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坂井華奈子さん - 計画外のチャンスに備える人


子連れ夫婦でハーバード留学

2014年、新卒でマッキンゼーに就職しました。2017年、長男の育休中に夫がMBA留学をしたいと言い出しました。子供が小さいから国内を考えていた彼に「折角なら海外に行けば」と焚き付けたのは私です。ついでに自分も留学の夢を叶えられたら効率的だと思って挑戦したら、運良く夫婦揃ってハーバード・ビジネス・スクール(以下HBS)に合格しました。

受かってから、悩みました。HBSはケーススタディに向けた課題が重いことで有名なので、学業と子育てとの両立ができるのかが一番心配でした。また、夫は勤め先をやめての自腹留学でしたから、経済的な観点から私は留学を辞退して米国オフィスに転籍することも考えました。

いろんな先輩の話を聞きましたが、当時、同世代で子供がいる女性社員は私を入れて3人のみ。出産はキャリア基盤を築いてからという人が多く、そのうえ留学ともなると参考になる体験談は聞けませんでした。でも、ここで行かないと絶対に後悔するので、思い切って挑戦することに決めました。

HBSでは、約900人の同期なかに幼い子供連れのママ学生が10人くらいいました。コミュニティを作り、互いに支え合いながら2年間を走り切りました。いろいろな不安をその仲間たちと話していると世界の見え方が変わりました。側から見ると完璧に見える人も、似た苦しみや悩みを抱えていると知り、勇気づけられました。

もちろんとても大変でした。でも、乗り越えてしまうと、若くて体力があるうちにそれができたのは良かったと思っています。今からまた同じイベントをやれるかというと自信がありません。

ハーバードMBAの卒業式(2021年)

子育てしやすい街、ロンドン

HBS卒業後、英語圏で就職活動をしていた夫がロンドンの会社にポジションを得たことをきっかけに、私自身もトランスファーの面接を受けてロンドンに転籍しました。転籍の段階で第二子の妊娠がわかっていたので、体調を見ながら翌2022年1月の出産ギリギリまで働き、9か月間の産休育休を取った後、2022年9月に職場復帰しました。

いろいろなイベントを経て、ここ1年間は、久しぶりにがっつり働いたという感じです。

移籍当初は、自分が海外オフィスでパフォームできるかどうか不安でしたが、国は違っても会社は同じなので、意外とすんなり馴染めました。

ロンドンは東京に比べて、優先順位をつけて効率的に仕事を終わらせる文化があります。同じ会社でも比較的ワークライフバランスが良いのはそのためかもしれません。また、アメリカとの比較では、いろんな国の人が働いているので、英語ネイティブでなくても気後れしません。アジア人だからといって下に見られることもなく、働きやすいと感じます。

家事育児の役割分担は、夫婦 50:50 です。朝は、仕事の都合に合わせて、夫か私が子供たちを学校に送りに行きます。息子の学校が4時に終わるとアフタースクール・ナニーに迎えに行ってもらい、娘は保育園まで夫に迎えに行ってもらい、6時半頃には皆が帰宅します。夕食を作って食べさせるのは夫、寝かせつけは私というふうに、互いに忙しい時はカバーしあい、フレキシブルに助け合っています。

最初からそうだったわけではありません。日本での第一子育休中は私が専業主婦でした。それも楽しくて好きでしたが、留学前に日本で一時的にフルタイムで復職した時、子供は保育園に預けながら私は6時には退社して家のことを全部やっていたら、3ヶ月でグチャグチャになって疲れ果ててしまいました。

MBAに行ったらそれではやっていけないのは明らかでした。そこで、夫と話し合い、フェアに役割分担をしていくモデルに変えました。ちょうどコロナ禍もヒットしてナニーを頼める状況でもなく、本当に自分たちだけでやらざるを得なかったのです。それから数年を経て、今は良いペースが掴めています。

天気の良い休日は、家族で近くの公園へ

人生を拓く「まじめ」のススメ

子供達をさずかったのも、夫と一緒に留学に行けたのも、キャリアを継続できていることも、私はとても幸運だったと思います。いろんな人に支えられて、今の私があります。

その幸運の秘訣はと問われたら、私も夫もすごく根が「まじめ」なことかもしれません。日本の社会で「まじめ」は軽視されがちですが、日々自分の置かれた環境で目の前のことをコツコツ頑張ることは、周囲からの信頼を得るための大事な動作です。

そして、人生におけるチャンスは自分で掘り当てるより人に持ってきてもらうことのほうが多いものです。信頼を積み上げておかねば「これやってみない?」の声はかかりません。例えば私も、まじめさを見てくれていた人たちのリファーがなかったら、留学や転籍の機会を掴めなかったと思います。

また、私はもともと自分で計画を立てたことを地道に達成していくのが心地よい優等生タイプだったのですが、留学も移住も夫のタイミングにあわせ、子供も生まれて自分の自由にできないことが増えていくなかで、ものの考え方を大きくシフトさせてきました。

習得したのは、予想していなかった新しいチャンスが来た時にそれを掴みにいく姿勢です。様々な不確定要素があって自分が望むままに動けないのはストレスですが、その状況で自分にとってのベストを選べることを心地よく感じられるようにならねばと、意識的に自分のものの考えかたを変えました。

計画外のことに直面すると、それまでコツコツ積み上げたものを「ここで手放すの?」と、まず不安になるのですが、そこでバッと大きな決断ができるということが大事なのです。

特に出産子育てでダウンタイムが発生する可能性のある女性のキャリアは、その前に組織と良い関係を作っておくことが大切です。産後、復職するにしても他のことをするにしても、それまでのまじめさが選択肢を増やします。子育てしながら仕事にコミットするのは大変なので、そこでやめるという選択もあっていいのですが、何にせよ、ここぞというところで直感を信じて「今はこれが大事だから」と決められることが、自分が納得する形の未来を拓くことにつながります。普段のコツコツまじめと、チャンスが目の前にきた時にバッときめること、それは矛盾しないと思うようになりました。

どこでもホームにできる日本人

私は生まれは日本ですが、その後18年間、父の仕事の都合でずっとヨーロッパで育ちました。イタリア、オランダ、イギリスを行ったり来たり。昔ながらの駐在家庭で専業主婦の母がいつも学校に迎えにきてくれて、一緒にお茶したりするのがとても幸せでした。だから、自分が同じことを子供にしてあげられないことについては今でも葛藤があります。

海外育ちなのに日本語優位に育ったのは、小中学校は日本人学校に通っていたからです。そのうえで、高校では2回転校があってアメリカン・スクールやインターナショナル・スクールに通ったのですが、急に英語環境に放り込まれ「あの子英語できないよね」という視線を感じ、どこかなじめない、苦しい思いをしました。

だから日本への憧れが強く、東大に進学しました。日本社会の縮図のようなテニスサークルに入ると、先輩後輩関係も飲み会もすごく楽しくて、自分はやはり日本人だと感じました。それで就職も日本でと考えたのですが、海外のコミュニティもまた私の一部なので、やはり留学したい気持ちもあり、外資系企業の日本オフィスにしたのです。

今は、子育てがしやすいロンドンの暮らしが気に入っています。緑が多く、小さな子供に優しい社会です。階段のあるところでは誰かが必ずベビーカーを持ち上げるのを助けてくれます。アフタヌーン・ティーのようなきちんとした場所でもキッズメニューがあり、子供が騒いでも、店員さんも他のお客さんもおおらかです。また、男女問わず、両親が子育てに関わるのは当然という前提があり、保育園や小学校の送迎でもパパママ両方を同じくらい見かけます。そのために早く退社するパパも自然に認められる雰囲気があります。日本にいる時は、なんとなく使っちゃダメと勝手に思い込んでいたナニーやキャンプのような各種子育て支援サービスを積極的に活用できる雰囲気も気に入っています。

ただ、なにがなんでもここに永住したいというこだわりはありません。何かの事情でまた違う環境に移るなら、それはそれでまた自分たちのスタイルを探していくと思います。「最初は慣れなくても行ってみたら良かった」という経験をここ数年重ねてきたので、どこに行ってもそこが自分のホームになって、やっていけると思っています。

先のことは分かりませんが、またチャンスが訪れた時、良い変化を身軽に取れるようにしておきたいと思います。そのために、今はまた、できることをまじめにコツコツやっています。マッキンゼーでもロンドンでも、私は今はまだ、自分の基礎を固める時期だと思っています。


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