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SS「巣を、つくる」

僕は、巣を作る。
 先生は奇妙なことをする。
 僕の先生はとにかく女の切れ目がない人で。知り合いの小説家といい、あの父親といい、敬称が「先生」の男性は、みんな女性中毒なんだろう。
 それは普通。奇妙なのは、先生が毎晩残していく紙。
 僕が寝ている間に、先生はいつも女の人のところに行って、朝まで戻らないのだけれど。
 起きたら、机の上にヘンな紙がある。
 古すぎて茶色くなった紙。「京都銀行」と印刷されているからには、どこかから引っ張り出してきたメモ用紙。
「コンヤハカエラヌ。アサカエル。アサメシフヨウ」とボールペンで書いてある。
 初めの頃、「これは何ですか?」と先生に聞いた。
「外泊すると書いた」と、当たり前のことを言われた。
「なんで、僕に外泊することを教えるのですか?」と、さらに聞いた。
「儂にわかるわけなかろう」と怒って、ずかずか着替えに行ってしまった。
 そういうわけで、この紙が何なのかは誰にもわからない、と判明したのだけれども。
 僕にはとても大事なものに見えて仕方ない。
 ゴミであるのはわかっているから。だから、次の夜までは捨てないで持っているルールにした。
 先生は女の人の入れ替わりが激しくて、よく修羅場を起こす。
 穏便に別れた元カノさんは少しだけ。
 その貴重な女性は、たまに僕とも話をする。
 曰く。
 先生は、お母さんを探している。
「お母さんは、いない方がいい生活を送れると思うのです。いたら、お母さんのことを毎日一日中気遣わなくてはいけないので、たいへんなのです」
 元カノさんは、先生の本当のお母さんもそういう人だったらしいと言い。
 だから先生はいつもお母さんを探していると言い。
 でも、本当に好きになるのは、お母さんになってくれない女(ひと)だけなのだと言った。
 難しい。
 この話は秘密にすると約束したので、またしてもわからないままでいる。
 先生のおかしなところを考えながら、僕は、今、この現在、もっとおかしなことをしている。
 巣を、作っている。
 今日、先生は妙に真面目な顔をして、「女(おんな)のところに行ってくる」と言った。
 僕は「はい」と答えた。先生はそのまま出ていった。
 先生が外泊宣言。初めて。
 一緒に住んでいる人というのは、いつの間にかいなくなっているものだ。出て行くことを宣言するのは、怒り悲しんでいるときだけだ。帰ってくるのは父親だけだ。
 宣言する状態のときは、一人の夜なのが一番いい。誰も泣かない。誰も死なない。
 なのに、僕は一瞬、「行かないで」と言いたくなってしまった。
 まるで理屈に合わない。
 先生が何で宣言したのかもわからない。別に怒っても悲しんでもいなかったと思う。酔ってもいないし、丈夫そうだった。
 僕は布団に、先生のものを集めている。
 先生の着物だとか、煙草だとか、座布団だとか、そういうものを集めている。
 奇妙。奇怪。奇行。
 集めて。集めて。遠くに聞こえるサックス。大学生のはしゃぐ声。急ブレーキを踏まれたタイヤ。世界にしみこんだ夜の音。集めて。集めて。こぼれ落ちそうな何かを集めて。
 巣を、作っている。
 完成した巣はやはり狭く、僕はどんぐりみたいな姿勢になる。
 この巣は明日にはなくなるけれど。明日はまた、あのヘンな紙がもらえるし。
 朝までこのやわらかいところにいていいんだ。
 まぶたが重くなってくる。
 ひょっとして、先生は「行かないで」と言ってほしくて、それで外泊宣言をしたのかな。
 それはあんまりにも幸せな想像なので。
 大事に秘密に、しまっておこう。

   了

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