそっとしておいて欲しい。
フリーズしている頭の中では
(出るなよ、出るなよ、出るなよ⋯⋯)
「チュパッ」
(ほら出たよ!また出た!)
これを永遠に繰り返している。怖いもの見たさというか、カリギュラというのか、もはやチュパ待ちしている僕がいるのだ。

僕はカフェからの撤退を決めた。
外に出てリモートワークできる場所を探す。

だが、こういう時に限って他の店の席は空いていない。まぁ、駅前の店が混むのは当たり前なのだが、そういう当たり前のことも考えられなくなるほどストレスが溜まっている状態だった。
そして、駅から15分ほど離れた場所にジョナサンがあることを思い出し、そこなら空いてるだろうと考え、僕は早歩きで向かうことにした。

入店して店内を見回す。当たりだった。
広々としてコンセントも完備されていて快適だ。
イライラがスーッと消えていった。

さっきまでチュパじいの顔を思い浮かべて「やな奴やな奴やな奴!」と月島雫歩きをしてたのが嘘のようだった。
ジョナサン最高。

そして強烈な誘惑が襲ってきた。

ストレス発散したい。
もうストレス要因は消えたはずなのにストレスを発散したいと思ってしまう。
いやストレス発散ではなく自分へのご褒美という言い訳なのだろう。

チュパじいと出会うだけでなく、イヤーピースを失くすなんて、僕はなんて可哀想なんだ。おかげで15分も月島雫歩きをさせられてヘトヘトだ。だからご褒美が必要なんだ。今日だけは特例で食べてもいいことにしよう!そんな思考回路になっている。
たぶん頭のネジの中でも、大きめのネジが外れている。

メニューにはお得なランチセットが表示されている。
これは食らうしかない。だってお得なのはランチの時間だけだよ?僕は今、たまたまランチの時間にジョナサンにいる。こんな偶然はありえない。だから、食らうしかないのだ。

ふと、妻の顔がよぎる。さて、妻にどう言い訳をしようか?
しかし、妻と息子のお昼ご飯を作っておいて、自分だけいらないっていう理由が思いつかない。

いや、言い訳なんていらないのかも。

ランチセットを食って、家族とのご飯も何食わぬ顔で食らってやればいい。
そうだ、何も問題ない。
問題だらけなのだが、ネジがぶっ飛んだ時は本気でそう思っている。

僕はがっつりランチを食べて、リモートワークを終えた。
有言実行の男である。

僕の腹はパンパンだが、そろそろ妻がお腹を空かせている頃なので帰宅することにした。

お会計を済ませ、レシートと一緒にクーポンを渡されたので無意識で受け取った。僕は満足をして店をでた。

そこで気づいた。クーポンがでかい。
でかいというのは、割引額のことではなく、クーポンそのものがでかい。
本体の質量が、体積がでかいのだ。少なくとも財布に入れる大きさではない。

この大きさだと家のゴミ箱に捨てた時に思いっきりジョナサンのクーポンだとバレてしまうのではないか?そんな不安がよぎった。

ドリンクバーだけ頼んだって言えば大丈夫か。
⋯⋯いや待てよ。
そもそも、このクーポンはドリンクバーだけでもらえるクーポンなのか?それとも食事した人にだけ配られるクーポンなのか?後者だったらクーポンを見られた時点でアウトだ。
急いでグーグルを開いて調べてみるが、情報がない。情報がない以上、この言い訳は危険だ。
うちの妻は普段はフワフワした口調でボケをかますポジションだが妙なところに気がつく。そして疑い出したらトコトン疑うのだ。

「クーポンってドリンクバーだけでもらえるの?」

とか普通に聞いてきそうだ。あぁ怖い。
これはだめだ。外で捨てるしかない。そう決断した。

僕の脳はクーポンを捨てたい、という欲望だけでいっぱいになった。
他の代案はいくらでもありそうなのに考えようともしなかった。
タガが外れる、とはこのことだろう。

捨てたい。今すぐ捨てたい。そんな衝動にかられた。

僕はどうやってクーポンを捨てたら夫婦の危機が回避されるのか、あらゆる可能性を考えてみた。

店の入り口に設置してある傘袋のごみ箱に捨てるか?
いや、ゴミ交換時にクーポンが捨てられていたら悲しいだろう。僕みたいなやつが証拠隠滅をしたいという浅ましい欲望を叶えるために一人の真面目な従業員のモチベーションを奪ってはならない。

公園のゴミ箱はどうだ?
いや、もう設置されている公園を見かけない。そんな公園はもはや一つもない。

コンビニのごみ箱はどうだ?
いや、最近は店内に設置してある。持ち込んだゴミを捨てることは明らかなマナー違反なのだ。妻を裏切り、しかもその嘘を隠すためにマナー違反を犯してしまったら、僕はもうどうやって生きていけばいいか分からなくなる。

自動販売機のごみ箱はどうだ?
近くの自販機のゴミ箱を見てみる。明らかにゴミ箱の容量を超えたゴミの量がパンパンに詰まっている。これ、どうやって刺さってんの?と疑いたくなる角度のペットボトルもある。
あまりにも低俗なフォルムに僕の悪意がムクムクと湧き上がってくる。

「こんな汚いゴミ箱なんだ。ジョナサンのクーポンを一つ捨てたところでで何が変わると言うんだ?」

⋯⋯いやダメだ。
僕は湧き上がった悪意を振り払って自販機のゴミ箱に背を向けた。
あれは僕への警告なんだ。
だってあのフォルムを見てみろ。あのパンパンに詰まったゴミ箱は何を表している?まるで、お腹がパンパンなのに今から家族でご飯を食べる僕の未来そのものじゃないか!

僕はその場にいられなくなって他のゴミ箱を探した。
しかし、どこを探してもジョナサンのクーポンを捨てられるゴミ箱は見つからなかった。
もうお金を払ってもいいからジョナサンのクーポンを捨てたい。
僕の切実な願いとは裏腹に、今や公共の場に誰でも捨てて良いウェルカムなごみ箱は一つもなかった。

あらゆる可能性が潰され、肩を落としながら帰り道を歩いた。
ふとスマホを確認すると、妻からLINEが来ていた。

「うな牛食べたい」

どうやらお昼寝の時に息子がグズったらしく、うな牛でストレス発散をしたいということだった。任せろ的なスタンプを送って、すき家でうな牛を2つ買って帰った。当然のように自分の分も買う。
そして、何食わぬ顔で平げた。
むしろ、”ゴミ箱がない”というストレスに”うな牛”は想像以上にマッチしていた。
結果的に、ジョナサンのランチを食った後にうな牛を平げたので、スカウターがぶっ壊れるくらいのカロリー摂取量となった。

結局のところ、クーポンはビリビリに破いてから小さなビニール袋に入れて捨てた。それで十分だった。

そのゴミを見ながら思った。
このゴミが生まれた背景に、持ち主がダイエットをしていて、ランチを食べた証拠隠滅をするために頭を悩ませながら捨てて、腹一杯なのに笑顔でうな牛を食べた、みたいなストーリーが隠れていると誰が想像できるだろうか?

だから最近の僕は、道に捨てられているゴミが気になるのだ。

このゴミを捨てるときに持ち主は何を思ったのだろうか?
罪悪感はあったのだろうか?
それとも致し方ない事情があったのだろうか?
このゴミが捨てられるまでのストーリーには何が隠されているのだろうか?

そう思ってから、道に捨てられたゴミのストーリーを勝手に想像してしまうのだ。
ただ、ゴミから生まれるストーリーは基本的にゴミみたいなもんだということは、こエッセイを持って証明できたと思う。

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